■大人の遊び(2)■
「──っていうことがあったんや! ああもう、今思い出しても腹立つわ!」
「へー」
「へー、やない! ちゃんと聞けや工藤!」
「はいはい」
米花町のとある喫茶店で、服部はバンバンとテーブルを叩いていた。遠くから怯えた店員が小さな声で、あのーお静かに……と言っている。
その様子を冷めきった目で見ながら、コナンはアイスコーヒーのストローを咥えていた。
まったく、捕まえに行くならまだしも、単身で堂々と宣戦布告に行けば、それはそういう目にも遭うだろう。短い時間を共に過ごしたあの大泥棒は、大抵の大泥棒がそうであるように、プライドが恐ろしく高い。普段はふざけた笑顔に隠されているその内側に無遠慮に手をつっこめば、無事に帰れただけでも相当にラッキーだ。
コナンにはそれが良く分かっていたし、服部もまたそれを知っているはずだ。それなのに何故そんな真似をしたのか。その理由に思いを馳せ、コナンは僅かに赤面した。
自分も含め、大抵の名探偵もまた、プライドが恐ろしく高い。自分のライバルである探偵が事もあろうに泥棒を庇って怪我をした、それだけでも名探偵のプライドを刺激するには十分だ。そしてそのライバルが同時に恋人でもある、となれば尚更だ。
コナンはそっと、自分の左腕を見た。傷はとっくに塞がり、僅かな痕が残るのみだ。
「なんや、まだ痛むんか?」
腕を見つめるコナンに、服部が心配そうに尋ねる。
「いいや、もう全然、痛くねえよ」
ぶんぶんと元気に腕を振り回してみせるコナンに、服部が重ねて問う。
「ホンマか? まったく、お前は無茶しすぎや。こっちの心臓が持たへんわ」
一通り愚痴を吐き出したところで、服部の怒りはようやく収まったようだ。コナンよりずっと大きな褐色の手が、心配そうに腕に触れる。
その手首をコナンは小さな手で掴んだ。身体をテーブルの上に乗り上げ、新一の口調で服部の耳に囁く。
「そんなに心配なら、今夜ゆっくり、確かめてみろよ」
「っ!……工藤……お前なあ……」
赤くなった服部から素早く身体を離し、コナンはえへっと笑いながらストローを咥えた。
「……まったく、かなわんわ……」
溜息と共に、服部が椅子にもたれる。
ちなみに今日の予定は、大阪から来る平次にいちゃんに映画に連れて行ってもらって、そのあと平次にいちゃんのホテルにお泊りするんだー、と毛利家の人々には言ってある。何も嘘はついていない。
コナンは腕時計をちらりと見た。映画まで時間はまだある。ぶらぶら歩いて時間を潰してもいいが、雲行きが怪しい。映画の前に濡れ鼠はごめんだ。
コナンは「おねえさーん」とウエイトレスを呼び、アイスコーヒーのお代わりを頼んだ。服部にも意図が通じたのか、ホットのお代わりを注文する。
二人そろって新たな飲み物に口をつけていると、一人のウエイターが近づいて来た。
「お待たせしました」
低く艶のある声の主が、テーブルの上に小さな皿が載せる。服部が怪訝な顔でウエイターを見た。
「なんやこれ、頼んでないで」
その皿の上を見た瞬間、コナンは立ち上がろうとした。途端に視界が揺れる。薄れていく意識の中、同じくテーブルに伏した服部の姿と、皿の上の黄色が見えた。
「よろしければこのレモンパイもお試しください。……って、もう聞こえてねえか」
顎髭のウエイターはわざとらしく「お客様、大丈夫ですかー」などと言いながら二人を店の奥へと連れ出した。
二人の探偵を一軒家のアジトに運び、武器を取り上げてベッドに寝かせると、次元は隣室のドアを開けた。
「よお、ご苦労さん」
上機嫌な声が次元を出迎える。
ベッドルームに機材を持ち込み、ルパンは何やらせっせと機械の調整をしていた。
「なあルパン、言われたとおり連れて来たがよ、あの部屋はいったい何だ?」
二人の探偵が眠る部屋は、全方向が真っ白な壁に覆われている。設備も調度品も何もなく、ただ真ん中にベッドがひとつあるだけだ。
「いやー、ちっとばっかし、流行に乗ってみようかと思ってよ」
次元は首を傾げながら、嬉々として機械を操作するルパンを見た。
「おいルパンよお、そもそもおめえ、食い物を盗むんじゃなかったのか?」
「そうだぜ、日本の料理にあるだろ、ほら、鶏肉をダシで煮て、卵でふんわりさせてご飯にのっけるやつ」
「ああ、親子丼か……って、おい、まさかお前!?」
ニシシッとルパンがいやらしく笑う。
「あ、分かっちゃった? 次元パパ?」
「てめえ、ショタコンの趣味まであったのか!?」
女好きで性欲の塊のように思われているルパンだが、実はその守備範囲は驚くほど狭い。若すぎても熟しすぎてもダメ。清楚で育ちのいいお嬢さんも、心惹かれはするが手は出さない。下品な女もパス。男は論外。つまり、適齢で物事をわきまえた大人の美女だけがルパンのベッドの相手だ。唯一の例外は、相棒であり恋人であり髭面のおっさんである次元大介、ただ一人だ。
珍しく怒髪天を突く勢いで激昂する次元をよそに、ルパンは残念そうな顔で天井を仰いだ。
「うーん、それならよかったんだけどよ、やっぱどう考えてもガキは無理だわ」
「だったらさっさと片付けろ! 俺はあの二人を返してくる!」
靴音も荒々しく踵を返す、その次元の手首をルパンが捉えた。
「そう言うなよお、男なら一度はやってみてえだろ?」
「俺はやりたくもねえし、そもそもあのガキは俺の息子じゃねえ!」
「でも、あのガキの『パパ』はお前だろ、次元?」
次元の手首を掴んだその指先が、シャツの袖口に潜り込む。
「っ……」
あからさまに性感を刺激する、その指の動きに、次元の脚が止まる。熱い情欲を含んだ黒い瞳が獲物を追い詰める。
次元の手首に指を這わせたまま、ルパンは機械のスイッチを押した。
隣の部屋を隔てていた壁が、瞬時に透明に変わる。睡眠薬が切れたのだろう、向こう側の白い部屋では少年が起き上がり、注意深くあたりを見渡している。
思わず気を取られていた次元のネクタイに、するりと指がかかった。
「おい、ルパン!」
「大丈夫、あっちの部屋からこっち側は見えねえよ。音も一方通行だ。今は、な」
「今は、って何だ、おいルパン!?」
悲鳴のような抗議の声は、ルパンの唇に塞がれた。
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