緒戦での経緯


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1940年6月当時 イタリア軍(以後 伊軍)は
リビアに22万5千人の兵力を配備しておりました。

これに対するイギリス軍(以後 英軍)は
この地区に僅か6万人ほどの兵力しか有りませんでした
しかも、この戦力で、北アフリカ以外に中近東全域
イギリス領をカバーしなくてはなりませんでした

ムソリーニは絶好の機会と判断し
リビアの伊軍指揮官「グラチアーニ元帥」に対し英領エジプトに進撃するように命じます
しかし
グラチアーニ元帥は自軍が錬が貧弱度が低く装備で有ることを理由に
エジプト侵攻を9月にまで延期してしまいました。

おかげで、この間に英軍はリビア・エジプト国境付近に
ある程度の兵力を配備する事が出来ました

この部隊は「西部方面砂漠部隊」と呼ばれ、砂漠戦のエキスパートで編成されていて
僅か3個師団(3万1千人)の戦力でしたが
完全自動車化部隊で、戦車275両装備しておりました
なお、指揮官は「オコンナー少将」でした。

1940年8月の終わり近くなっても、エジプト侵攻の準備が全然していない
グラチアーニ元帥に対しムソリーニはエジプト侵攻を厳しく命令したので
渋々ながらグラチアーニはエジプトに侵攻を開始しました。
しかし
エジプト国境から100kmの「シディ・バラニ」を占領して
そこから先に進撃するのを停止しました。

これは、補給線を完全確保する為でした。
酒やパスタが無くなるのを防ぐ為との説もあり(笑)

11月の終わりになるまで何もしませんでした。

補給線確保にそんなに時間はかからないでしょフツーは



そして
11月が終わると恐ろしい事が・・・


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ロンメル アフリカ軍団



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