■大人の遊び(1)■


 潜水艦からボートで洋上を数十分。
 見た目は子供、頭脳は十七歳にしてはハイスペックすぎる名探偵は、人目につかない海辺にひっそりと降ろされた。傍らに立つのは赤ジャケットの大泥棒と黒衣のガンマンだ。侍は既に立ち去り、謎のお姉さんは今頃、灰原をこっそりと阿笠邸へ送り届けているはずだ。
 まだ水平線から昇りきらない朝陽の中、早朝の潮風が三人の男の上衣を揺らす。
 コナンは大泥棒の顔を見上げ、ニヤリと笑った。
「じゃあな、次に会った時は必ず捕まえるぜ」
 工藤新一の顔で笑う少年に、ルパンもニヤリと笑い返した。
「ったく、最後まで可愛くねえガキだぜ」
 もう一度ニヤリと笑い、少年は目線をガンマンに移した。名探偵の鋭い眼光は消え、無邪気なコナンの顔があどけなく笑う。
「じゃあね、パパ。銃の所持で捕まらないように気をつけてね」
「パパって呼ぶな!」
 お約束のような怒鳴り声にえへっと笑い、そうして少年は駆け出した。
「ったく」
 その後ろ姿を見送りながら、次元は小さく溜息をついた。既に日本の警察には匿名で連絡済みだ。あの少年はあくまで一般の七歳児として、警察に無事保護されるだろう。
 振り返りもせずに駆けてゆくその姿を眺めながら、次元は煙草を咥えた。隣でカチリと小さな金属音が響き、口元にライターの火が差し出される。
「ん」
 数時間ぶりの煙が身体に染み渡る。次元は上を向き、ふーっと煙を吐き出した。
「息子と離れるのが寂しいのかなあ? 次元パパ?」
 隣の大泥棒が同じく煙草を咥えながら、にやにやと笑う。
「冗談じゃねえ、あんな面倒くせえガキとは二度と関わりたくねえよ。……あと、その呼び方はやめろ」
「はーい、パパ」
 ルパンが笑いながら、コナンの声色を真似る。
「けっ」
 舌打ちをしながら、次元は短くなった煙草を足元に投げ捨てた。砂の上に踏みつけて火を消す。
「で? これからどうする、ルパン?」
 希少な鉱石は取り戻し、本国には伝えた。日本での仕事はこれで終わりだ。
「そーだなあ」
 ルパンはちらりと次元を眺めた。次元の目線は遠くを見つめている。その瞳は、もう見えなくなった小生意気なガキの姿を未だに追っている。その様子に、ルパンはひっそりと口の端を吊り上げた。
 欲しいものは何でも盗み出す、そのルパンが珍しく迷っていた獲物が脳裏に浮かぶ。
──よーし、やっぱりきーめた、っと。次の獲物は──
「なあ次元、せっかく日本に来たんだからよ、ちょっと食いてえモノがあるんだ」
「なんだ? スシか? スキヤキか?」
「いーや、料理って言うより食材だな。輸出不可能、日本でしか食べられない逸品さあ」
 あれ、でもハワイへは持ち出せたって言ってたっけ?──ブツブツ言うルパンに背を向け、次元はさっさとボートへと向かった。
「あ、おい待てよ、次元」
 ルパンは慌てて次元を追った。この料理を食べるには、次元と一緒でなくては意味が無い。
「なあ、次元、お前もきっと気に入るぜ? だから──」
 次元は顔だけで振り向き、不思議そうにルパンを見た。その瞳には何の疑いも映ってはいない。
「盗りに行くんだろ? で、どこにあるんだ、その獲物は」
「さっすが俺の相棒、話が早いねえ」
 ルパンはにやりと笑った。
「まずは餌の調達だ。場所は大阪」
「タコヤキか?」
 的外れな応えを繰り返す相棒の肩を抱き、ルパンはちゅっと唇に触れた。
──お前のそういうところ、大好きだぜ、次元──
 目をぱちくりさせる次元にウインクし、ルパンはウキウキとボートへ向かった。
 
 
 
 数日後、深夜零時、大阪の美術館。
 月光の下、ルパンは屋根の上を走っていた。後ろからは銭形のダミ声が追ってくる。
 狙っていた美術品は、あのキザな怪盗に掻っ攫われた後だった。腹は立つが、それはまあいい。今回の目的は美術品ではない。元より、派手な予告状を出した時点でこれは想定の範囲内だ。
 あの予告状で真におびき出された男を思い浮かべ、ルパンはほくそ笑んだ。
 展示室で非常ベルが鳴り、ドアが開いたあの時、銭形の後ろにいた青年。帽子を後ろ前に被り、小生意気なあのガキに良く似た不敵な笑みを浮かべた青年。次元に渡した、江戸川コナン調査メモに名前があった青年。
──あれが、服部平次、ねえ──
 工藤新一と並び称される西の名探偵。そして同時に工藤新一の──
 調査メモの内容を思い出し、ルパンは苦笑した。
──まったく、ガキの身体で中身は十七歳ってのは難儀だねえ──
 後ろから聞きなれたダミ声が迫ってくる。屋根伝いに美術館の裏手へと回り、隣の建物に飛び移ると見せかけて、ルパンは暗い林の中へと身を潜めた。ダミ声が遠ざかるのを確認し、次元が待つ車へと向かう。
「おい、待てや、おっさん」
 不意に林の影から帽子をかぶった青年が姿を現した。相手の正体を知ってなお不敵に笑う、その表情は本当にあのガキにそっくりだ。
「初対面でおっさんはねえだろ、西の名探偵?」
「おっさんはおっさんや」
 青年がじりっと近づく。日本人には珍しい浅黒い肌は、己の恋人の身体を少しだけ思い出させる。ルパンはニヤリと笑った。
「俺様を捕まえようってのか? やめといた方がいいぜ?」
「アホか、何も盗ってない奴を捕まえてどないするんや」
「──へえ?」
 月光を遮る暗い林の中、静かな夜風が吹き抜ける。
「じゃあ、何の用事かなあ? 探偵サン?」
 青年は笑顔を消し、目の前の男を睨んだ。
「自分の目で見ときたかったんや。ルパン三世が、工藤が身体張って助ける価値のある泥棒か、をな」
「へえ、それで俺様は合格?」
 にやにやと笑うルパンに、服部は肩を怒らせた。
「分かるか! あないな気障ったらしい怪盗に先越されるような間抜け、どうやって判断せえ言うんや!」
「あらら……」
 青年の怒鳴り声に、ルパンは思わず苦笑した。確かに出し抜かれたのは事実だ。
「次はきっちり盗みに来いや。そしたら、俺が捕まえたるわ」
 青年の挑発に、ルパンの顔からにやけた笑みがすっと消える。その顔に残る笑みは、凍りつくような殺気だ。
「……っ」
 思わず後ずさりそうになる脚を、服部は必死に踏み堪えた。冷たい夜風が首筋を撫でる。
 大泥棒は冴え冴えと笑った。
「だったら捕まえてみな。また近々、盗みに来るからよ」
 じゃあな、と言い残し、泥棒は闇の中へと姿を消した。
 暗い林の中、己の身体を動かすこともできず、服部は暫くその場に立ち尽くしていた。



next→

二次創作に戻る