「――― というわけで、本日の議は終了にしたいと思」


 
「ちょっと待ったァァ!!!」


 全て予定を終え、会議を締めくくろうとした周瑜の声を、机を蹴り上げる勢いで立ち上がった尚香がさえぎった。  
 

 「ヒイッッ・・いきなりどうされました姫ッ・・」

 「ここらでハッキリさせておきたいのよ」

 「ハ、ハッキリとは?」

 これまでの静寂を力いっぱい破り捨て、たじろぐ周瑜を尻目に尚香はずんずんとの元へ歩き出す。
 妙に漢らしい姫のその行動に、場内は一気に慌しい雰囲気に包まれた。 
 全員青ざめながら「アナタ一体何するつもりなんですかぁぁ!?」という心境である。 

 とんでもないことをしでかしそうなお転婆姫を制止しようにも、なんと言って止めていいやらわからない。
 下手に口を出したらそれこそややこしいことになりそうである。
 どうすることも出来ず、武将達がぼんやりと事態を見守るだけのでくの坊と成り下がっているなか、いきなりの展開に驚くの前に尚香は立ちはだかった。
 
 「!」

 「はいっ」

 やけに威勢の良い尚香の勢いに押され、は跳ね上がるように立ち上がった。

 「あのね・・・・・・・」
 
 「はい」

 ためらいがちに目を伏せる尚香と、背筋を伸ばしたまま真っ直ぐ見つめる
 そして一丸となって身を乗り出してしまうギャラリー。

 近年まれに見る緊張感である。

 自分をじっと見上げるを前にしばらくの間逡巡していた尚香だったが、やがて意を決したように顔を上げ、
 
 「・・・・っ」

 力強くの両肩をぐっと握ってこう叫んだ。


 「今ここで父様への気持ちを打明けちゃいなさい!!」


 
ええええええええ!!
 
 
 尚香のその一声は、室内に張り巡らされた緊迫の糸を見事にぶった斬った。  
 
 さすがにこうなると、今まで静かに事態を見守っていた陸遜も黙っているわけにはいかない。
 
 「ちょっ・・・姫!!先日と話がまったく違うじゃないですか!!」

 確かに尚香はこの朝議での真意を確かめる、と。探りを入れてみる、と。そう語っていた。確かに語っていたのだ。
 だというのに、一体これは何事だ。
 探るというのはコッソリ裏から気付かれぬように足を踏み入れるものではないのか。
 だが彼女がとった戦法は、敵本陣に正面から全力で単騎駆。
 探りどころか、むしろ陸遜軍への奇襲である。

 「うっさいわね!もういいのよ!今そんなことは問題じゃないのよ!」

 「でも姫さん、ちょっとはの気持ちってのを考えてやってもいいんじゃないですか?」

 「の気持ちを考えたからこうなるんでしょーが!!ボヤボヤしてたらそこの腹筋自慢の思う壺よ!!この垂れ目ボクロ!

 「たっ・・垂れ目ボクロって!そのまんまだっつの!」

 さりげなく傷ついた凌統など気にかけもせず、尚香は再びに詰め寄る。

 「!チャンスは今しかないの・・・!あんたが思ったことを言葉にするのが凄く苦手な子だってのはわかってるけど、今だけは言わなきゃ駄目!!さぁさぁさぁ!」

 猛りきった尚香に両肩を揺さぶられ、小さなの頭は振り子のようにガクンガクンと揺れ動く。
 さあさあと促されても、これでは発言することもままならない。

 「姫!無理強いはやめて下さい!」

 「黙れこの悪魔!地獄へ帰れ!」

 「落ち着け!2人ともちょっと落ち着け!」

 「とりあえずをシェイクし続けるのはやめてやれ!」

 戦場でもないのに闘気みなぎる尚香と陸遜に及び腰になりつつも、甘寧ら他の武将たちは仲裁に入るため勇気を振り絞り戦線に飛び込んだ。
 暴れる虎の娘と火の精を引き離し、刃物を取り上げ、なだめたりすかしたり、殴られたり蹴られたり焦がされたり。
 校内暴力真っ只中な生徒と教諭の格闘のごとき荒れた状況である。

 「あ、の・・っ」

 尚香が取り押さえられたことによって捕縛からなんとか逃れることが出来たはぐらつく頭を支えつつ、激しい乱闘を続ける一団に問いかけるように声をあげた。
 騒然としたこの場では掻き消えてもおかしくないような小さなものだったが、流石と言うかなんというか、陸遜は真っ先にそれに気付き、取り巻く武将を跳ね飛ばして駆け寄った。
 
 「殿っ!いいんですよ、無理しなくても。孫堅様のことは・・・・一時の気の迷いということも充分考えられるんですから」

 「ちょっと!妨害はやめてよね!」

 さりげなく愛の告白を阻止せんとする陸遜に、再び尚香が背後から掴みかかる。
 これはまたしてもラウンド2開始か、と思われた時、渦中のがおずおずと口を開いた。

 「・・皆、・・私が孫堅様を見ていたこと・・・・知っていたんですか?」

 お互い牙を剥き合っていた陸遜と尚香、そしてそれを再び押さえようとしていた他の武官らも、思わず動きを止めてしまった。
 どう答えていいのか判断がつかぬようで、各自それぞれ猛烈に目が泳いでいる。
 雰囲気の重さに耐え切れなくなった甘寧が、しどろもどろながらどうにか返答した。
 
 「や・・まあ、その・・・ああ、ちょっと、気付いちまってな・・」

 気付いたというより、俺たちが広めちゃいましたという方が正確だが。

 そんな甘寧の(すごくの歯切れの悪い)言葉に驚いたように目を見開いたは、そのまま慌てて頭を深く下げた。
 
 「申し訳ありませ・・っ・・・分不相応にもこのような・・・っ・・」 

 「ちっ・・違うのよ!いいのよ!そういうことを言ってるじゃないのよ!」

 「そっ、そうだぞ!決してお前を責めているわけではなく・・!」

 「頭上げてください殿!あなたが謝る必要なんかないんです!」

 「相手が誰であれ、人間なんだからどんな感情を持つのも個人の自由であって・・なっ?」 

 尚香はともかく、それ以外の武将達まで何故か死力を尽くしてのフォローである。
 彼らは別に孫堅とくっついて欲しいなどと露ほども思っていないのだが、しょげる彼女を黙って見過ごせるはずもない。
 泣いた子をあやすように大の大人がオロオロと励ます中、は尚も首を振り自責の言葉を吐き続けた。

 「養って頂いている身でありながら・・」

 「身分はこの際関係ねーよっ」

 「・・・ですが、恐れ多くも主人である孫堅様を、」 

 「そんな偉いもんじゃないってばっ」

 「自分の父と重ねてしまうとは、無礼極まりなく・・・」

 「だからそんなの、気にしなくて・・・え?」







 
父?




 
 

 
 「ち、父?」

 「自分の父?」

 「お父さん?」

 「はい、死に別れた父に」

 突然飛び出した予想外の言葉に、取り囲んでいた全員の声は揃って裏返った。



 「・・・に、に、に・・・似てるの?孫堅様に?」



 するとは静かに首を振り、
 
 「・・・姿や外見はまるで違うのですが・・・・・・・声が、」

 とてもよく似ているんです、と小さく囁いた。

 「もう自立せねばならぬ歳になったというのに、未だ父の面影を追う自分を恥ずかしく思い・・・口に出せませんでした」

 それで、甘寧と呂蒙に問いただされたとき、あのような反応だったわけである。

 「・・・・初めてお会いして名を呼んで頂いた時、父が私を案じて戻ってきたくれたのではないかと・・・一瞬、本気で」

 ・・・・馬鹿げた話ですが、と懐かしいものをかみ締めるように微笑んだそのの顔は、孫堅を見つめている時と同じ表情だった。

 その時、尚香も陸遜も甘寧も呂蒙もその他見守っていた武将も文官もその場に居た者すべて、ようやく気付いた。
 のあの表情は、憧れの人を想うものではなく。ましてや片思いにときめくものでもない。
 あれは、家族を想う子供そのものだった。
 父や母を見上げる、喜びに満ちた瞳だった。

 しかしはすぐにその顔を伏せ、
 
 「・・・ですが、しょせんはただの幼い押し付け。今後このようなことは」

 
「まあ、そう急くな!!」

 台詞をさえぎるように大声でそう叫んだ挙句、赤子のようにを抱え上げたのは、それまで君主の席にどっしり座っていた孫堅だった。
 ポカンとした周囲の反応も無視し、孫堅はただ驚くばかりのを見上げた。 

 「幼くて結構!武将といえども、子供が子供として我侭ひとつ言えなくてどうする!」

 「・・・そ、孫堅様、」

 「うむ、お前はな、」 

 体重の軽いをひょいっとそのまま高く高く持ち上げ、

 「お前はこれまで、ずっと我慢して我慢して我慢しつくしてきたようだから、これからはもっと欲張って生きろ」

 なあ?とニカッと音が聞こえそうなほど晴れやかに孫堅は笑う。
 未だ抱え上げられたままのは、しばらく呆然と孫堅を見下ろしていたが、やがて笑ったような困ったような顔でゆっくり頷いた。
 声にこそなりはしなかったが、そのときの唇が震えるように『ちちうえ』と、動いたのを陸遜達は見逃さなかった。
  
 その後は、説明しなくたって賢明な読者の方々ならば想像がつくだろう。

 
 雨も降っていないのに、空気は湿り気を帯びはじめ、床はいきなりの水浸し。
 会場内に響き渡る、大きな水音。
 
 

 いわゆる、号泣の嵐である。


 

 「・・・すまん・・・っ!そんなこととは露知らず・・!!」

 「亡き父の面影を追ってた・・とは・・・・・っ」

 「・・どうしようもない馬鹿野郎だ、俺たちは・・・ッッ・・・・」 

 
 まったく本当に馬鹿野郎ばかりなわけだが、それがその場に居る全員ともなるとそうそうたる迫力である。
 涙、鼻水、嗚咽、様々なものが漏れに漏れた当会場は、本日呉国の中で最も高い湿度を記録していたに違いない。


 
 
もうこうなったら、みんなで胴上げだ!

 おう!

 
 

 なにがどうして『こうなったら胴上げ』になってしまうのか不可思議なところではあるが、突っ込みを入れるようなシラフの者は残念ながら居合わせず、ワッショイワッショイと熱き胴上げは滞りなく開始された。
 宙に何度も舞い上がり続けると君主の孫堅(2人いっぺんに胴上げ)(危ない)
 その姿をうっかり目撃してしまった何も知らぬ通りすがりの兵士らは「ウチの国、なんか優勝でもしたのかな」と首を傾げるばかりだったという。 
 
 こうしてしのび寄っていたクーデターの危機も暗殺の恐怖も無事回避され、再び平和が訪れた呉国であったが、熱に浮かされた胴上げ祭りはそのまま日が暮れるまで続けられ、その日一日まったく仕事にならなかった。

 天下は遠いかもしれないが、幸せはすぐそばにある呉軍である。