英軍はそれまで「ロンメル」が味わった苦労を体験する立場になりました。
その苦労とは・・・
なが〜い補給線による補給作業の難しさです。
しかし、慎重派の「モントゴメリー」は部隊の移動に細心の注意を払い
各師団に十分な物資を持たせて前進しておりました。
「ロンメル」の様にイケイケではないが大部隊の運用に長けた
「モントゴメリー」は流石と言えるでしょう
3月20 英「第8軍」は「マレト」に陣取るDAKに攻撃を開始しました。
戦力も物資も士気も十分な英軍でしたが、戦術面は今ひとつで
モタモタ下手糞な迂回戦術をしておりました。
しかし、DAKにも「ロンメル」が居ないという事もあり
英軍の迂回行動に対応できない有様でした。
負け戦のDAKでしたが、米軍に対してはそれなりに頑張っていました
「第10装甲師団」はウスノロな米戦車部隊に対してかなりの損害を与えていました。
でも反撃もここまで。
3月27日 DAKはついに「マレト」の陣地を放棄
因みに、この頃になると伊軍はすっかり戦意喪失していて
「早く国に帰りてぇ〜」、「パスタ喰いてぇ〜」
とかいってダレておりました。
1943年4月22日「北アフリカ戦線」で最後の戦いが開始されました。
連合軍は「イギリス軍」「アメリカ軍」更に「自由フランス軍」までもが
怒涛の様に「チュニジア」内の残存枢軸軍に襲いかかっていきました。
5月13日 DAKは最後の弾丸を撃ちつくすまで戦いましたが、ついに降伏
そして・・・
同年9月には「イタリア」本国が降伏
イタリアが勝手に始めた「北アフリカ」での戦いは、結局自分の手に負えず
ドイツの手を借りる事で何とか戦う事ができたが、物量に勝る連合軍に力負けし
その事によって連合軍に反撃の糸口をあたえてしまいました。
終わり
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