■錆びた天使(9)■


 ドアが開いた瞬間、二本の舌が襲ってきた。それを寸前で躱し、宮田はトリガーを引いた。一時的な弾幕に、二体の化け物が天井に飛び移る。
 その一瞬の隙をついて木村はドアから飛び出した。階段に向かって廊下を走る。背中が焼けるように痛い。抱えた少女の重みに、背中の筋肉が引き攣れる。
「……ッ……!」
 化け物のうちの一体が、天井を飛び越えて木村の頭上に張り付いた。右目から緑色の液体を滴らせ、左の赤い目が木村を捉える。
 おぞましい唸り声とともに一直線に伸びる舌が、木村を襲う。頭部を貫く寸前、宮田の銃弾がその舌を弾き飛ばした。
 走る木村を背に、宮田は冷静に一体ずつを交互に撃った。敵が素早い上に、銃の火力は圧倒的に不足している。倒すのは無理だ。少しでも足止めをして、木村との距離を稼ぐ。弾が尽きたら、後退しながら弾倉を交換して、再び足止めをする。
 トリガーを引きながら、宮田は自分の頭の中が急速に冷めていくのを感じた。冷静に、確実に、感情を持ち込まず。敵を倒すためではなく、自分を守るためでもなく、ただ目的のためだけに、必要なことをこなす。それはK・B・Gに入る前、初めて銃を持った時から叩き込まれたことだった。
 背後で、木村のブーツの音が聞こえる。視界の隅に、階段を示すプレートが映った。
──あと、もう少し──
 宮田の銃弾が、飛びかかってきた化け物の左肩に当たった。吹き飛ばすような威力はないが、化け物は動きを止めた。
 すかさずもう一体に銃口を向けた時、化け物の肩が青白く光った。咆哮が廊下の壁を震わせる。銃弾の喰い込んだ部分から体全体が膨れ上がり、太い爪が見る見るうちに伸びていく。
──突然変異!?──
 太い腕が唸りを上げて振り下ろされる。その爪は、一瞬前まで宮田がいた場所を切り裂き、床を抉った。
「宮田!」
 背後から、木村の声が聞こえる。
「いいから走れ!」
 怒鳴りながら避けざまに、宮田はトリガーを引き続けた。化け物は最早止まろうともせず、身体に刺さる銃弾にかまわず、近づいてくる。その頭上では、もう一体が天井から舌を鞭のようにしならせていた。



 耳を裂くような咆哮に、木村は思わず振り向いた。一体の化け物が膨れ上がり、その腕が宮田に向かって振り下ろされる。
 思わず木村は、叫んだ。宮田の声が聞こえる。
「くそっ」
 今すぐにでも戻って、応戦したい。だがそれが出来る状況ではない。腕の中の少女は震えながら、木村の上着をしっかりと掴んでいる。背中の傷が開いたのだろう、生ぬるい血が身体を伝い、床に滴る。
 木村は歯を喰いしばり、少女を抱え直した。一気に廊下を走り抜け、階段のドアキーに辿りつく。震える指で暗証番号を叩くと、ドアが開いた。敵がいないことを一瞬で確認し、木村は叫んだ。
「宮田! 早く来い!」
 その瞬間、化け物の腕が宙を薙いだ。吹っ飛ばされた宮田の身体が、壁に叩きつけられる。
「……ぐ……ッ!」
 息が詰まり、手から銃が落ちる。それでも宮田は倒れずに踏みとどまった。木村の声がする方へ走りだす。
 宙を鞭打つ舌をくぐり抜け、自分を呼ぶ声に向かって宮田は飛び込んだ。ドアを抜けると同時に、木村がドアをロックする。息をつく暇も無く、その合金製のドアが外側から、爪で引き裂かれた。
「昇れ!」
 木村が少女を抱え、階段を駆け上がる。ドアを引き裂いて、巨大な化け物が階段に侵入して来る。狭い階段の壁が、化け物の身体にぶつかり崩れていく。
 宮田はホルスターから銃を引き抜いた。木村から渡されたそれを構える。この銃であのデカい化け物を足止めすることは、もうできない。それを承知で、宮田はトリガーを引いた。赤い目、緑色の涎を垂らす口、獣のような頭、唸りをあげる喉、少しでも弱そうな場所を冷静に狙う。
 撃って、弾倉を替えて、また撃つ。階段を駆け上がる足音を頭上に聞きながら、少しずつ後退する。階段を上がるごとに、焦りが宮田の中に湧き上がる。
──あの人、まだかよ!──
 カチッと乾いた音がした。トリガーの手ごたえが軽い。
「くそっ」
 化け物が腕を振り上げる。その腕が、背後の木村もろとも宮田を薙ぎ倒そうとした瞬間。
「伏せろ!」
 ピンッという音とともに、何かが投げ込まれた。反射的に宮田と木村は踊り場まで駆け上がり、身を伏せた。
 轟音が吹き抜けの階段に響き渡る。
 間髪いれず、アサルトライフルの連撃音が響く。その男の姿を宮田は見上げた。鷹村は目線を階下に向けたまま、からかうように笑った。
「よお随分、手間取ったみたいだなあ。やっぱり小物には荷が重かったか?」
「……アンタ……あれ……良く見て……くださいよ……」
 上がりきった呼吸で途切れ途切れに、宮田は階下を指した。
「え? ……って、何だありゃあ」
 手榴弾は、化け物に全く傷をつけていなかった。止むことのない咆哮が空気を震わせ、青白く光る身体がどんどん膨らんでいく。狭い階段の壁など無いかのように、振り回す腕が床と壁を抉る。
「おい木村! 大丈夫かよ!?」
 青木の声に、宮田は這うように木村に近づいた。
 うずくまった状態で、木村は身体の下から少女の身体を引っ張り出した。
「悪りぃ、この子、頼むわ……」
 青木に少女を渡し、木村はその場に崩れた。
「木村さん!?」
 宮田の声に、木村は少しひきつった顔で笑った。
「あー、大丈夫。っていうか、子供って結構、重いんだな。背中が割れるかと思った」
「……シャレになってないですよ、それ……」
 ホント、シャレになんねえよ、とぼやきながら、木村が立ちあがった。ふらり、とよろけるその身体を宮田が支える。
「呑気にしゃべってんじゃねえ! さっさと屋上まで行け!」
 鷹村がライフルを乱射しながら怒鳴る。
 青木が少女を抱きかかえ、三人は階段を駆け昇った。
 屋上へのドアを開けると、渦巻く風が吹き込んできた。タイミング良く、ヘリが降下してくる。
「早く乗って! もう時間が無いんです!」
 板垣の声が爆風にかき消される。
 少女を抱えて青木が乗り込み、宮田が木村を支えながら乗り込む。
 鷹村がドアから出てきた瞬間、屋上の建物部分が内側から吹き飛んだ。
「うわっ」
 もはや元の形も分からないほどに膨れ上がった化け物が、姿を現す。
「鷹村さん!」
 鷹村がヘリの縁に手をかける。その身体を引き裂こうとする化け物の腕を、鷹村は思いっきり蹴った。ヘリが上昇し、化け物の腕が空を切る。
 高度を上げたヘリの下で、化け物の咆哮が街中に響いた。
「いててて、ああもう、さんざんだ。コートも駄目になったし……」
 少し血の気のない顔で木村がぼやく。
 宮田は少しほっとした。傷は浅くは無いが、アジトに戻って治療を受ければ大事には至らなそうだ。
──もし、あの傷がもっと深かったら──
 ぞくりとした感触が、宮田の背筋を走り抜ける。考えたくもない恐怖に、呼吸が止まる。
「ああもう、なんか、眠いし──」
「血が足りねえんだよ。着くまで寝とけ」
 鷹村の言葉に、木村は素直に、そうさせてもらいます、と答えた。
 目を閉じて、隣の宮田の肩にこつんと頭を預ける。その頬についた血の痕を宮田はそっと指で拭った。
 鷹村と青木にとってはなんだか気まずい空気の中、木村はすぐに寝息を立て始めた。
「おにいちゃん、寝ちゃったの?」
 青木の膝の上でぬいぐるみを抱きしめたまま、少女が尋ねた。青木は少女を抱え直した。
「ちょっと疲れただけだよ。チエちゃんだっけ? 怖かっただろ、偉かったな」
「怖かったけど大丈夫。おにいちゃんたちが助けてくれたから」
 そう言って少女は、木村と宮田の方を見た。
「……チエちゃん、あのさ……」
 青木が少し言いにくそうに尋ねた。
「なあに?」
「……その……木村、怖くなかったか?」
「木村って?」
「寝てる方」
 少女はキョトンとした顔をした。
「寝てる方のおにいちゃんはこわくないよ、すごく優しかったもん」
 寝てない方のおにいちゃんはちょっとこわかったけど、と小さな声で言われ、宮田の心臓がギシリと軋んだ。
──怖くて当たり前だ。オレはこの子供を見殺しにしようとしたんだから──
 宮田は目をそらし、木村の顔を見た。疲れて血の気が無く、それでもやさしい顔で木村は眠っていた。
 青木はほっとした表情で少女を見た。
「そっか、優しかったか」
「うん!」
 青木は少女の頭を撫でながら、小さな声で言った。
「宮田、ありがとな」
「……え? なんですか?」
「なんでもねえよ」
 それっきり、青木はそっぽを向いた。理由の分からない青木の言葉に、宮田はすっきりしないものを感じたが、それ以上は聞かなかった。
 鷹村は黙って座ったまま、僅かに笑みを浮かべて目を閉じた。
 夕闇に閉ざされた空に、一筋の光が走った。ヘリの遥か後方で、ラクーンシティは炎に包まれた。



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