カチッ



  


 カチッ






 カチッ







 静まり返った室内に、無機質な音が繰り返し響いている。

 部屋の中には呂蒙、甘寧、陸遜。
 昼間だと言うのにやけに薄暗く、全員が醸し出す負のオーラを反映しているようだ。
  
 椅子に腰を下ろした3名は小さな卓を囲んで、それぞれ最高に縁起の悪い顔を突き合わせている。

 あれから呂蒙と甘寧の2人は、生気を失ったような陸遜を引きずってとりあえず呂蒙の私室へと一時撤退した。
 あのまま放って置いたら、50年経っても動かずに立ち尽くしてそうだ。
 少々性格に問題があっても(少々か?)これからの呉には、必要な頭脳である。
 庭でむざむざ風化させておくわけにはいかない。


  

  
 
 カチッ



  
  

  
 カチッ







 「お・・おい、陸遜」



 耐えかねた甘寧が、勇気を振り絞って声を出した。


 さっきのの一件は、どうにもこうにもショッキングだった。
 受け止めるにはしばらく時間がかかる。
 今の甘寧には、それほど精神的余裕はない。
 本来ならば、1人部屋で泣きながら飲んだくれていたいほどの衝撃度合いである。
 
 
 しかしそれ以上に、卓の向かい側で、  
 死んだ魚のような目をしながら、ライターを点けたり消したりしている陸遜。


 この存在が、いまは何よりも気にかかる。



 カチッ




 カチッ・・・・
バキィッ



 
(( ライター折れた―――!! ))


 どれだけ強く握り締めていたのか、陸遜の手の中でライターは木っ端微塵に吹き飛んだ。
  
 中のオイルが四方八方に飛び散り、陸遜はもちろん、対面に座っていた甘寧と呂蒙の顔にも当然それは降り注ぐ。
 だが、今の陸遜に文句を言うなんて行為は、ムシャクシャしているヤマタノオロチに因縁をつけるようなものである。
 そんな命を粗末にするようなことが出来るはずもなく、2人はただ黙って自分の着物でゴシゴシと拭いた(不憫)

 華奢な外見からは想像もつかない握力の強さを見せ付けた陸遜は、拳を握り締めたままピクリとも動かない。
  
 そんな壊れかけた軍師の様子を、顔中油まみれの甘寧と呂蒙はハラハラしながら見守っていた。
 何か妙な胸騒ぎがする。
 ただの気のせいであれば良いのだが、大抵こういう嫌な予感というのは的中してしまうのだから始末が悪い。


 石像のように固まっていた陸遜は、やがてゆっくり動き出し、虚ろな目のままで口元に飛んだ滴を親指で拭った。

 その指に付着した油を、ペロリと舐めた瞬間。

 2人は見た。



 濁りに濁っていた陸遜の瞳が、狂ったように燃え上がったのを・・・・!

    

 こんな陸遜は見たことがない。
 今までだって充分に凶悪だったが、この目の前にいる陸遜とは比較になるまい。
 迷惑な話だが、彼の中の何かが覚醒してしまった。
 サナギから蝶へとなるように。
 サイヤ人が超サイヤ人になるように。  
 陸遜も超陸遜に進化してしまったのか。

 これ以上の成長はいらんよ陸遜!


  

  
    




 「・・・フ・・・どうしてやりましょうか」


  




  
 どこか遠くを見たまま、誰に語りかけるでもなく陸遜は呟いた。
 そしてもう一度、力強く言葉を繰り返す。
  

  

 「どうして、殺りましょうか」

  


  

 
陸遜――――っ!!!!





 「何怖く言い直してんだよ!!すんげー鳥肌立ったじゃねーか!!」

 「頼む陸遜!なんとか思いとどまってくれ!!」


 椅子がひっくり返るほどの勢いで立ち上がった二人の顔は、焦りのあまり青ざめている。

 
殺る、と陸遜が言った。
 誰を、なんてことは聞かなくても分かる。

 この流れでいけば、陸遜の標的はただ一人。
  
 大事な彼女の心をかっさらっていった(と嫌疑をかけられている)、先ほどの恋泥棒・孫堅文台。

 この国の王様を討つと、この小僧はのたまったのだ。

 冗談でもタチが悪いというのに、本気だからなおのこと手に負えない。


 「お前、一応家臣だろうがよ!」


 一応、と語られてしまうあたりが陸遜らしい。

 その当人はというと、必死の形相で制止する二人の声などまるで聞こえないようにどこか遠くを眺めていた。  
  

 なんだ。

 何を見ているんだ陸遜。

  
 黒い炎に包まれた彼の視界から、確実に甘寧と呂蒙は外されている。
 視界だけではなく、思考からも完全にフレームアウトであろう。
 何から何まで燃えたぎって煮えたぎっている今の陸遜には、雑魚(酷い)に構っている余裕など残っていなかった。
  

  

 とてもとても、大切にしてきた。
 内も外も傷だらけにしながら、1人で歩いてきた女の子。

 最初は、その腕に惚れこんだ。
 無駄がない。迷いがない。焦りがない。  
 どう戦えばよいかを、熟知した動き。
 大勢を敵にまわし、1人で戦うことに恐ろしく慣れている。
 さぞかし、手にしている見事な得物さながら切っ先の鋭い雰囲気の剣士だろうと思ったのだが。
 覗いた瞳と、時折零れてくるキラキラと壊れやすいものに、彼女の本質を見た。
 透き通るほどに、綺麗だった。
 もちろん外見のそうだが、その奥に隠されている命の美しさといったら。
 ひたむきでまっすぐで、儚くも力強く、そして真っ白に生きている。

 彼女を見て、子どもの頃に捕まえた蛍のことが頭に浮かんだ。
 ・・いや正確に言うと、蛍が手の中で放った柔らかい光を、思い出したのだ。 

 その瞬間から、は陸遜の”たからもの”になった。
 蛍は夏が終れば消えてゆく運命だが、彼女は違う。
 これ以上、独りでいることに慣れさせてはいけない。
 これ以上、明日という日を遠くに感じるような日常には、置いておきたくない。

 彼女を、人生ごと守ろう

 そう陸遜は誓った。
 悲しかったこと、辛い思い、失ってしまった大事なもの。
 その苦しんだ分を倍にしても足りないくらいの、あらゆる幸福をこの子に贈ろう。  
 痛々しい過去は消すことが出来ないけれど、せめてこれから作られてゆく思い出は、すべて温かなものになりますように。
 笑って過ごす時間が、少しでも増えますように。
  
 あの小さな手を取って、ゆっくり歩いてゆこうと。
 いつか幼い彼女が、自分に気持ちを向けてくれるまで、いつまでも待っていようと。



  
 そう思っていたのに。  


  
 卵から孵るヒナを思って、親鳥のように温めていたというのに。



 エジプトだかプルーンだか知らないが(プしか合ってませんよ陸遜さん)

 遺跡巡りから返って来たあの無精ひげなんぞに持っていかれるとは・・・・!   



 「孫呉の終わりが見えてきましたね・・」

  
 腰にぶら下げていた剣を、陸遜は力強く握った。  
 終わる、というか終らそうとしているのだけれど。


 「それじゃお前、ただのクーデター犯だ!!」

  
 「ああ、それでも結構ですよ!!」

  
 呆けたように独り言を吐いていた陸遜は、キッと甘寧を睨み飛ばす。
 内乱の企てをアッサリ認めてしまった軍師の反応に、呂蒙は泡をふいた。
 呉国、大ピンチ。
 3国が覇権を巡って熾烈な戦いを繰り広げる中、思いっきり脱落の危機を迎えている。
 本格的な戦はまだ始まっていないというのに、自爆で戦線離脱とは不甲斐ないこと山の如し。
  
 「け、結構ってお前なぁ・・・」

 「悔しくないんですか、貴方たちは。君主だかなんだか知りませんが、ポッと帰ってきた親父に殿を持ってかれて、何とも思わないんですかぁ!」

 語尾の「かぁ!」の辺りで、ブン投げられた陸遜の剣は甘寧の頬スレスレをかすった。
 成功させる気のないウィリアム・テルは本当に怖い。
 殺ってもいい勢いの八つ当たりは陸遜の悪いクセである。

 「・・・・・・そんなのっ・・私はっ!・・・」 

 そのまま呂蒙に点火でもしそうな傍若無人陸遜号だったが、突然しおれた水仙のように力なく肩を落とした。
 さきほどの荒々しい様子から一転、消え入りそうな声でポツリと呟く。
 
 「・・・・・私は・・・・・・黙ってなんか・・・いられません」
  
 「「・・・・・・陸遜」」

 平素からは想像できない彼の頼りなげな姿を目にした甘寧と呂蒙はただぼんやりと名を呼び、そして不意に思い出す。
 この陸遜という男の齢はまだ、たったの17だということを。

 そう、まだ彼は子供であった。
 小さな恋に対して欺くことも見限ることも出来ず、当たり前のように傷つくただの幼い少年だったのだ。

 戦場で見せる並外れた判断力と日常生活で見せる桁外れの鬼畜さに触れるうち、すっかりそれを失念していた。
 哀しくてたまらないのだ、陸遜も。
 激しい怒りとデンジャーな発言の奥にはいたいけな想いの粒が詰まっていたのかと思うと、喉をジワリと熱いものが上がってくる。

 「・・・・・この気持ち・・あなた方にもわかるでしょう・・?」

 「・・うむ・・わかるな」

 「俺たちだって、長いことと一緒に過ごしてたんだからよ」

 潤んでゆく瞳と鼻をすすりながら、甘寧と呂蒙はしんみりと相槌を打った。

 「・・・このまま幸せな時がずっと続くと・・思っていたんです・・!・・」

 「・・ああ」

 「・・・・・まさか・・殿がオヤジ好みだとは思わなかったんです・・・!!・・」

 「・・ああ」

 「・・だから今こそ、討ち入りなんです!」
 
 「・・ああ・・・・・・・・・・・・・・・・・
ッて、危ねぇ―――!!うっかり納得するところだったぜ!!ちょっ・・おい陸遜!待てこの野郎どこ行く気だぁ!!」

 情にほだされてとんでもない相槌を打ってしまった甘寧だったが、それでもすぐさま我に返って、どこかを目指して駆け出していった陸遜を大慌てで追いかけ始めた。



    
 「ああ・・・・討ち入りな・・やむを得ないかも知れないな・・」

 目を閉じたままの呂蒙は未だ気付かず、1人でまだ相槌を打っていた。