君主孫堅をはじめ呉軍に属する全ての武将が一堂に会した城で最も大きな大広間。
 大抵会議と名のつくものは厳粛なムードで粛々と進められるものだが、この国の場合は出席者が早弁、口喧嘩、編み物などなど好き勝手に振舞っている為、進行役の周瑜の声も孫権の叱責も聞いてるんだか聞いてないんだかわからぬまま、適当に終るのが常である。
 しかもそれが日の昇りきらないうちに始まる朝議ならば尚のこと、居眠りしたり熟睡したり寝言言ったりと、緩るみきった雰囲気に更なる拍車をかけてくれる。
 要するによっぽど気を引くような議題や報告でない限り、この国でまともな会議は期待できない


 ――― はずだったのだが


 その日の朝議は、いつもの風景とはまるで違っていた。
 
 室内を支配する、不安ほどの静寂と張りつめた空気。
 おのおの神妙に席に着いた出席者達は、居眠りはおろか私語一つ交わすことなく、ただ黙して進んでゆく時間に身を置いている。
 普段のだらけた具合からは想像できない、この「模範的な会議」の図はどうしたことだろう。
 これでは、真っ当な軍みたいではないか(それでいいじゃないか)

 しかし、読み上げられている先日の戦績報告、予算の議案、今週一週間の献立などなど、それらに皆が真剣に耳を傾けているかと思えば、実はそうでもなかった。
 確かに全員大人しく、そして奇妙なほど姿勢正しく座ってはいるが、彼らが集中しているのはもっとずっと別のことである。


 (・・・もうっ・・・!ちょっと・・・みんな見すぎだから!!)


 そんな中、心中で声にならない叫びを上げていたのは尚香姫である。
 いつもとは180度異なる今朝の様子に、彼女はひどく焦っていた。  
 大声を出せずにいる苛立ちを込めた握りこぶしを机を打ちつけ、今にも叩き割る勢いである。 

 半数以上欠席も当たり前のいい加減なこの国の朝議が、今朝は一人も欠けることなく席に着いていた上に、定刻通りの開会。
 そのあたりから嫌な予感は感じていたのだが、まさかこうまであからさまとは尚香も思わなかった。 


 (そりゃ、気になるのはわかるけどさ・・・わかるけどさぁ)

 
 すでに数箇所ヒビが入った机から鉄の拳を離し、尚香は軽く頭を抱えた。
 
 
 (あまりに不自然すぎるんだっつの!!気付かれたらどーすんのよ!!)

 
 尚香は伏せがちだった顔をガバッと上げ、向こう側の席でこの場で唯一いつも通りの態度を保っている小さな剣士に目を向けた。
 彼女の視界に納まった黒髪のその人物は、向けられた視線に気付くこともなく至極真面目な表情で席に着いている。
 ただしその「視線」は、尚香から投げられているものだけではなく、矢印で表せば集中線にでもなろうかという膨大な数であり。


 
 常日頃から騒がしく、お祭り状態の呉武将達がこうまで静かに固唾を飲んで見守っているもの

  ―― それは軍で最も幼い武将・と彼女の視線の先の君主孫堅の姿であった。
 
 

 
 『が孫堅様に懸想しているらしい』 


 
 最初は孫兄弟や陸遜を始め、第一発見者(こう呼ぶのが正しいのかどうか)である甘寧と呂蒙のみが認知していた非公開の事実であるが、秘密というものは得てしてどんな話題よりも人の心を惹き付けるわけで。
 「ここだけの話なんだけど」と1人が喋り、その1人が誰かに話し、またその誰かが ―――― それはまるでねずみ講のごとく。

 そんな具合で「ここだけの話」はペストの感染力並みの速さであっという間に城全体に広まっていき、今朝の朝議が開催されるまでには、結局全員の知るところとなったわけである。
 おかげで出席している武将、いや彼らだけではなくこの場に居る文官侍女衛兵あらゆる呉の関係者が興味津々(中には敵意むき出しの者もいるが)でウワサの2人に熱視線を送っていた。
 話題独占の視聴率100%。
 もはや完全に現在のメインは会議ではない。
 本来まとめる立場である司会の周瑜までが、と孫堅に視線釘付けの始末。
 おかげで報告書を読み上げる際に噛みまくったり、議案の順序を間違えたり、2人に注目しすぎて発言に妙な間があったりと、会議の進行はこれまでにないほどグズクズな状態である。

 
 そしてその注目に答えるかのごとくに、孫堅が何か発言する度わずかながらもが反応を見せるものだから、場の盛り上がりは(静かながらも)留まるところを知らない。
 控えめかつ真っ直ぐに孫堅を見つめる彼女の視線は明らかに主を慕う家臣として以上のものがあり、例の噂を確信するにはその姿は充分すぎるほどの説得力である。
 何しろ、瞳がキラキラとしている。
 元々の黒い瞳は果てに広がる宇宙(宇宙と書いてそらと読む)のごとく美しくあるが(陸遜談)主の座に収まっている孫堅の姿を眺める目はまた一段とまばゆい輝きを放っているのである。
 普段の彼女を知り得ている者ならば、そのささいな違いに気付いてしまうことだろう。 

 無論、好奇心まるだしの武官連中を心で非難しつつも、結局彼ら同様ずっとを目で追い続けていた尚香もすぐさまそれを察した。
 伊達にいつも追い回して猫かわいがりしてるわけではない。
 普段は感情表現に乏しいあのが、眩しいものを見上げるような瞳で自分の父を見つめている。
 その表情は今まで尚香が見たことのないもので、今朝まで半信半疑だった「の桃色片思い説」を確信すると同時に、一抹の寂しさを覚えた。
 雛の巣立ちを見守る親鳥の気分とでも言えばいいのか。
 自分の手から離れてゆくという喪失感がほんのわずかに、だが確かに、尚香の胸には広がった。
 姉のような立場である自分ですらこうなのだから、命の陸遜はさぞや穏やかではなかろう、と尚香は陸遜の心境を推察してはみたが、特に同情はしなかった。
 
 尚香にとって大切なのはであり、陸遜がどうなろうと知ったことではない。
 さえ幸せなら、相手が父であろうが誰であろうが、もういっそのこと呂蒙だろうが構わないのである(呂蒙に失礼である)

 ただ、そうなると陸遜が黙っちゃいないだろう。 
 敵は、無駄に一途な男。
 どんな手を使っても、妨害、いや下手すりゃ暗殺に及ぶはずである。
 悪い魔法にかかってるんだか何だかわからないが、陸遜を全面的に信用かつ信仰してしまってるので、おそらく上手く丸め込まれるであろう。
 しかもあの性格からして、自ら孫堅に想いを告げるような行為に出るわけがない。
 このまま黙っていては、陸遜の手ですべて闇に葬られる。





  
 ――― そうはいかないわよ





 何かの決意を固めるように、尚香は1人そう呟いた。