陸遜の紹介でやってきたが呉軍入りしてから一ヶ月ほどの時が過ぎて桜も散り、すでに新緑が眩しい季節に近付いていた。

 最初表情ひとつ変えないを小生意気なガキと敬遠していたが、接する機会が多くなるにつれて周囲の者達は彼がイメージと異なることに気づいた。
 仕官の経験は無いということだが、読み書きもそこそこ出来るし、礼儀正しい。
 仕事を教わる態度なども謙虚かつ熱心で、非常に真面目だった。
 表情の変化は乏しく口数こそ少ないが、決して気難しいわけではなく長く他人と関わる事が無かったために人付き合いというものに慣れていないだけだったのである。
  
 実際、は戸惑っていた。
 多くの人に囲まれ、恵まれた生活を送ることが出来るこの状況に。
 口下手(どころか無口)でコミュニケーション下手な自分に、呉の中枢とも呼べるこの職場はとても適任と呼べるものではないだろう。
 しかし、わずかでも拾ってくれた陸遜や受け入れてくれた呉の人たちの恩に報いる為、慣れぬ環境に悪戦苦闘しつつもは日々努めた。
 
 礼を忘れず、誠意を尽くし、武将や使用人に関わらず城内で行き交う人に全てに挨拶をする。
 いしつか、たどたどしくも一生懸命に心を開こうとするそんな彼の姿を誰もが微笑ましく感じ女官達などからは黄色い声が上がるような存在になっていた。



 その事件が起こったのは、そんな頃のことである。



 「どうだ殿。初めて船に乗った感想は?」

 「・・・ゆ、揺れます」
  
 「はははは!それはそうだろう。らしいな」

 ここは無敵を誇る、呉軍ご自慢の船の上。
 水上戦はまだ経験がないというの為に、じゃあ船に乗せてやると甘寧が申請してくれたのだ。
  
 「何事も経験だからな」
   
 そう言って孫権はあっさり大型船を一隻、ポーンと出した。
 (孫策はその時留守だった。2、3日前に虎狩りに出かけ、獲物を追ったっきり戻って来ない)

 金持ち孫家。なんともブルジョアジーな香りたちこめる気前の良さ。

 手の空いている他の武将、周泰・太史慈・呂蒙なども乗り込み、ちょっとしたレジャー感覚で長江へと繰り出した。

  
 「甘寧様・・・ありがとうございます」
  
 昼間っから酒を片手に鶏肉食ってる甘寧に、は礼を言う。

 「おう!今のうちに船に慣れとけな!」
 
 飲みきった酒ビンを放って、の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
 無口ではあるが子供のように素直なこの少年を、甘寧はとても可愛がっている。
 最近ようやく喜怒哀楽が少しずつ(ミリ単位だが)表に出てくるようになってきたの変化を、彼は嬉しく思っていた。

 「・・・・空瓶をそのへんに捨てるな」

 「なんだよ周泰、後ろにいたのか」
    
 当たるところだった、と言いながら手にした瓶を甘寧の目の前で振る。
  
 「・・・・、船酔いはないか?」

 頷く

 「そうか・・・」
  
 周泰はフッと短く笑う。

 「俺は酔ったがな・・・」

 船に乗りたての頃か?と甘寧が尋ねると、静かに答えた。



 
「いや、今現在の話だ・・・・」



 顔、ものすごく青い。



 「ぅ」



 「うわぁぁぁぁっ!!周泰!外へに吐け、外に!!」

 「こ、こっちには来てくれるな!!」  

 「ていうかならまだしも、なんでてめぇが酔ってんだよ!!!」
 


 数刻後、静寂を取り戻した船上には、スッキリ顔一人とグッタリ顔3人の武将たちの姿があった。
 
 優雅な午後の昼下がりを一瞬にして地獄絵図へと変えた男・周泰は、実にすまし顔で山々なんぞを眺めていた。
 しかも「考え事をする渋い俺風」な、ちょっと絵になるポーズなんか取っている。
 腹立たしい事この上ない。

 この野郎・・・・

 皆様、結構ムカついたらしい。
 3人はそぅーっと周泰の背後に近付き、いっせーのーでっと川へと突き飛ばす、
 
 ・・はずだった。

 さすがは歴戦の戦士、体中に刻んだ傷は伊達ではないらしく、殺気を感じて3人をスルリとかわした周泰。
 そしてその先には、同様に景色を見ていたの姿が。
 普段ならば避けることが出来たであろうが、初めての船上からの眺めにすっかり見入っていた彼はゴツイ男3人の激突をまともに食らった。

 ドンッ

 体重の軽いは見事に吹っ飛ばされ、大河へ投げ出された。

 
「「「――――――――!!!」」」
  

 その時、周泰も含めた4人の脳裏には、怒りに燃えさかる(ついでに他の物も燃やしちゃう)
 鬼軍師の般若のような顔が浮かんだ。
  
  

 「大丈夫か?!」
 
 全身ずぶぬれのに、4人は大慌てだ。
 純粋にのことも心配だが、世話係・陸遜の反応はもっと心配だ。
 風邪でもひかせようもんなら、次の戦で
敵本陣ど真ん中に配置されることも覚悟しなければならない。
  
 「とにかく、なんか拭くもん・・・」
  
 「俺が取ってこよう」
  
 「俺は着替えを・・・」

 そう言って、太史慈と周泰は船室へ向かった。

 「濡れてひでぇな。とりあえず、それ脱げよ」
  
 しかし、は首を横に振る。

 「何いってんだ。体冷えちまうぞ」

 「そうだ。体に障る」

 は頑として応じない。
 いつもは素直な彼がこのような態度をとるのは初めてで、2人は不審に思った。
 どうした?と尋ねても首を振り続けるだけである。
 そんな状況に業を煮やした甘寧が行動に出た。

 
「もーーいいから脱げっつーの――――!!!!」

 「!」
  
 強引に、抵抗するの上着を脱がせた。
 というか、剥いだ。
 
  

 「・・・・・・・・・・え、」

 

 甘寧は頭の中で、今までの過去の思い出がめまぐるしく流れていくのを感じた。
 やんちゃな坊主だったあの時の俺、やんちゃな海賊だったあの時の俺、やんちゃな武将になったあの時の俺・・・・。
 甘寧の人生走馬灯が呉軍に降ったあたりに差し掛かった頃、絹を裂くような悲鳴が響いた。


 「きゃああああああああああああああああああぁ!!!!!」