1942年10月23日から始まった「ライトフット作戦」に引き続き
10月31日から北部での大反撃作戦である「スパーチャージ作戦」が開始された!
またもや鬼の様な準備砲撃!(エルアラメイン戦で英軍は100万発以上の砲弾を消費)
英「第10軍団」が進撃開始!!
伊軍を蹴散らして前進!!!
そして夜のうちに「エル・アカキール」の丘を制圧する予定!!!
だったが、機甲部隊の動きがイマイチ遅く丘を登りきらないうちに夜が明けてしまいました。
朝日を浴びて丘を登る戦車部隊
これがハイキングなら気分爽快で歌でも歌いたくなるでしょうが、今は戦闘中!!
こんなおいしいネタをDAKが放っておくワケがありません。
生き残っていた対戦車砲が今までの鬱憤を晴らすがごとく
「エル・アカキール」の英戦車部隊を集中攻撃!!
ものの30分位で95両の戦車の内75両が撃破されてしまいました。
しかし枢軸軍のいい所はここまで
11月3日 朝
今までの砲撃と幾度の戦闘により すっかり消耗しきっていました。
「ロンメル」はこのままでは全滅しかねないので
「ヒトラー」に「撤退してもよいかな?」とお伺いしてみましたが
あの「チョビ髭のオッサン」は簡単に「死守せよ!」と言い放ちました。
11月4日「死守せよ!」の命令を受け撤退の準備を中止して
とりあえず「死守」する事に決めて「テル・エル・マムスラ」に防衛線を引いていました。
朝8時に「モントゴメリー」は200両の戦車で攻撃を仕掛けてきました!
もはや「ロンメル」にこの攻撃を防ぐ戦力など残っておらず
再度、「ヒトラー」に「撤退」を要求したところ
以外にも簡単に「撤退」する事を認めてくれました・・・・
おびただしい数のブービートラップや地雷を残し
DAK及び伊軍は一目散に撤退(大敗走)していくのでありました。
逃げるDAKに対し「モントゴメリー」は追撃を開始
7日に「マルサ・マトルー」、8日に「シディ・バラニ」・・・19日「ベンガジ」
そして・・・
翌12月13日には「ロンメル」が進撃を開始した「マルサ・ブレガ」にまで押し戻されていま
した。
「モントゴメリー」は部隊の再編成の為に「アジュビダ」にてどまってくれたおかげで
DAKは何とか「マルサ・ブレガ」で一息
しかし英軍の準備が整うと再び敗走を開始!!
1943年1月23日にはリビアでの最後の重要港「トリポリ」も占領され
「チュニジア」領内の「マレト」に戦線らしき物を何とか築く事が出来たのでした。
気が付くと「エル・アラメイン」から約2,000kmも後退しているのでありました。
続く・・・
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