ガザラ トブルク攻略


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ガザラ攻略戦は次第に膠着状態に陥ってしまった。
ロンメルは戦力の立て直しをする為に、
ガザラ南部の「カプッツオ道」及び「エル・アブド道」に全軍を集結させることにしました。

しかし、この行動はDAKを壊滅の危機に陥れる事になってしまうのです。

ロンメルは「カプッツオ道」、「エル・アブド道」を作戦前から補給線として決めていました。
しかし・・・
なんと、この補給線は英軍の「第150旅団」が陣地を造り居座っていたので最初から遮断さ
れていたのでした!

遮断されているとは気づかずに全軍を集結してしまいました
集結した各部隊は疲弊して燃料はまったく無く、後方に燃料を取りに行く事すら出来なくなりま
した。

この状態で英軍に攻撃されると、DAKは壊滅してしまうので
ロンメルは急遽「大釜」と呼ばれる大きな円陣を組み、英軍の襲撃に備えましたが
「大釜の陣」を組んだとは言え、英軍に攻撃されれば、一溜りも無く撃破されてしまうのは明白
でした。

しかし、英軍はこの絶好の機会に攻撃をする事は無く、
それどころかDAKがどんな状態か見当もつかずにいました

DAKの危機を知り「ルフト・バッフェ」(ドイツ空軍)が補給路に居座る英軍「第150旅団」に対し
猛烈な空爆を開始しました。

第150旅団は孤立し、単独で頑張っていましたが

6月10日ついに第150旅団は崩れ去り、やっとDAKは補給を受ける事が出来
全滅の危機を脱しました。

補給を受けたDAKは見事に復活し、再び攻勢を開始しました。

前進するDAKに英軍も必死に抵抗しましたが、損害ばかりが増え
英軍の指揮官は何がどうなっているのか訳がわからなくなっていて
相次ぐ全滅の知らせにとうとう「ガザラ」の陣地を放棄せざる得なくなりまた。

ガザラを攻略したDAKは

6月18日 トブルク外郭陣地に到達

6月20日 トブルク攻撃を開始 (この戦闘には装甲師団は使われませんでした)

6月21日 トブルク攻略  英軍の主力はエジプトに逃げてしまい、守備隊
は簡単に降伏してしまいました。

DAKはトブルクにあった大量の補給物資を手に入れ、更に港湾設備も手に入れ
補給線が一気に短縮され、エジプト侵攻も夢では無くなっていきました・・


この戦闘でも英軍は状況が把握できずにオタオタしているうちに敗走・・・
DAKは補給に苦しみ壊滅の危機にさらされる・・・
両軍の悪い所が出た戦いでした。

続く・・・
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ロンメル アフリカ軍団

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