「

 甘寧がそう声をかけると、宮廷への道をまっすぐに進んでいたの足がピタリと止まった。
 そしてその場に立ち尽くしたまま、辺りをキョロキョロ見回している。

 まるで母親を探す仔猫のようだ。
  
 「溺愛」という病で目を腐らせている甘寧と呂蒙は、同時にそう思った。
 思っちゃったんだから許してやってくれ。

 「おい、こっちだ」

 こちらから声をかけておいて、影からずっと眺めているわけにもいかない(変態である)
 甘寧はもう一度、手招きをしながら大声でを呼んだ。
  
 その声でようやく振り向いたは、2人の姿を確認すると、かすかに表情を和らげる。
 もう何度も目にしているというのに、その笑顔で男2人の頬はグニャリとだらしなく緩んだ。
  
 相変わらずの微笑みは、素人(何のだ)には判断しかねるような微妙さである。
 まだまだ、「笑顔」に分類しても良いものかどうか悩むべきレベルであることは否めない。
  
 しかしまた、そのわずかな表情の変化こそが周囲の者の心を溶かしているのも動かしがたい事実である。
 特に陸遜など、溶けるどころの話ではない。
 もはやそんなステップを通り越して、太陽の表面温度と同じ
60000度の熱で焼け付いている。
 心まで焦げ臭い男だ。


 まぁ、そんな怪談はさておき。


 手招きされたは2人のそばへ歩み寄ってきた。

 「あ、あのな、」 

 甘寧は深呼吸をひとつして、どう切り出すべきか言葉を選び始める。
  
  
 『新しい殿は、苦手か?』
  
 (・・ちょっと直球だよな・・・・)


 『どうだ最近の調子は?』

 (これじゃオッサンだろ)  
  

 『俺がついてるぞ』
       
 (いきなり過ぎる)


 『もっと頼れよ』
  
 (彼氏気取りか俺!)

  
 今ひとつ、上手い言葉が出てこない。
 甘寧が「あぁ」とか「うぅ」とか言いながら苦しんでいる横で、何故か一緒に呂蒙もうめいていた。
 どうやら彼も同じようにシミュレーションしていたらしい。
 そして、これまた同じように台詞が見つからなかったようである。

 「えーとな、・・・」  
  
 「うむ・・その、なんだ」
  
 二人揃ってモゴモゴと口ごもっている様子を、は不思議そうに見上げていたが何かを思い出したように、懐をゴソゴソと探りはじめた。
 しばらくして、その懐から現れたのは二つの小さな紙包み。
 それを右と左の手に乗せて、は二人の前に差し出した。

 「・・・ん?」    

 「くれるのか?」

 コックリとが頷いたので、甘寧と呂蒙はありがたく頂戴する。    
  
 「お!」

 包みの中は、菓子だった。    
 しかも、滅多に食べられないような高級品で、贅沢にも砂糖がふんだんに使われている。
 さっき会った際、周瑜から持たされていた書簡を手渡したところ「お駄賃だ」と孫堅がくれたのだそうだ。
  
  
 「おいおい、いいのかよコレ貰っちまって」
  
 「分けたらすぐなくなってしまうぞ?」

 珍しいものだろうに・・・と気遣う呂蒙の言葉に対して、は首を振る。

 「・・・珍しいから」
  
 そう言って、目をパチクリさせている2人を納得させるようにゆっくりと頷いた。

 珍しいものだから。
 あまり手に入らないものだからこそ皆にも食べて欲しい、とはそう言いたいのである。

  
 しばしの間、甘寧と呂蒙の2人は包みを手にしたままを見下ろしていたがそのうちフルフルと小刻みに震えだした。


  「「・・・ぅっ」」



 来るぞ来るぞ。


  
 恒例の涙腺爆発が来るぞ!








 
「「・・・ちくしょうっっ・・お前ってやつは――――!!!」」




   

 ほら来たー!!



 甘寧と呂蒙の感動ツボは、が絡んだ途端に水溜りより浅くなる。
 (感動ツボのみならず、萌えツボ、父性愛ツボ等その他モロモロあらゆるツボ全て)          
 そんな2人にとって今の彼女の発言は、ツボどころか秘孔を突くような強烈な一撃であった。

 初孫が初めて歩いた瞬間を目撃した祖父(54才)(誰だ)のごとく、武将2名はおいおいと泣いている。
 いつものパターンであれば、泣き虫呂蒙へ親切な甘寧が突っ込みを入れてくれるのだが、今回それは期待できそうもない。
 恐るべし、の思いやり攻撃。

  
 こんないじらしいを、いつまでも悩ませてはいけない・・・!

  
 思い込み機能が起動し始めた。
 存分に男泣きをかました後、2人は充血した目をへと向ける。 
 鼻をすすりながらも、先に口に開いたのは甘寧の方だった。 

 「・・・、ちょっと聞きたいんだけどよ」

 その台詞に、呂蒙が続ける。
  
 「あのな、殿・・・孫堅様は・・・どうだ?」
  
 やっとの思いで、2人がストレートなのか濁してるのか判別がつきにくい問いを投げた

 その、直後。  











 の透き通るような白い頬が、桜色に染まった。











 
「「・・・・・・・・・・・!!!!!」」



 普通の人に比べると、の心の動きは捕えにくい。
 それは彼女が、それらを表に出すことに長けていないせいであって、決して感情に乏しいわけではない。
 乏しいどころか、彼女は他の誰よりも素直で、幼子のような感受性を持っていた。 
  
 喜ぶ、困る、安心する、驚く。

 そんな様々な感情のシッポが、時々ほんの少し見え隠れしていることがある。
 彼らはいつもそれを捕まえて、無口なが持つ「内の言葉」を察していた。

 
 だが。


 今目の前にいるの気持ちは、シッポなんか捜さずとも明らかである。

 今まで色んな彼女の表情を見てきたが、こんなに分かりやすいのは初めてだ。
 そしてまた、こんな反応を示した彼女も、初めてだった。


  
 
どう見ても、恋する乙女ではないか。

   

 客観的に鑑賞するならば、2人の萌えメーターが振り切ってはちきれるほどの愛らしい様子だったのだが
 状況が状況だけに、動揺&衝撃メーターの方が敏感に作動してしまった。
 その反応たるや、勢い余って針が突き抜けてゆくほどである。
  
  
 「・・お、お前・・・・」


 身体内部の様々な故障により、口から煙やら変な機械音やらを出しっぱなしにしながら
 甘寧が声を絞り出すと、はハッと我に返ったように目を見開いた。

  
 「・・・し、失礼します・・!」
    

 いつもと同じく丁寧すぎるほどのお辞儀をして、慌てるようには二人の前から走り去る。
  
  
 甘寧と呂蒙は、突っ立ったまま呆然とその後姿を見送った。
  
 「まさか、孫堅様のことを・・・」

 「そんな、嘘だろ・・・」

 あまりのショックで、2人はなんだか10歳くらい歳をとったような気がした。
 瞬間的に体内水分が90%ほど蒸発してしまい、無性にカラカラである。
 風に吹かれるだけで、ポキリと折れそうだ。
 セミの抜け殻の方がまだ丈夫だろう。
  

 コツン


 いまや即身仏と化した呂蒙は、足元にかすかな感触を感じた。
 見下ろすと、かかとに書簡の角が当たっている。

 「こんな所になぜ・・・どこからだ?」

 書簡を拾い上げ、呂蒙は後ろに振り返った。







  
 
「キャアァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」










  

 「なんだよオッサン!いきなり悲鳴・・・
ッギャアアアアァァァァァァァ!!!」
  









 転がった書簡の後ろには。  
  





 2人と同様、カラカラになった陸遜が口を開けたまま立ち尽くしていた。
  






 甘寧と呂蒙の恐怖メーターの針は、過去最高の数字を叩き出した。