「…で、その後すぐに振り向いたら、もう女の姿はなかったらしい」

 恐ろしげな顔で語り終えた曹仁が、フゥッと目の前のロウソクを吹き消した。
 ほの白い煙が闇へと流れてゆく。

 「い、いやぁ今のは結構怖かったんじゃねぇか?」
 「背筋が一瞬冷たくなったぜ」

 さきほどまで体全体を硬直させて聞き入っていた武将達は、緊張が緩んだように姿勢を崩した。
 ここは、魏の奥にある普段は使わない薄暗い大広間である。
 その中央に、大きな体を縮こめて魏将の面々は円を描いて座りこんでいた。
 椅子や卓などはすべて外へと運び出され、照明器具としての意味を果たす灯りはひとつも置かれていない。
 ただ、彼らの前にはおびただしい数のロウソクが揺らめいている。
 その総数、百。
 すでにその半数以上から煙が立ち上っていた。
 消されてゆく100本のロウソク、次々と語られる怪談。 
 そう、これは魏国納涼・百物語である。


  
 今年の夏は、近年まれにみる猛暑だった。
 重く、厚く、妙に豪華な鎧に身を包んでいる魏国の将達は、ただ座っているだけで滝のような汗を流す毎日である。
 する気もないのに我慢大会。

 「気合さえあれば、火でも涼しいのでござる!」
   
 などと、武士道を重んじる徐晃が頭巾を汗で濡らしながら主張していたがその直後、熱中症で運ばれてしまった。
 心頭滅却しても、暑いもんは暑い。
 いくら泣く子も黙る猛将達といえど、自然現象には勝てないのである。
 王である曹操も、着物をだらしなく着崩して、下敷きで扇ぐ毎日を送っていたのだが
 いい加減、耐えられなくなっていた。

 寝苦しい夜が続き、睡眠が取れないので疲れは溜まる一方。
 かと言って日の出ている内に眠ろうと思っても、昼間の方が暑いのだから寝られるわけがない。
 最後にぐっすり眠れた夜は、一体どのくらい前だろうか。
 しばらく、いびきなぞかいた記憶がない。
 かくのは寝汗だけである。
 国全体がそういった状況であるため、日ごと兵士らの士気も目に見えて下がっていくばかり。
 こんな時に攻め込まれでもしたら、あっという間に陥落してしまうだろう。
 まあ、この過酷なまでの暑さの洗礼を受けているのは魏だけではないので
 兵を挙げてくることはまずないだろうが(他の2国もさぞかし夏バテに苦しんでいるであろう)

 それでも、このまま暑さを前にしてくたばっているわけにはいかない。
 曹操は神ではないので、気象自体をどうにかすることは出来ないが
 せめて精神面だけでも涼しくなろうと設けたのが今回の集まりである。
 夏に怪談、というのも古典的かも知れないが、一番手軽で効果的なのは否めない。  
 何をしててもどこに居ても暑さからは逃げられないのだから、もう体とは別の部分で涼を得るのが一番である。 
 そんな趣旨で始まった百物語の会、各自それぞれのとっておき話が披露され
 なかなかの盛り上がりをみせていた。
 なにしろ命のやりとりをしている戦場が彼らの主な仕事場である。
 それ系の話には事欠かない。   

 怖がりながらも面白がっている様子の典韋や夏候淵、明らかにビビッて無口になっている夏侯惇・徐晃・曹仁。
 甄姫と張コウは何故だかイキイキしている(女の子はこういった話が好きである)(女の子?)
 もうおねむの時間なのか鼻ちょうちんの許チョに、下らんとか言いながらも、結構顔色の悪い司馬懿。
 怪談というよりも、その家臣らの反応を見て楽しんでいるような曹操。
 修学旅行の初日のようなこの状況で、はというと、夏侯惇組に配属である。
 それほど怖い話の類が苦手ではない。夏休みには「あなたの知らない世界」を欠かさず観ていたくらいだ。
 だが、この場で聞くのは恐ろしさが違う。
 前の世界では「目が覚めると体の上に武者の霊が…」などとすごまれたところでピンと来ず、さほど怖く感じることもなかったのだが今では、戦が舞台のドキッ武将だらけの無双大会。
 どの話もやたらにリアルタイムである。
 その上、今宵の空はあいにくと厚い雲に覆われていて、月や星からの光は望めそうにもない。
 深い深い闇の中、時折ゴロゴロと遠くから雷鳴が轟いていて、「何かありそうな夜」効果抜群である。

 「…では次、私の番ですわね」

 ザワついた場がおさまった頃、甄姫がロウソクの方へ座布団ごと前に出る。
 その美貌が美貌だけに、ロウソクの火に浮かび上がる様は迫力満点だ。
 それだけで非常に怖い。 

 「これはつい最近の話ですわ…」

 甄姫はおどろおどろしい声色で、静かに話し出す。

 「草木も眠る丑三つ時…1人の兵士が見回りで城の周りを巡回しておりました。その夜は、そう…今みたいに蒸し暑く、彼は何とも言えない気味の悪さを感じていたそうですわ。広い城を一巡すれば、次の者と交代できる…そう己を励ましながら早足で城の離れ辺りの角を曲がろうとした時、地の底から響くような、低い男の声が響いてくるではありませんか。驚いて振り返るとそこには…」
  
 ゴクリ、と聴衆は息を呑んだ。

 「眼帯の男が
片目を返せぇーと…!」

 
「それは俺のことか――――!!!」 

 「恐ろしい都市伝説ですわ…」(どのへんが都市伝説)
 「お前が恐ろしいわ甄姫!」
 「まぁまぁ惇兄、涼しくなる為の催しなんだからそうカッカすんなって。よけい暑くなるぜ?」

 座布団を吹っ飛ばす勢いで立ち上がった夏侯惇を、ゲラゲラと笑いながらも夏候淵がいさめる。
 片目を気にしているらしい相手に対して、ノー気遣い。それどころか、美味しいネタ扱いである。
 この国にタブーはないのか。
 というか良識はないのか。
 沸騰したヤカンがピーヒャララという状態に陥った夏侯惇の額にとりあえず冷却シートを貼り、百物語は続けられた。
 次の語り部は甄姫の隣、である。
 すでにもうかれこれ5巡目。
 いい加減、ネタも尽きるというものだ。
 稲川淳二でもあるまいし、そんなに怪談のストックなどない。
 携帯電話やリングのようなビデオなど、文明の利器系恐怖が通じないのが痛いところである。 
 仕方ないので、は定番の七不思議ネタを持ち出すことにした。

 「これは私の学校の話なんですけど。校門から学校までの間に街路樹が並んでるんですよ。創立時に植えたものらしくて、もうずいぶん大きいんですけどね……ただ、その中の一本が奇妙なくらいに背が低いんです。他の木と同じ品種だし、日当たりも植えた時期もすべて同じ。それなのに、それだけ時が止まったみたいに小さいままなんです。おかしいですよね…?枯れてるわけでもないのに…」

 一度口を閉じ、は息を吸った。

 「聞くところによると、どうもその木…過去に女子学生が失恋を苦にして首を吊った木だったんですよ。それ以来、その木だけ伸びないんだそうで…枝には、今でも縄の跡が残ってました」

 以上です、とはロウソクを吹き消した。  



 シ―――


  
 の話が終っても、静寂は続いたままである。
 誰一人として、口を開かない。
 何故だろうか、全員顔色が酷く悪い(ずっと悪かった司馬懿を除いて)  
 それほど怖い話ではなかったはずである。
 さっき典韋が話していた、床から出てきた手が足首を掴む話の方がよっぽど恐ろしかった。 

 「ど、どうしたんですか」  
  
 たまらず、は黙りこくっている輪に呼びかけた。
  
 「いや、あのな…」

 ちょうど向かいに座っていた夏候淵が、俯きながらも口を開く。    

 「うちの城の池のある庭の、あの木…も……ずっと同じ大きさなんだよな」 
 「え」

 確かに、夏候淵が言う池のそばには、大きな木にはさまれる様にして立っている、背の低い木が1本ある。

 「あれも他のやつと一緒に植えた同じ種類の木、だよな…?」
 「…そうだ」

 渋い表情の曹操が、下を向いたまま答えた。
  
 「…あの庭を造る工事の際…確か、職人が1人命を落としている

  
  


  
 
――――――







 再び訪れた、張り詰めたような静けさ。
 しかも先ほどよりも、その空気は重い。
 自分達の身近に存在した怪奇スポットに、皆口を固く閉ざしている。
 怪談話は聞くものだ。
 語るものだ。
 体験したくは、ない。
  
 そんな参加者の陰気が立ち込める、ロウソクの灯りだけが頼りの薄暗い室内がほんの一瞬、朝のように明るくなった。  
 それは本当に瞬きほどの間で、すぐに広間は闇へとかえる。

 「え、今の、」

 一瞬の光に対して、が口を開こうとした直後。
  

 
ドォ――――――!!
      
  

 
「「「ギャ――――!!!!」」」


 体全体が振動するような轟音と地が揺らぐような衝撃。 
 空気を引き裂くような突然の雷に、魏軍全体は大パニックに陥った。 
 いつもならば、驚きはするもののそれほど取り乱したりはしないだろう。
 だが今は、冷静にやり過ごせる場ではない。
 怖がろう、怯えよう、と積極的に気を昂ぶらせているという特殊な状況下。
 しかもその恐怖がピークに達していた時という絶好のタイミングである。
 場に混乱を招くには充分だった。

 「近くに落ちた!すっげ近くに落ちたぞ!!」
 「おおおお、落ち着かんか馬鹿めが!」
 「痛え!おい、いま蹴っ飛ばしたの誰だ!」
 「曹操様!そこ危なっ…・!」      
 「ちょっ…服引っ張らないで下さる?!」
 「ロウソクロウソク!騒ぐと火消えるって…あっ消え…!!」    

 慌てふためいて大暴れした曹操と夏侯惇のマントが強風を生み残っていたロウソクの火を全て消し去った。
 当然、真っ暗闇である。
 それが、平静さを失っていた彼らにトドメをさした。



 
…ッギャァァァァ――――!!!!  
 
   

 混乱ここに極めれり。

  
  
 
 とそこへ、今しがた遠征から戻ってきたばかりの張遼が灯りを携えて、何事かと広間の扉を叩き破った。
 
 「いかがなされた!」

 張遼の顔が灯りに照らされ、暗闇の広間にぼんやり浮かぶ。

 
うわー出たぁー!!遼来々だぁ――――!!

 
いやぁぁぁぁぁぁぁ――――!!


 もう、何でも怖いものに見えるらしい。
 これこそが集団心理の恐ろしさ。
 しかし、今ここへ来たばかりで素の状態の張遼にしてみれば、何を騒いでるのやらさっぱりである。
 本来なら早く休んで遠出の疲れを取りたいところを、わざわざ心配して様子を見に来たというのに騒ぎが治まる気配はない。
 それどころか、「出た」である。
 けっこう傷つく。

 「い、いやっ…ちょ、私です、張遼です。只今遠征より戻りま…」
  
 張遼は戸惑いながらも、常軌を逸した騒ぎ方をしている集団にジワジワと近付いていった。 
 
 「ぎゃー!!こっち来た!!」
 「食いちぎられる!ブチブチッとやられる!」
 「みんな守れ!おのおの喉笛を隠すんだ!」
 「誰が食いちぎるか――――!!」         

 さすがに腹が立ったらしく、わめく連中を一喝した張遼は「まったく殿まで混じって、何をしておられるのか・・・」 とブツブツ呟きながら輪の中心に置かれたの数々のロウソクへ火を移し始めた。
 それにしたってこのロウソクは多すぎないか、と疑問を抱きつつ。    
 その様子を遠巻きから見ていた曹操はおそるおそる近付き、憮然とした張遼の顔を覗き込んだ。

 「…なんだ、張遼ではないか」
 「だから、さきほどからそう申し上げてるではないですか」

 張遼は散らばった座布団を適当に拾い、座り込む。
 わずかながらも光の存在というものは人間を落ち着かせるらしく、取り乱していた武将たちも徐々に正気を取り戻し、張遼の元へと集まり始めた。

 「…なんだよ張遼、ビビらせんなよ」
 「美しくないですよそんな登場の仕方は」   
 「まったくだぜ、てっきり悪霊でも呼んじまったと思…あ、泣いてる!」 
 「な…!ななな、泣くな。泣くんじゃない馬鹿め!」 
 「も、もう大丈夫だぞ。。おい孟徳、ハンカチかなんか貸せ」 
 「泣かす程怯えさせるなんて…なんて非道い真似なさるのかしら」
 「男のすることではないな」
 「張遼、が可哀想だよ〜」
 「張遼殿なんてことを」
 「そうだあんまりだ、謝れ張遼!」  
 「え、え?私なのか?!私のせいなのか?!」
  
 多分違う。    
  
 どう考えても張遼には非がないのだが、泣いた相手が悪かった。
 変態でもなく女帝でもない、普通に女の子であるは髭と筋肉が密集する魏国において、扱いがお姫様である。
 そのお姫様を泣かせたとあっては、犯人を罰しないわけにはいかない。  
 その為(例え自分達が勝手にパニックになったのが原因だとしても)とりあえず1番怪しそうな人物が責任を問われる。
 今回、それがたまたま張遼であった。
 こういう状況を、踏んだりけったりと呼ぶ。

 「…殿…この度は(何のことだかわかりませんが)申し訳ないことを…」

 相変わらず合点がいかないままであるが、が泣いたのは間違いない。
 彼女の涙を見るのは彼自身も心が痛むので、張遼はとにかく深く頭を垂れた。

 「え、あ、いえもう大丈夫ですから」

 張遼から謝罪されて、困ってしまうのはの方である。
 彼女が泣いていたのは、さっきの騒動の中どこかの女王様に思いっきりハイヒールで足の小指を踏まれたのが原因だ。
 恐怖ではなく痛みの涙。
 しかしここでそんなことを言うと、非常にややこしい状況になりそうなので、張遼には悪いと思いながらもは黙っていることにした。
  
 「その、そんなことより、張遼様お帰りなさい。遠征ご苦労様でした」
 「…殿っ…」

 不覚にも張遼は泣きそうになってしまった。
 実は今回、けっこう辛い遠出だった。
 戦の規模の割りに、兵士の数は少ないわ、武将自分1人だわで準備の手抜きも最高潮。
 兵糧が足りなくなる前に帰ろうと早めに片付けて(すごいじゃん張遼)、疲労困憊で帰った来たら武将が全員城に居る上に、なんかものすごくヒマそうではないか。  
 そんな余裕ありありなら、1人ぐらい援軍に来いと言いたい。
 あげく、かけられたのが労いの言葉どころか「悲鳴」と「罵声」。
 大したお出迎えである。
 つい、「転職」という言葉が頭をよぎったとしても、誰が彼を責められようか。
 だがしかし、の「お帰りなさい」という台詞ひとつで、そんなものはすべて吹っ飛んだ。
 そういうシンプルだが温かい言葉が、いま一番欲しかったのである。    
 あと少し張遼の理性が頑丈でなかったら、彼は恐らくを胸に掻き抱いていたことだろう。
 危ない危ない。

 「ああ、えーと、うん、お疲れさん張遼!」 
 「そ、そうそう。よ、よく戻ったな」
 「…ご、ご苦労でした張将軍」
 「今か今かと待ちわびてましたわ。ええ、本当ですわよ」

 今の2人のやり取りを見て、何か大事なことをようやく思い出した武将達は今更取り繕うように、張遼を労わる言葉を争って吐き出した。
 どいつもこいつも、とんだお調子者である。
 同僚が、ひとり戦で奮闘していたのをよそに、みんなで怪談大会なんかやってた後ろめたさ。  
 しかもその戦地からの帰還に対して、完全無視していた薄情っぷり。
 自分達の行いがいかに非道であったか、ようやく気付いてしまったらしい。

 「いやぁ、おかげで大分涼しくなったんじゃねぇ?」
 「そうでござるな、久しぶりに冷や汗というものをかいたでござる」
 「張遼のおかげですね!素晴らしい冷却効果でしたよ」
 
 なんというか、無理矢理な匂いがたちこめる会話である。
 とにかく、張遼の機嫌をとるために必死になっているらしい。
 最後は大団円な感じに持っていこう、盛り上げていこう、という彼らの痛々しい努力が伺える。  
 だが確かに、彼らが言ったような張遼のおかげではないが、お世辞抜きで部屋の空気は涼しくなり始めていた。
 さきほどの落雷後雨が降り出し、流れてくる風がやや冷たいせいだろう。
 そんな中、殿・曹操は1人不服そうに口を尖らせた。

 「ワシは全然涼しくない」

 腕を組み、ムッツリと面白くなさそうに顔を歪めた。

 「むしろ暑い。始める前より暑くなったぞ」 

 そう言い切るわがまま君主に、やれやれとは歩み寄った。 

 「何言ってんですか、雨も降ってきたし本当に涼しくなってき…殿!!!
マ ン ト 燃 え て る !!!」
 「なっ…!
ぬぁっ!!!マジで燃えて…!!熱ッッ――!!

 不用意にロウソクのそばで座り込んでいた曹操。
 風に揺れる彼の長いマントはまんまと点火し、メラメラと燃えさかっていた。
 
 「うぉい!こっち来るな孟徳!!」
 「う、動いたら余計燃え広がりますぞ殿!!」
 「殿、なんだかスタントマンのようですわ!」
 「何でワシのマントが燃えてるんだ!謝れ張遼!!」
 「そんなことまで私のせいにしますか!」
 「いいから、誰か殿に水を!みずー!!」
 「外出せ外!雨で消せ!」
 「おい!一国の主を足蹴にするな!!」

 燃焼系曹操のおかげで、気温グングン上昇中。
 魏国の暑くて熱い夏…只今真っ盛り。
  






 残暑見舞い配布品とさせて頂いた魏軍ドリです。
 夏はもう終りましたが、基本的にフリー作品なのでお持ち帰り自由です(いらん)

 よければおまけSSもどうぞ → そのころ呉では   いっぽう蜀では