アレクサンドリアをめざして・・・

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ガザラ〜トブルク戦前後のDAKの背景について書いてみます。

ロンメルは「トブルク」攻略の準備をしながらも、エジプト侵攻を真剣に考えていました

それは「ムソリーニの夢」をかなえる為ではなく、もっと現実的な理由で
局地的戦闘にいくら勝利しても、北アフリカから英軍を駆逐しなければ
物量に勝る連合軍にジリ貧負けしてしまうのが明白だったからです。

しかし、枢軸軍上層部は“リビアーエジプト”国境付近の「キレナイカ半島」を奪回すれば十分だ
と考えていました。

それは地中海に浮かぶ「マルタ島」攻略戦を控えていた為に貴重な戦力を北アフリカに割く余
裕がなかったからだと思われます。

この「マルタ島」攻略戦の準備攻撃(空軍による爆撃)をしてくれたおかげで
DAK及び伊軍は補給が邪魔されずに済みました。

・・・が 結局「マルタ島」攻略作戦は延期されました

ドイツとしては「マルタ島」攻略は最初から乗り気では無かったからです
もともと「マルタ島」攻略なんかは最初から「イタリア」がやるべき事だし、
先の「クレタ島」で大損害を受けた苦い経験もあったし・・・



そしてトブルク攻略後・・・

6月22日に「ロンメル」は元帥に昇格し
ヒトラーから正式に「エジプト」侵攻作戦の許可が出たため
直ちに、「エジプト」に進撃を開始するのでありました。


この頃 英軍は「第30軍団」にマトモな戦車が1台も無い程の悲惨な状況に陥っておりまし
た。

6月25日 「オーキンレック」は「第8軍」の指揮官「リッチー」を解任し自らその後任に就きまし
た。

英軍は「マルサ・マトルー」の陣地に撤退してきたものの
この陣地は地雷原が少なくDAKに簡単に攻略されそうなので
後方の「エル・アラメイン」をメインの防衛陣地に設定しました。
「マルサ・マトルー」は時間稼ぎをする為の陣地とし、頃合を見計らって速やかに撤退する事に
しました。


DAKは「マルサ・マトルー」の陣地に到達し一部の攻撃は阻止されましたが
案の定簡単に突破!!

英「第30軍団」は計画通りに撤退した物の予想以上に消耗しており
更に「マルサ・マトルー」の町を守備していた「第10軍団」も包囲されてしまいました。

危機的状況になりましたが
「有り余る」車両により、なんとか「エル・アラメイン」に撤退する事に成功しました。

DAKはここでも大量の補給物資を手に入れることが出来ました。

英軍について思うのですが、最初から時間稼ぎが目的の陣地ならば
物資の備蓄を最小限にしておけばDAKの進撃を“いくらか”鈍らせる事が出来たのではないの
でしょうか・・・
有り余る車両でトットと運び出せなかったのかなぁ・・・

次は「北アフリカ」での天王山 エルアラメイン戦






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ロンメル アフリカ軍団


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