「なんつーか国王じゃなくなるとヒマだなー」

 「なに言ってんだか、仕事してたことなんかなかったくせに。常にヒーヒー言ってたのは権兄じゃない。まあ今もヒーヒー言ってるけど」
 
 「仕事量だけならアイツが君主だよな。なんで親父とか俺がやってんだろーな」

 「年功序列なんだから仕方ないじゃない。例え馬鹿でも」

 「馬鹿って親父?それとも俺か?」

 「どっちもよ」

 身内にも容赦なく厳しい尚香は、兄である孫策の私室でのどかなひとときに身をゆだねていた。
 父が死の淵から舞い戻って(別に死んでもいないし死にかけてもない)以来、事件も騒動もなく実に穏やかな日々が続いている。
 孫堅の帰還自体が充分波乱だったので、その後がやたらと平穏に感じられるのではないかと思うが。
 とにかく、このところ小鳥が歌い木々がさざめき、というような絵に描いた平和っぷりなのである。
 要するに、刺激的生活を常に求める爆弾姫尚香と向こう見ず大将の孫策は退屈で仕方がないのだった。 

 「こう、パーッと事件でも騒動でも起きねぇもんかな」

 「ホントよね、例えば突然殺し屋が乗り込んでくるとか」

 思考回路が姫として間違っている。
 もっとファンシーなことを考えられないものか。物騒である。バイオレンスである。

 「いきなり殺し屋か・・・ちょっとあり得ねぇな」

 「ま、あり得ないわよね」

 有り余る暇を憂いつつ溜息を吐いたその時、突然地響きのような揺れが2人を襲った。
 

 
「誰かそいつを捕まえろ!!孫堅様の命が危ね―――!!」








 
・ ・ ・ ・ ・ 殺  し  屋  来  た  る  !!!!!









 
 思いつきがまんまと現実となってしまった2人は、「それは大変だわっ」とか「まずいことになったぜぇ」とか深刻そうに呟き、すぐさま武器を手にして部屋を飛び出した。
 しかし明らかにその表情は嬉々としている。 
 心の中では「夢☆実現バンザイ!」とか思っているに違いない。

 
 「通るんなら俺を倒してからいきなァァァ!!」

 「やっだ策兄!興奮しすぎて声キモ!」 

 ウキウキ感を隠しきれてないお2人さんは、とりあえず通路の真ん中に立ちはだかった。
 真っ直ぐと続く長く果てしない廊下の向こうから、何かが凄まじい勢いで突進してくる。
 近付くにつれ、揺れがますます激しくなってきた。地響きの原因はこれである。
 
 「・・・イノシシ・・・かな」

 「殺し屋が?」

 近付く速度が早すぎて、目で確認できない。
 遥か遠くだったその影は、あっというまに目前まで迫ってくる。

 「どーする?」

 「よし、とりあえずコレでいこうぜ」

 孫策と尚香は廊下の端と端に立ち、行く手をさえぎるように網を張った。
 普段は狩ったトラを運ぶ際に使われるかなり大きいものである。
 城全体を揺るがす振動を放ちながら突っ込んで来た塊はまんまとその網目にかかり、2人はその勢いに少々引きずられながも何とか食い止めた。
 まさに大捕り物である。

 「・・・っもう、網破けるかと思ったわよ・・!」

 誰に言うでもない独り言のような苦情を吐きながら、尚香はあまりの衝撃に思わず瞑ってしまった目を開いた。
 この前のやたらとデカい虎だってこんなに重くはなかったと、と眉根を寄せかけたが、すぐにパチクリと大きな瞬きにとってかわられたのでそれ以上彼女の綺麗な顔が歪むことはなかった。
 
 「・・・・つまんないもん引っ掛けちゃったわね」
 
 「何してんだよ、こいつら」

 網の中には、見覚えの有る顔が2つ仲良く並んでいた。









 

 

 
「え―――――― !!が父様に桃色片思いィィ―――――― ッッ?!!!」




 「いや桃色かどうかは知らないっすけど」

 「そうですよ、勝手なこと言わないで下さい。寒気がします。桃色というかむしろ喪色です」

 
 未だ網の中で、しかも尚且つ手足を縛られた状態だというのに陸遜はいつも通り、いや普段以上の毒を撒き散らしていた。
 その目の前にはまぶたが裏返りそうなくらい目を見開ききっている孫策と尚香。
 特に尚香などは驚き過ぎてつい勢い良く立ち上がってしまい、卓の上の茶碗が床に叩きつけられるほどである。
 それが落下する際に茶碗の中の熱い茶が甘寧の膝にかかり、彼は悲鳴を上げた。
 ちなみに何の罪も犯していないはずの彼も、陸遜と同じく何故だか手足の自由を奪われて網の中である。

 何故か釣れてしまった武将2人を大漁大漁とばかりにそのまま孫策の私室に引っ張り込んだはいいが、なんだかわからないのでとりあえず縛り上げてみた孫兄弟。
 違う!俺は違う!と必死で訴え続ける甘寧の話を適当に聞いているうちに、彼の口からが孫堅に恋心を抱いているらしいという驚愕の台詞が飛び出したというわけだ。 
 
 「いやーいやいやいや・・・・・そうきたか・・・」

 頭を軽くかき上げながら、尚香は脱力したように再びドサッと椅子に体を預けた。
 がねぇ、などとブツブツ呟きながら頬杖をつく。
 
 「・・・それで頭に血が上った陸遜が父様の首を狙った、と」

 「やっぱマジ殺し屋だったな」

 「ねーホントよねー。でもまさかそれが内部の人間とはねー」
 
 退屈に音を上げて刺激を求めたのは事実だが、まさかここまで陰惨な種類の騒動が持ち上がるとは驚きである。
 しかもそれが痴情のもつれという昼ドラ的な俗っぽい原因だというのだからみっともない事この上ない。
 
 「呉国始まって以来の事件だな、初内乱か」

 「ちょっ・・まだ未遂っスから!!」

 「いや、私は何度でもチャレンジしますが」

 「お前も変なファイト燃やしてんじゃねぇ!」

 嫌な同僚と嫌な兄弟に周りを固められ、甘寧は気の休まる暇がない。
 しかもさっき陸遜の追跡で無双乱舞を多用した為、彼の疲労は著しかった。あの毛のオッサンは一体何をしているのかと恨みたくもなる。
 
 「しっかし、まさかのタイプが年上とはねー」

 本当に意外だったのだろう、尚香は心底気が抜けたように大きく息を吐き出した。
 妹のように可愛い可愛いに突然そんな浮いた話が持ち上がって、多少寂しく思ったのかもしれない。

 「あ」
 
 しばらく椅子の背もたれに体重をかけてぼんやり天井を眺めていたが、同じくだらしない姿勢で椅子に腰掛けていた隣の兄が上げた短い声に尚香は体を起こした。

 「なに、どうしたの」

 「もしあの2人が上手くいっちまったら、もしかして俺たちの母親か?」

 孫策はいつものように無邪気な顔で愉快そうに笑った。  

 「すげー若いおふくろだな!ぎゃはははは!」

 ただ、みんながみんな自分のように無邪気だと思っては大いに危険だ。 
 世の中には邪気満載の生き物だっているのである。
 そう、例えば、目の前で縛られている少年とか。

 「・・・・そのアゴ髭はいい導火線になりそうだと、前々から思っていました」

 人間やる気になれば瞳を青白く光らせることが出来るのだなぁ、と感心してしまうような恐ろしい眼が孫策に向けられている。
 
 「別にいいんですよ血を受け継いでいるその息子から手をかけても・・・順番が変わるだけですから」

 「陸遜、あれは孫策様の軽い冗談だっ!多分孫家流ジョークだ!」
 
 「兄様、ヒゲ隠しておいた方がいいわよ。そこから点火されてあっという間に丸焦げよ」

 「おー・・・いま人生で初めて、念力で殺されるかも知れない恐怖を感じたぜぇ・・」 
 
 うっかり口を滑らせたら殺られるという緊迫した状況では話し合いすらままならないので、ロクでもない発言は控えると孫策に誓わせるなど、どうにか手を尽くして放火の神に怒りを静めてもらった。
 いまでこそ孫堅に座を譲ったが、元・君主をこの扱いである。
 すでに充分反逆罪に値しているのではないだろうか。

 「ま、気持ちはわかんないでもないんだけど・・・・・でもさぁ」

 呉でもう1人の鉄の心臓を持つ尚香が松の実をガリガリとかじりながら、陸遜にジロリと視線を投げる。
 
 「父様がいなくなったところで、があんたのものになるとは限らないじゃない」

 「今のままよりはずっとマシです。ライバルが1人消えれば、おのずとチャンス到来です」

 到来というよりも無理矢理力ずくで自らチャンスを引きずり込んでいる。
 今更だが本当にこの男、手段を選ばない。

 「まあ待ちなって。もしが父様に本気で惚れてた場合、そんなことした日には今まで培ってきた陸遜の信頼は地に落ちるよ」
 
 「・・・・・・私が彼女に知られるようなヘマをするとでも?」

 「上手く欺いて隠し通せたとしても、アンタのキラキラした目まっすぐ見れる?」

 「・・・・(想像中)・・・・・・・・・・・・うっ・・」

 「汚れひとつないあの瞳が、何一つ疑いなく見上げてくる純粋ビームに耐えられる?」 

 「・・・・・・・・・・・くぅ」

 自分のシミュレーションに予想以上のダメージを受けてしまったらしい陸遜の悪オーラは、火力が弱まるようにほのかにしぼんだ。
 火を司る悪魔の唯一の弱点は、正反対の資質を持つ無口な天使である。

 「とりあえず、もう少し待ってみなって」

 ここは女の子同士私が探りを入れてみるから――― と、訝しげに見上げる陸遜にお構いなしで尚香は云った。
 
 「どんだけが父様のことマジなのか、確かめてからでも遅くないでしょ」

 「――― 」

 説き伏せられた陸遜は、しばらく眉間に皺を寄せたままでいかにも納得いかぬ様子だったが、やがて観念したように小さく舌打ちを漏らした。
 主君にすら殺意を抱かせたのもへの愛ならば、それを踏みとどまらせるのもまた、やはり愛なのである。
 結局彼女のことを想うと、自分本位に動くことが出来ない(動いてる、充分動いてる)

 「・・・・・・・いいでしょう。おあつらえ向きに近々朝議が開かれますからその際に探りでも何でも入れて下さい。しかし私の殺すリストから孫堅様が外れたわけではありませんからね。命の期限が延びただけです」

 わかったわかった、と尚香はあしらうように軽く手を振った。
 一応、実の父が危機にさらされているという非常に緊迫した展開のはずなのだが、何しろ国内では一度死んだものとされている男である。
 子供たちからこのような扱いを受けたところで、致し方ない立場なのかも知れない。
 
 「そうと決まれば、今度の朝議、寝坊しないようにしねーとな」
 
 「陸遜、火気の持ち込み禁止だからね」

 「いくらなんでも、朝議の真っ最中に火矢放ったりはしませんよ。やるんならもっと人目の少ない状況を狙います」


 そんな打ち合わせよりまず先に、この縄を解いて欲しいと思う甘寧だった。