私の「過去生」のとらえ方



過去生を扱う、というと、受けていただく側として
少なくとも二つの懸念があります。



一つには、「過去生なんてあやふやなものを扱うなんて、怪しい」というもの

二つ目は「過去生を見ると、とんでもないものが出てくるのでは?」というもの



一つ目のやつですが・・・
前のページでも書きましたが、
正直、私は、過去生について、肯定も否定もしません。

過去生は「絶対にある」とも言えないし「絶対にない」とも言えない。

絶対にあると言えないものは、信じきるわけにはいかない。
そして、絶対にないと言い切れないものは、全否定するわけにはいかない。



そして、過去生を「今ここ自分を生きる上での制限」となる限り
嘘か本当かは別にして、自分にとって負担になる。

「今ここ自分を生きるための資源」として使う限り、
同じく嘘か本当かは別にして、自分にとって宝物になる。



こんな感じで、ある・なしを絶対的に決めつけることはせずに
資源として活かせるものは可能な限り活かそうというオープンさを持ちながら
セッションを提供したいと思っています^^





そして二つ目ですが、
基本的には、そのとき、その人にとって必要な、
かつ受け取れる過去生しか出てきません。
(・・・とリーラが言っていた!)
自分の経験上も、確かにそうでした。



もっと言えば、自分の場合、
過去にどんなことがあったのか?という
「出来事」が出てくることはそれほど多くなく

過去の出来事によって身に付けたパターンを
エネルギー的に感じ取ることが多いようです。



そして、さらに言えば
私の考えとして、「過去生に何があったか?」は、
それほど重要ではありません。



前の記事で書いた「100%あるとは言えないもの」に
それほどの重要性をおいていいのか?という疑問も持っているし、
「過去にあったことを重要視(見方を変えたら絶対視?)」すると
今を生きることが難しくなるとも思うのです。



大事なのは、過去もしくは過去生で信じ込んだこと、
あるいは決心したこと、あるいは身についてしまったパターン・・・
そこから抜け出し、今を生きることだと思うのです。



「過去生」で、とまでは言いませんが
「過去」からの記憶、制限は、多かれ少なかれ誰でも受けていると思います。



ただ、その制限で、守られている部分もあります。



生まれたばかりの赤ん坊が火を見ると
「きれいだ」と思ってつかみにかかるかもしれません。



たいていの大人はそれをしないのは
火が危険なものだとわかっているからです。
これは記憶(そしてある意味制限)がわれわれの役に立っている例です。



そして、不幸にも上の例で火をつかもうとして大やけどを負った子は
ひょっとして、成長しても火が怖くて扱うことができなくなるかもしれない。
それによって日常生活に支障が出るようだと、
記憶、制限で苦しめられるということだと思います。



果たして、その子がいつ、どんな状況で、誰といたときにそうなったか、が
それほど重要なことでしょうか?



大事なのは
「火は扱い方によっては危険なものではなく、役に立つものであること」
そして、必要ならば
「そのときの火の扱われ方」でしょうね。
(あまりにも簡単に子供に取れる状況だったのなら、
それは改善しないといけません)



取り除くべきは
「火に触れたときの熱さ」と
「火は(とにかく)怖い」という恐怖感。



この熱さと恐怖感をリアルに抱えている限り、
この子は「火を手にしてしまったとき」の熱さと恐怖の中にいて、
今、ここにいることは決して不可能になるでしょう。



「火は怖い」という思いが先に立ってしまって
どんな場合でも、火を扱うことは難しくなるでしょう。



そんな風に考えたら
誰でも多かれ少なかれ、このようなものを抱えているとは思いませんか?



サトルボディヒーリングは、私のイメージとしては
この「熱さ」と「恐怖感」を解放する、ということに似ています。



そんなことができるのでしょうか?



できます。



そして、その「火は怖い」という思い込みや、
「火を極端に避ける」行動パターン、
そしてそれらを創っているエネルギーを解放することで
「制限」から自由になる、という感じです。


そして得られるものは「選択肢」です。

「選択肢」について、こちらで少し詳しく説明しますね^^


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選択肢について
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