ハワイ奇襲攻撃
昭和16年11月26日 日本の空母機動部隊はひそかに北方領土の択捉島を出航する
12月1日 御前会議にて対米開戦が議決された。
12月8日 ついに真珠湾に停泊するアメリカ軍太平洋艦隊に対して攻撃が開始された!
第1航空艦隊「赤城・加賀」・第2航空艦隊「蒼龍・飛龍」・第5航空艦隊「翔鶴・瑞鶴」
計6隻の空母から
淵田 美津雄中佐が指揮する第1次攻撃部隊 183機が発艦した
内訳は 800kg爆弾搭載の水平爆撃隊 97式艦上攻撃機 49機
航空魚雷搭載の雷撃隊 97式艦上攻撃機 40機
250kg爆弾搭載の急降下爆撃機 99式艦上爆撃機 51機
そして 制空部隊のゼロ戦が43機
現地時間7日 7:55第1次攻撃隊は 真珠湾に突入する
予定では25分前に宣戦布告しているはずです!
が!!
しかし・・・手違いがあり攻撃後に宣戦布告になってしまった!
結果的にだまし討ちをしたという事になりアメリカ国民を奮い立たせてしまいました。
ここで言う手違いには諸説(アメリカ陰謀説)が有りますが 今回はこれ以上触れません
ゼロ戦隊は真珠湾上空 ホイラー飛行場上空 カネオヘ飛行場上空 を制圧攻撃するために
3隊に別れた
が反撃してきた敵戦闘機は少なくこれらを速攻で撃墜していまいました。
映画「パールハーバー」で僅か2機のアメリカ軍戦闘機にゼロ戦がポロポロ撃墜されていたのは嘘です(笑)
その後部隊を6つに別け各飛行場を機銃にて掃射する。
第1次攻撃隊に続き 長島崎 重和少佐 率いる第2次攻撃部隊167機が発艦した
内訳 水平爆撃隊 97艦攻54機 急降下爆撃隊 99艦爆78機 制空隊 ゼロ戦35機
8:52 第2次攻撃が開始された!
そして戦果を拡大していきました。 しかし、今回は敵の反撃も激しくなり 損害も多くなりまし
た。
制空部隊のゼロ戦は迎撃に向かってきた若干の敵戦闘機を瞬殺し制空権を保持した後
地上の飛行機を銃撃し大戦果を収める。*注
この戦闘での戦果は(日本側の資料)
撃沈 戦艦 4隻 重巡洋艦・軽巡洋艦・給油艦 各1隻
大破 戦艦 2隻 駆逐艦 3隻
中破 戦艦 2隻 軽巡洋艦 2隻
飛行機破壊
フォード飛行場24機 ヒッカム飛行場37機 ホイラー飛行場 78機 バーバース飛行場 62機
カネオへ飛行場40機 ベロース飛行場6機 計247機
その他17機空中戦にて撃墜
わが軍の損害は
第1次攻撃隊 未帰還 9機 (97艦攻 5機、99艦爆1機 ゼロ戦 3機) 被弾46機
第2次攻撃隊 未帰還20機 (99艦爆 14機 ゼロ戦6機) 被弾65機
日本軍攻撃隊の命中率は
雷撃90% 水平爆撃26.5% 急降下爆撃47.7%
と云う驚異的なものでした (普通は水平爆撃10%以下)
*注 この銃撃により民間人3人が死亡し アメリカでは日本人の非人道性が強調された
日本軍は民間人は攻撃の対象ではなかったと弁明したが、嘘つき扱いしていました。(現在でも)
フィリピン航空撃滅戦
真珠湾攻撃と同じ日 アメリカの植民地であるフィリピンにも攻撃しました
12月8日未明に攻撃する予定でしたが濃霧の為、攻撃隊が離陸できず
翌朝9:00までずれ込みました
しかし これが良い結果に結びつく
真珠湾攻撃の報を受けたマッカーサーは台湾を攻撃するために
それまで空中退避させていたB-17を着陸させて、集結していました。
そして 集結いているクラーク基地に ゼロ戦34機(新郷隊) と96式陸攻26機(一空)
1式陸攻27機(高雄空)が突入してきました!
クラーク基地は迎撃のために僅か4機のP-40しか離陸に間に合わず 地上の飛行機および
施設がほとんど破壊されてしまいました。
クラーク基地の攻撃を終えた ゼロ戦隊はデルカメン飛行場攻撃に向かい、そこで迎撃にあ
がって来た戦闘機隊と空中戦をしその大半を撃墜して更に地上を銃撃して戦果を拡大した
別働隊であるゼロ戦隊(横山隊)51機は13:40イバ飛行場に到着し上空退避していた敵と交戦
大部分の敵を撃墜し 高雄空 1式陸攻27機が基地を攻撃 更に鹿屋空 1式陸攻 26機
が続く
横山隊は敵戦闘機撃破後地上を銃撃しその後クラーク飛行場に向かい残存の敵戦闘機と交
戦
この日の米軍の損害は
B-17 18機 P40 55機 P-38 3機 その他32機 合計108機
そしてクラーク及びイバの基地はその機能を失い戦力の半分を失った
日本軍の損害は 陸攻2機(内 離陸の事故で1機)ゼロ戦7機であった。
12月10日 14:00 一空の96陸攻26機はマニラ湾のキャビテ湾内の艦艇及び基地を攻撃しこ
れを破壊
13:45 高雄空 1式陸攻27機 と台南空 ゼロ戦18機はデルカメンを攻撃に向かっていたが
基地がもはや閉鎖されていた為にマニラ湾の輸送船4隻を攻撃
ゼロ戦隊はデルカメン上空で米戦闘機と交戦し5機を撃墜、更に地上攻撃し20機を破壊
その他、大なり小なりの戦闘がありこの日の戦果は100機以上と見積もられ米航空隊を壊滅さ
せたと判断された
わが軍の損害は3機のゼロ戦と 数機の不時着機があるだけでした。
12月12・13日 マニラ方面を攻撃したが敵の反撃は僅かしかなかった。
13日の攻撃後偵察を行った所、残存機は20機程度に過ぎないことが分かり、もはや全力で
航空作戦をする必要がないと判断された
14日以降も攻撃は続けられたが、米軍に本格的に反撃する力は残されていませんでした。
フィリピン戦でのわが軍の損害は 直接戦闘で 陸攻1機 ゼロ戦12機 不時着等での損失
は陸攻7機 ゼロ戦5機 の計25機でした。
開戦当初 ゼロ戦隊はハワイ・フィリピンで無敵の戦闘力を発揮し、日本軍の快進撃の原動力
となる活躍をしました。
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