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chronology 1973 - 2


1973 キャラメル・ママ、荒井由実のレコーディング。芝浦/スタジオ'A'。

「キャラメル・ママのミュージシャンとしてのノリがいちばんよかった時期で、ヘッド・アレンジでできてしまった記憶があるね」(1)
「その頃がピークだった。演奏しはじめたらできちゃった、なんていうセッションは奇跡的なんですよ」(2)
スタッフ周辺と、マッスル・ショールズそしてセクションの三つかな。前者二つの影響が大きいと思うよ」(3)
「もうキャラメル・ママはそれら全部の影響をこなして咀嚼してたっていうかね、かなりいい状態になってた」(3)
「当時、スカが好きで、ソウル・ミュージックに影響を受けていた時代で、それを洗練された形で聴いていた。枠がとっぱらわれた爽快感っていうのか、16ビートには自由な爽快感があった。それが楽しかった頃に来た仕事がユーミンだったんです」(2)
「やりながら、こういう感じのレコードがはやったらいいなと思っていた」(4)


1973ごろ スライ&ザ・ファミリー・ストーン『フレッシュ』を聴く。

「精神不安定が続いていて、一種の神経症がピークになってたの」(5)
「それと同時に、ハリウッドのノスタルジックな記憶もピークに来てて、かなり深いところまで入り込んでた。ちょうど昔のSP盤を大量に家で発見したのもこの頃なんだ」(5)
「どんどんさかのぼって音楽を聞いていくうちに、ぼくの生まれる前の音楽にまで行っちゃって、ついには蓄音機を発明したエジソンのところまでたどり着いちゃった」(5)
「ぼくがそんな世界に入り込んでる時に、茂もやっぱり同じようにその世界に入り込んでた」(5)
「なぜか茂も同じようにハリウッドものを聴いていたんだよ」(6)
「ヴァン・ダイク・パークスとかニルソンの入口から入っていって、出られなくなったって」(7)
「彼はハリウッドのミュージカルや映画音楽だけ聴いてましたね。で、たまに彼と会って、情報交換をしてたんですけど、ある日、鈴木茂が怯えながら"このままだと、もうロックができなくなっちゃう"って言ったんです」(8)
「『この世界から抜けられないのが怖いんだよ』と言うんだ。ぼくも同じだった」(6)
「このまま行くと、もう抜けられないよっていう不安感が出てきて」(7)
「それほど魅力的な世界だったんですよね」(8)
「それってバーチャルな世界で、スタジオで再現性のない音楽だからね。現実的な感覚がなくなって、遊離していくような気がしていた」(6)
「さかのぼって音楽を聞いてくことが、自分の音楽のルーツの確認だったらいいんだけど、ぼくらのはそんな理性的な感じじゃなくて、ひたすらおぼれ込んじゃってたから、ちょうど夢を見てて、もう覚めないんじゃないかっていう感じの怖れを、だんだん自覚してきたんだ」(5)
「で、お互い"このままじゃ、同時代に生きていけない"という危機感が生まれたんですけど」(8)
「でも、そんなふうに、怖いと思った時には、もうそこから目覚めかけているものなんだね」(5)
「そんな時、ちょうどスライ&ファミリー・ストーンがいいレコードを出した」(8)
「『フレッシュ』を聴いて催眠術が解けたようになった」(7)
「『フレッシュ』が、ぼくや茂を現実に引き戻してくれたんだ。リズムっていうのはね、現実に引き戻してくれる力を持っている。古い音楽ってリズムが希薄、でもパルスの強いアフター・ビートって心拍に近い。で、何事もトリップ状態を引き戻すときには、リズムが必要なんだ」(6)
「その時代のリズムは、現実へ引き戻す力を持っているんだ。で、スライでぼくらは目が覚めた」(6)
「もう古いのを聴くのはやめよう」(7)
「そろそろ現実に戻ろうかという話をして」(7)
「スライは救世主だったね。ハリウッドものを聴いているときでも、彼の『ランニング・アウェイ』だけは聴こえてくるんだ」(6)


1973/07 風車『風車』発売。
やがて子供達は:bass
まるで蔦のように:bass
愛想つかして:bass

1973/07/21 遠藤賢司『歓喜の歌 遠藤賢司リサイタル』発売。
待ちすぎた僕はとても疲れてしまった:wood bass
ミルクティー:bass
寝図美よこれが大平洋だ:wood bass
Hello Goodby:bass

1973/08/25 南正人『ファースト・アルバム』発売。

「すごくよかったですよ。録音した場所の問題ではなく、エンジニアとミュージシャンが」(9)

午前4時10分前:produce, arrangement, bass
紫陽花:produce, arrangement, bass
A Week:produce, arrangement, bass
愛の吹きだまり:produce, arrangement, bass
ブギ:produce, arrangement, bass
五月の雨:produce, arrangement, bass
家へ帰ろう:produce, arrangement, bass

1973 西岡恭蔵のレコーディング。

1973/09/19 キャラメル・ママ、リハーサル。山下達郎とニアミス。

大瀧詠一の証言
「僕はいなかったんですけれども、あのー、当時キャラメル・ママかなんか細野さんのバンドと、リハーサルだったそうですよ」(10)
「山下くんが初めて」(10)
「観たっていう時に」(10)
「彼も率直な人間ですからね、なんかほっと思ったことを言ったらしいんですけども。その時たまたまなんか、間が 悪く、素になったらしいんですよ、音がなくて。で、その声がなんか響き渡ったんだそうですね。でージロリと、メンバーの人から睨まれたっていうような話が あったんだけども」(10)
「その翌日は、はっぴいえんどの解散コンサートの練習だったんですよ」(10)


1973/09/20 『ライトミュージック』10月号(ヤマハ音楽振興会)発売。
対談:加藤和彦×細野晴臣

1973/09/20 はっぴいえんど、リハーサル。鈴木慶一も参加。

大瀧詠一の証言
「直前になって練習したんです」(1)
「前日と、2日間くらいのリハして。盛り上がるってわけでもなきゃ、しらけた感じでやってるわけでも、まあ義務だからやらざるをえないと」(11)
「細野さんと茂はもうキャラメル・ママをやっていたから、2人のリズムがそのときのアレンジにも反映されてましたね」(1)
「細野さんは忘れたと思いますけど私はいまだに忘れられませんけども」(10)
「『きのう、お前にそっくりなやつがいたな』っつって(笑)」(10)

鈴木慶一の証言
「ピアノを弾いたんだ」(1)
「マネージャーの石浦さんから『ぜひ、やってくれ』といわれたんだけど」(12)
「その当時だってもっとうまいピアニストはいっぱいいたんだけどね、松任谷正隆君とかね」(12)
「これは石浦くんの起承転結の結のつけ方で、関わり方としても、腕前としてもちょうどいいだろう、ということで」(11)
「彼の最後のロマンティシズムじゃないか。僕がはっぴいえんどともに、日本語のロックの黎明期を歩んだという印象があったんだよ。だから最後もおまえがつきあえ、というような」(12)
「リハーサルに行ったら、これがまたすごい。すごいものを見てしまった」(12)
「大滝さんが松本さんに『こういうパターン、叩ける?』というと、『叩けない』とぶすっと答えるんだよ。すると大滝さんが『じゃあ叩けるまで待とうじゃないか』とこうきちゃう(笑)」(12)
「弾くより黙っている時間のほうが多かった」(13)

前島洋児の証言
「みんな気はそぞろですよ。それぞれ自分のこれからの活動のところにいってるわけだから」(1)


1973/09/21 吉田美奈子『扉の冬』発売。
外はみんな……:produce, arrangement, bass, percussion
待ちぼうけ:produce, arrangement, bass
扉の冬:produce, arrangement, bass
ねこ:produce, arrangement, bass
綱渡り:produce, arrangement, bass
変奏:produce, arrangement, bass
かびん:produce, arrangement, bass
昼下がり:produce, arrangement, bass, guitar
週末:produce, arrangement, bass

1973/09/21 南佳孝『摩天楼のヒロイン』発売。
bass
※参加曲は特定不能。

1973/09/21 井上陽水「心もよう/帰れない二人」発売。
心もよう:bass
帰れない二人:bass
林立夫の証言
 帰れない二人
「間奏のベースラインは細野さんのアイデアじゃないかな」(14)

1973/09/21 『CITY - ラスト・タイム・アラウンド』出演。文京公会堂。
出演:大瀧詠一、ムーンライダース、ココナツバンク、西岡恭蔵、吉田美奈子、南佳孝 他

キャラメル・ママ 細野晴臣(b, vo)、松任谷正隆(kbd)、林立夫(ds)、鈴木茂(g, vo)
アヤのバラード〜キャラメル・ラグ
さよなら通り三番地
僕は一寸

はっぴいえんど 大瀧詠一(vo, g)、細野晴臣(vo, b)、鈴木茂(vo, g)、松本隆(ds)、鈴木慶一(pf)
田舎道
氷雨月のスケッチ
夏なんです
はいからはくち
12月の雨の日
かくれんぼ
抱きしめたい
春よ来い

「はっぴいえんどの解散コンサート」(6)
「既に自分のプレイヤー指向が強くなっていたね。グルーブ指向。だから、はっぴいえんどのアマチュア指向みたいなものが気になっていた時期とも言えるな。この日は風都市が考えたオムニバス・スタイルでいろんなグループが出ていたの」(6)
「ぼくもキャラメル・ママ名義で出ていたんだよ、当日。インプロビゼーションをやったね。この時のはっぴいえんどは『はいからはくち』なんかをファンキーなアレンジでやってる。勢いでキャラメル・スタイルでやってるはっぴいえんどだね」(6)

鈴木茂の証言
「風都市っていう会社のタレントの顔見せ興行的なとこもあったんですよね。あの関係の連中が全部出たから」(11)
「あれはもう解散ていうよりも、むしろその次の発表の場だったわけですよ。僕達にしてみればキャラメルママで やったし、そういった意味では大滝さんは、その後コロムビアに移るんですよね。それの、何だっけ、銀次たちと一緒だったナイアガラ何とかっていうサイダー の、あれの母体みたいのがあって。だから、大滝さんサイダー、僕と細野さんのキャラメルママ」(11)
「松本さんはだけど、ライダーズではやったんだけども、その後すぐにもうあきらめて」(11)
「あれの前ぐらいから気持ちは詞の方に」(11)

松本隆の証言
「はっぴいえんどの最後のステージは、とっても気持ちよく完全燃焼できた」(1)
「一番楽しかったね。気楽っていうんじゃなくて、これでミュージシャンやめられると思うと」(11)
「解散はぼくが決めたことじゃなかったけど、四つどもえの相対的な価値観にしばられることから逃れたいという気 持ちはぼくにもあった。ドラムはすごく好きだったけど、細野さん以外のベースでドラムを続ける気もしなかったから、これで心置きなく作詞家になれると思っ た。そして最後にステージからスティックを放り投げたんだ」(1)
「ああせいせいしたみたいな感じでね」(11)

大瀧詠一の証言
「ま、1回目のオマケですよね」(11)
「みんなで集まって何をやろう、みたいなところから、たまたま、話が、はっぴいえんど聴きに来るやつは、1曲くらい演奏しないと、おさまんないんじゃないの、みたいな感じで」(11)
「本当に何か、思いつきなんだよね。ポカーンと」(11)

鈴木慶一の証言
「はっぴいえんどの最初と最後に一緒にやれたのは、いい思い出だし、いい偶然だ。他者から見たら必然かもしれないし」(1)

吉野金次の証言
「この日のはっぴいえんどは本当によかったな」(1)
「リ・アレンジも多かった。リハで松本さんが当時、カーティス・メイフィールドにはまってて、で、このリズムでできない? とか言ってドラムでリズムを出すと、細野さんがすぐに合わせて、16かなんかの倍テンになって。ベースがトゥーントゥトゥトゥトゥって」(1)
「PAに夢中になっちゃってたら、録音のマルチのテープがなくなってたのに気がつかなくて、『抱きしめたい』を録りそこなってしまった。テープ・チェンジが遅れて、曲の頭が録れてないんですよ」(1)

前島洋児の証言
「とにかく時間がすごく押したもんだから、文京公会堂のホール事務所がうるさくて。もう電源抜くって脅す。9時 過ぎたらダメだって言うわけですよ。こっちが悪いことしてるのはわかってるから『わかりました』といいながら、『でもね、電源落としたら暴動が起こります よ。暴動が起きたら何の備品壊されるかわかりませんぜ』とかさ(笑)、ホール事務所の裏でやってるわけですよ。9時45分くらいまでやったんじゃないか な。それが当時の文京公会堂の時間オーバーの記録だそうですけれどもね」(1)

※この日のはっぴいえんどの演奏の一部は、ライヴ・アルバム『1973.9.21 ライブ・はつぴぃえんど』(ベルウッド/1974年)に収録されている。また、キャラメル・ママのステージを含む演奏風景、楽屋でのスナップは、北中正和責任編集『風都市伝説 1970年代の街とロックの記憶から』(音楽出版社/2004年)などで見ることができる。


1973/11/02 キャラメル・ママ、『ただのコンサート』出演。中野サンプラザ。
出演:サディスティック・ミカ・バンド、バズ

キャラメル・ママ
ほうろう

松任谷正隆の証言
「その時がいちばんバンドらしかったんじゃないかな」(15)

1973/11/05 荒井由実「きっと言える/ひこうき雲」発売。
きっと言える:arrangement, bass, guitar
ひこうき雲:arrangement, bass

1973/11/06 あがた森魚のレコーディング。音羽/キングスタジオ(1スタ)。
永遠のマドンナK
キネマ館に雨が降る

1973/11/10 あがた森魚のレコーディング。音羽/キングスタジオ(1スタ)。
大寒町

1973/11/15 あがた森魚のレコーディング。音羽/キングスタジオ(2スタ)。
元祖ラヂヲ焼き

1973/11/20 荒井由実『ひこうき雲』発売。

「やってみたら、軽くいいものができたな、と」(2)
「方向性がユーミンというキャラクターと合ったわけですね。演奏家を求めてた彼女にぴったりフィットしたんです。それでいいものができたんだと思いますよ」(16)

曇り空:arrangement, bass, guitar
恋のスーパーパラシューター:arrangement, bass
空と海の輝きに向けて:arrangement, bass
Velvet easter:arrangement, bass
紙ヒコーキ:arrangement, bass
雨の街を:arrangement, bass
返事はいらない:arrangement, bass
そのまま:arrangement, bass
※先行シングル曲「きっと言える」「ひこうき雲」も収録。

1973/11/21 キャラメル・ママが音楽協力で参加した電気亀団『A列車』初日。六本木/自由劇場。
作・演出:串田和美
音楽:越部信義
音楽協力:鈴木茂、キャラメル・ママ、佐藤博、Jam
出演:串田和美、吉田日出子、広瀬昌助、柄本明、笹野高史、斉藤直、 高田純次、柳原晴郎、岩松了、尾形一成、六人部健市、森田雄三、
山岡富士夫、大野真由美、宗田政美、森川祐久子、 安恭子、小林邦勝、竹巴類、加藤美津子
※編注:公演は12月11日まで行われた。キャラメル・ママがどのように関与したかなど、詳細は不明。

1973/12/01 井上陽水『氷の世界』発売。
待ちぼうけ:bass
※先行シングル曲「心もよう」「帰れない二人」も収録。

1973/12 西岡恭蔵「街行き村行き/うらない師のバラード」発売。
街行き村行き:produce, bass
うらない師のバラード:produce, bass

1973/12/14 『ライトミュージック』1月号(ヤマハ音楽振興会)発売。
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1973/12/25 11:30 キャラメル・ママ、『December Folk & Rock Concert Vol.1』出演。新宿厚生年金会館。終演後、八木康夫と初対面。
出演:泉谷しげる、西岡たかし

キャラメル・ママ 細野晴臣(b, vo)、鈴木茂(g, vo)、松任谷正隆(kbd, vo)、林立夫(ds)、シンガーズ・スリー(cho)
キャラメル・ラグ
さよなら通り三番地
僕は一寸〜冬越え〜福は内鬼は外〜住所不定無職低収入
薔薇と野獣
薄曇り
ほうろう
ロック・アラウンド・ザ・クロック


1973/12/26 レコーディング。外苑前/ビクター第3スタジオ。見学に訪れた八木康夫を自宅に招く。

八木康夫の証言
「なぜか下落合の自宅までおじゃますることになった。絵を描いているなら参考になるよって、珍しい煙草のパッケージを貰いました。すごくうれしかったですね」
(17)

※編注:八木康夫に進呈した煙草のパッケージはアメリカ製の"PLAYER'S NAVY CUT MEDIUM"で、プロコル・ハルム『ソルティ・ドッグ』のジャケット・アートの元ネタとしても知られる。件のパッケージは『ヤングフォーク』1976年 春号における細野の特集記事「とりあえず僕のやっている音楽をチャンコ・ミュージックとでも呼ぼうか……。」で見ることができる。


1973/12/31 『大晦日コンサート』出演、岡林信康のバッキング。晴海/国際貿易センター新館。
出演:泉谷しげる、加川良、遠藤賢司、三上寛デュエット、佐渡山豊、海援隊

岡林信康 岡林信康(vo, g, harmonica)、松本隆(ds)、細野晴臣(b)、矢野誠(kbd)、鈴木慶一(kbd)、伊藤銀次(g)
いくいくお花ちゃん
毛のないエテ公
あの娘と遠くまで
自由への長い旅
家は出たけれど
俺らいちぬけた
君の胸で
見捨てられたサラブレッド
黒いカモシカ
申し訳ないが気分がいい
まるで男のように
26ばんめの秋
金色のライオン
ホビット
I Shall Be Released

※この日の演奏の模様は、岡林信康のライヴ・アルバム『1973 PM:9:00→1974 AM3:00』(ソニー/1974年)に収録されている。

<出典>
(1)北中正和責任編集『風都市伝説 1970年代の街とロックの記憶から』 音楽出版社/2004年
(2)『ロック・クロニクル・ジャパン vol.1 1968-1980』 音楽出版社/1999年
(3)『レコード・コレクターズ』4月号 ミュージックマガジン/1995年
(4)細野晴臣『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』 徳間文庫/1984年
(5)前田祥丈編『音楽王 細野晴臣物語』 シンコー・ミュージック/1984年
(6)CD『HOSONO BOX 1969-2000』同梱ブックレット リワインドレコーディングス,デイジーワールド/2000年
(7)北中正和編『細野晴臣 THE ENDLESS TALKING』 筑摩書房/1992年
(8)パチ・パチ8月号増刊『パチ・パチ読本』No.3 ソニー・マガジンズ/1991年
(9)『ライトミュージック』10月号 ヤマハ音楽振興会/1973年
(10)J-Wave『daisyworld』 1999年2月1日放送
(11)大川俊昭・高護共編『定本はっぴいえんど』 SFC音楽出版/1986年
(12)鈴木慶一『火の玉ボーイとコモンマン』 新宿書房/1989年
(13)松本隆『風のくわるてっと』 角川文庫/2001年
(14)CD 林立夫セレクション『Non Vintage』ブックレット ソニー・ミュージックエンタテインメント/2005年
(15)『ロック画報』14 ブルース・インターアクションズ/2003年
(16)『Switch』4月号 スイッチ・パブリッシング/2000年
(17)『レコード・コレクターズ』10月号 ミュージック・マガジン/2001年
update:2016/11/05

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