クルセイダー作戦


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◎作戦名「クルセイダー(十字軍)

先の攻勢に失敗した「ウェーヴェル」に変わり
中東方面の総司令官に着任したばかりの「オーキンレック将軍」のもとに
連日の様にイギリス本国から「すぐにでも攻勢に出よ!」
との命令が届いていました。

そしてその命令が実現できる様に南アフリカ「喜望峰」廻りの輸送船により
戦力も強化されていきました。いわゆるタイガーコンボイ、タイガー船団とかいうヤツ

一方DAKは「第15装甲師団」以来、増援はありません
しかし
手持ちの戦力を再編成して「第90軽装甲師団」を作りました

それ以外では「第5軽装甲師団」を「第21装甲師団」に名称変更されたに過ぎませんでした。

11月18日 ついに「クルセイダー作戦」が開始されました。

この作戦は以前の作戦よりかなり大規模な物になり、
その目的も「トブルク」救出とDAKの殲滅の2枚看板とされておりました。

「ゴット准将」に代わり「西部方面砂漠部隊」改め「第8軍」の指揮官になった
「カニンガム」「第13軍団」(第2ニュージーランド師団、第4インド師団が主力)
「ハルファイヤ峠」から「シディ・オマール」に圧力をかけながら迂回しながら「トブルク」を目指さ
せ、

「第30軍団」(第1アフリカ師団、第4機甲師団が主力)が直接「トブルク」を目指しました。

「ロンメル」は今回の英軍の攻勢を予想しておらず、
反撃に向かったが見当違いの方向に敵軍を捜し求めていた
その頃英軍の「第30軍団」は「トブルク」まじかの「ガブル・サレーフ」に達していた。

進撃を続ける英軍でしたが、
思わぬ所で伊軍の激しい(伊軍らしからぬ)反撃に遭い
進路変更をよぎなくされた。

その後しばらく両軍とも敵を探して手探り状態でしたが、

そのうちに各所で衝突が起こり戦車戦が繰り広げられた。

いつもの様に、英軍の損害は甚大でしたが、
今回はDAK側にも損害が出てきました。
(被害状況は資料不足のため明記しません)

11月24日 「ロンメル」は英軍戦車部隊が壊滅状態だと判断、
DAK主力と伊軍の「第132戦車師団(アリエテ)」「第101自動車化歩兵師団(トリエステ)」を引き
連れて
英軍の後方遮断に向かいましたが、

英軍は大量の物資を抱えていたのでそのまま「トブルク」に突入しました

そのために、補給物資が乏しいDAKは逆に危機に陥り、
12月6日 DAKの補給が更に困難になった為「エル・アゲーラ」まで撤退する事になりました。

一方その頃の「トブルク」は・・・
DAKによる空襲に連日さらされていましたが、海上からの十分な補給がなされ、
更に、消耗した「第9オーストラリア師団」は士気の非常に高い「第70師団」と交代されていまし
た。

今回の作戦「クルセイダー」は
まずい作戦を大量の物資と兵力で自軍の大損害を押し切った連合軍と、
戦術面では優勢でしたが、結局、物資の不足で後退を余儀なくされた枢軸軍
砂漠という霧の中を手探りで敵を探した「fog war」
そして、補給線という生命線に左右された
という点で、北アフリカ戦線の縮図の様な戦闘でした。

そして、勝ち戦の英軍でしたが、「第8軍」の指揮官「カニンガム」は
「クルセイダー作戦」途中で解任されました。
理由は「ロンメル」が撤退した再に、急に消極的になった為でした。
作戦中にもかかわらず指揮官を変更したのは
戦果を求める英国本国の世論を気にした為と思われます。

カニンガムの後任には「リッチー将軍」が就きました。




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ロンメル アフリカ軍団



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