トーチ

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「トーチ作戦」

「スーパーチャージ」作戦と連動して連合軍はもう一つの作戦を開始していました。

11月8日「ドワイト・アイゼンハワー」に率いられた米・英・仏連合軍が
「仏領アルジェリア」「モロッコ」に上陸!
一路「チュニジア」にへ進軍

西と東から「ロンメル」を挟み撃ちにする作戦

が、しかし今回は枢軸軍の対応が早かった。

11月12日 ドイツの空挺師団がシチリア島から空輸され、
連合軍が「チュニジア」に到着する前に橋頭堡を築き
両軍は「アルジェリア」国境でにらみ合いをする事になりました。

「スーパーチャージ作戦」に破れ敗走する「ロンメル」でしたが
「チュニジア」の「マレト」まで撤退したのは、無茶苦茶に撤退したわけではなかったのです。

実は・・・

この頃「ヒトラー」は大量の援軍を「チュニジア」に送ってきたのでした!

もっと早く援軍を送っていたなら「アレクサンドリア」攻略も夢ではなかったでしょうに・・

増援の内容は「第10装甲師団」と諸々の空挺連隊と山岳猟兵連隊などなど(精鋭ぞろいです)

そしてDAK(ドイツ・アフリカ軍団)とは別に新たに「第5装甲軍」が編成され
指揮官には「フォン・アルニム」が就きました
1943年2月14日「ロンメル」率いるDAKと「アルニム」率いる「第5装甲軍」は
この地区の連合軍を駆逐する為「カセリーヌ峠」を突破する作戦を開始!!

「アイゼンハワー」率いる米軍の装備や編成規模はDAKや英軍に比べ強力なものでした。
米軍は楽勝に守れる事でしょう

・・・ちょっとした誤算がありました。

それは「米機甲師団」は戦車が多く強力は強力なのですが、
戦車ばかり多すぎてバランスが悪い編成なのと
この戦闘が初陣の米軍は錬度も士気も低く
ドイツ側から観たら信じられない位お粗末な戦いぶりなのでした

百戦練磨のDAKの攻撃を受けると簡単にパニック状態になり
しかも当分回復する兆しもないと言う絶好の“カモ”でした。


落とし穴はドイツ軍にも有りました。

積極攻勢の「ロンメル」と消極的な防衛攻勢の「アルニム」という
意見の違う2枚看板の為、中途半端な攻撃になってしまったと言う事でした。

そうこうしている内に東側から英軍が行動を起こして来た為に引き返す事になってしまいまし
た。

米軍!命拾いしたな!

前進してくる英軍に対して「ロンメル」は攻撃をしかけました。

・・・が、相次ぐ戦闘で消耗したDAKには英軍の進撃を止める力は残っていませんでした。

結局この攻撃は損害を出しただけで失敗に終わりました・・・

3月9日 DAKの最後を見届けることなく「ロンメル」は本国に召還されてしまいまいした

次回 最終回!!


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ロンメル アフリカ軍団


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