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建築・住まいづくり考
建築・家造りルーツ探訪 1.
(ジンバブエ・ニャコンバ地区)
マニカランド州東北部に位置するニャンガ地方はジンバブエの首都ハラ-レより車で 道のり4時間半ほどかかります。周辺は地域特有の赤褐色ラテライト層と美しい山々 に囲まれ、ジンバブエの高地で避暑地としてリゾートやホテルも点在しています。
モザンビーク国境のガイレジ河は、一年中滔々と流れる豊かな自然の恵みであり、 この地域に暮らす人々にとって、社会生活
憩いの源となっているのです。


■はじめに
世界的に人々の環境と生活が問題視されているこの時代、建築の、住宅の何が大切なのか遠い過去に言われた日本人の住まいに対する外国人から見た「ウサギ小屋」論評は、まだまだ近年に於いても記憶に新しく、その解決の糸口は難しいものとなっています。
ここに、著名な建築家たちの建築・住居学思考法を通じて、建築は、住居は、住生活は、住環境はどのようであるべきか等々、共鳴する住宅研究に対して、幾多の研究論の中から比較的わかりやすい暗示文を抽出し、これに我が発想を交えながら、建築・住まいづくりを考えて行こうと思います。
  
建築・家づくりルーツ探訪 2.
(ジンバブエ・ニャンガ地方)
電柱がない、水道もない
無論、電気も洗濯機もない
電話やお風呂もない
サッシ、ガラスもない
コンクリートや鉄骨のない快適な生活環境?
自然環境抜群、郷愁の家並みです。


■住居の発見
いま、私たちは親子と言ったり、夫婦と呼んだり、兄弟姉妹知人友人とその人を表現するのにほとんど数限りない言葉を持っています。父一つを例として「お父様」「おとうさん」「おとう」「おやじ」「パパ」等々であり、これらは別々の感情を言いあらわしています。
親子の関係、夫婦の関係、そして、兄弟姉妹や遠縁、知人友人等、人と人との結びつきほど不可思議なものはありません血と性と地とのつながりに今日まだ多種多様な要素が私たちを結びつけ反発させているのです。
母と自分と言うことから、一般に親子、夫婦等へと考えを伸ばすにつれて、その間柄を決定しているものは本人自身ではなく、もっと他の強い力がある様に思えてきます。
そして、その間柄の中でも最も強い結びつきである家族関係でさえ、その結びつきは意識を越えて行われているように感じられてきます。

建築・家づくりルーツ探訪 3.
(ジンバブエ・ハラレ郊外バランシングロック)
ハラ-レ市内から12kmにあり、自然のバランシングロックが密集している。ジンバブエは紙幣にも奇岩がデザインされている岩の国なのです。

何故に私たちは毎朝家を出て、夜になれば再び我が家へ戻ってくるのでしょうか。
この不思議さは何でしょう。かつては親のもとに帰ったのに、今は、「我が家」と称する別の所に足を向けてしまうのはなぜか。そして他の人々も一様にそうしている。蜂や蟻などの本能に基づくものなのか、或いは、人々が寄り集まって作っている社会、その生み出した制度や規則なのでしょうか。
 
家庭や家族についていろいろな書物を読んで見ると、その中には様々な形の変わったものがあり、どれが良いからと言って、私たちがそれに変わることはできません。
家族と言われる人と人の結びつきができても、それはまだ住居ではない。
それでも住居は先ずそこを出発点とするのです。
 
私たち家族の相互の関係は、なるほど社会の強い力に左右されて一定の型ににはめられています。住宅という枠が社会から与えられ、私たちの生活を規定する強い力を持ち、私たちの間柄に口を挟み込んでいるのです。
そして、その住宅は人間がつくり出したものなのです。
 
住宅は、そこに住む何人かの人々全体の家族の生活が表現されたものと考えられ、さらに、都市や市町村を考えると、それは、大きな人間の集団、地域社会と呼ぶようなものとなってきます。私たち建築家の立場は、こうした家族〜家庭〜住宅〜まち・都市〜生活圏という流れの中でそれらを形づくる役目を与えられているのです。
そして、大は地域社会の、小は個人の生活設計まで触れざるを得なくなるのです。
 
個々の物品であれば、誰か一人にのみ属することは有り得ますが、多くの住居では独占を許されないのです。家族間の強い自己主張や物に対する価値観の相違、或いは、住宅内空間の共有問題など、住宅の設計如何によって果たして夫婦子供喧嘩まで無くすことができるかは疑問ですが、少なくともある面では防止する可能性は与えられているようです。
 
住宅を設計する場合。住宅内に住む幾人かの個人の組合せは無数にあり、無論、家族構成や人員など、幾つかの階層に分けて型を考えることはできます。しかし、建築の空間を捉える事は無理です。例えば物質的な面では、少なくとも各人の持ち物量の条件、持ち物と各人の動作、習慣、関心の度合い、趣味等を考慮しなければな らないでしょう。
人々は、千差万別の要求を持っているのです。もし、仮に住む人々それぞれが思い通りになるような住宅を建て得たとしたら、それこそ真の理想郷となるでしょう。
 
私たちは、固定化されていてほとんど動かしがたいところに大きな矛盾を感じながら、これを克服しようと技術的な工夫をこらし、新しい生活を創造するために建築・住まいづくりの設計を目指しているのです。


■住生活の観察
建築・家づくりルーツ探訪 4.
(ジンバブエ・ニャンガ地方)
数年前、アフリカ南東部ジンバブエのニャンガ地方(モザンビーク国境ガイレジ河に面した亜熱帯の地)に無償協力プロジェクトで一ヶ月半余の現地設計調査をしたことがある。この時のとんがり帽子の茅葺き屋根と円形粘土壁を中心とした住居群の出会いから「住居は人間関係の表現」という著名な建築家の論評を思い出した。それは次のような文面であった。
 
かつて、アフリカの中央部コンゴのイツリの森のバンブチ族部落で一週間余を過ごした時に、面白い現象を発見した。 彼らの住まいは小枝を地面に差し込んで、これをしならせて籠を伏せたような骨組みを作り、これに丈が40〜50センチ幅、20〜30センチの大きな木の葉を引っかけ葺くだけの簡単なものだが、その直径180cm前後の円形平面のどちらから出入りするかに私の興味はそそられた。
 
一般に彼らが集まり住む場所は森の一部だが、少し開かれて、空を見上げられるような所である。50メートルぐらいの高さの木が鬱そうと繁っている密林では、ここだけがちょっとほっとさせてくれる場所である。太陽にお目にかかれる所なのである。
 
この広場を囲んで思い思いに森との境目に彼らはネグラを作るのであるが、その時、だいたいが入り口を広場の方向に向ける。言いかえればこの単純な円形の平面にも、表と奥とが意識されているのである。
 
そこで注意して、表をどちらに向けているかを観察していると、必ずしも、ただ部落の中心である太鼓の方を向いているとは限らない。20〜30人の部落の人々の間にも、気の合うと合わないが少しずつあって、互いに往き来の多いグループの方に傾いている。
まるで顔を好きな人の方向に向けているのに似ている。
 
そして愉快なことには、何かの利害で喧嘩に近い状態になると、ちょうど顔をプイと背けるように、その籠状の住まいの入り口にもう一つ相手から覗かれないような背を向けた籠を付け足すのである。そんな瓢箪型の住まいを見ていると、まさに部落中の人間関係が手に取るようにわかってしまう。
 
話では、部落の人たちとどうしても折り合えなくなると、森を抜けて別の広場を求めて移住するそうである。しかし、同じ部落のものでも、広場から広場の間には移住者の細い踏み後ができて、完全に縁が切れるわけではない。
 
何年に一度ぐらい象でも捕れれば(仕留めた男は英雄となる)森のあちらこちらに散らばっている人たちが皆集まって来て、毎日毎日が踊りで祝う大宴会となるわけである。
 
ここにはまだ階級の発生していない人間の集まりがあり、個人と個人、家族と家族、それだけが、或いは結ばれ、或いは解かれているその人間関係が、住まいの形となって表現されていた。
 
そこで、「住まいとは人間関係の表現である」という考えをもとに、より複雑な社会の住宅も観察してみると、意外にいろいろなことが明るくなってくる。
 
ごく単純に、一人の酋長のもとに統轄された部落などは、酋長の家を頭に一列にしてその全面広場に並んでいたりする。それが発展して中央に廟を配し、その前面にまっすぐな「大街」と称する背筋に相当する道を通し、これから枝のように「胡同」という小路沿いに軒を並べた住宅がある中国の農村集落、これはさらに長安の都 、或いは、京都の街区ともつながっているのである。
 
かなり複雑と見える道のついた村や町でも、住宅がどちらを表とし、奥としているかをたどって往くと、案外にその集落の骨組みと言うか人間のつながり方がわかってくる。
 
男と女が別々の世界に住んでいて、広場で相対峙しているのや、一夫多妻や一妻多夫それぞれの、今では珍しい人眼関係の場合は、またそれなりの姿が見られる。
 
現代の人間関係について考えた場合、私たちが日常経験しているのは、職場での命令系統の流れの中の人間関係で、これはピラミッド状の場合が多い。
しかし、職場以外の所では、バンブチ族等と同じ様な対等の状態方が多くなってきている。
 
数千年の間、生産の関係から、上下関係が作られ、その段階が守られてきた慣習というのは、なかなか崩れるものではないが、工業という分業との協業の上に立つ世界では、次第に上下という間隔は失われつつある。
 
ある意味では、バンブチ族の様な生活に戻ろうとしていると極言できるかもしれない。ただその間に数千年の富の蓄積があって、小枝と葉っぱだけではすまされなくなっているし、人の数も大変増えているので、かなり密集して住まなければならなくなっていることがだいぶ違う。
 
しかし、多くの人たちはまだ、その昔からの上下関係の世界を頭に描いているし、下から上へ昇格する可能性の多かった時代を経過してきたので、未だに家の格を上の方にまねようと言う努力が絶えないでいる。
 
その良い証拠は、家計費の中に示される。貧乏な人の家計では食費の次に住居費が大きな割合を示すが、収入の上昇に伴ってその比率が下がることは食費と同じである。ところが、ある一定収入(多分、部課長級だろうか)前後で住居費の方は再び急に大きな比重を占めるようになる。家の格を高めなければとの意識が働くためだ ろうか。
これも人間関係と大きく関わり合っている。皆が対等ならば、そんな特別の出費を必要としないだろうに。  
工業・科学を前提とした社会では互いの協力と言うことが大切であり、バンブチ族の時はそれぞれがマイホームに閉じこもれば良かったが、今、多くの人々が工業・科学の成果の上に住むには密林の代わりに人々が力を合わせて暮らせる場を作ることが必要である。
マイホームのふたを閉じずに、もう一度表を開いて、互いの新しい人間関係を作り上げることが、これからの住まいに求められているのではないだろうか。
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