■錆びた天使(7)■


 廊下を駆け抜け、階段を駆け下りて、二人は七階に到達した。廊下の突き当たりが、目的の研究室だ。宮田は暗証キーを入力し、ドアをあけた。
 室内には一人の少女がぺたんと座っていた。アジトで見せられた写真の子供に間違いない。木村は怖がらせないように腰を屈め、少女の名前を呼んだ。
「チエちゃん?」
「……おにいちゃん、だあれ?」
「チエちゃんのお父さんに頼まれて助けに来たんだ。一人でがんばってえらかったね」
 木村が少女を抱きしめる。
 少女の目から涙があふれ、大声で泣き始めた。木村はあやすように少女の頭を撫でる。
 宮田はドアに目を配りながら、内心、舌打ちをした。大きな物音はゾンビを引き寄せる。
──早く黙れよ──
 木村が上手に少女を落ち着かせ、やがて泣き声はやんだ。
 木村は少女を立たせた。
「走れる?」
「うん」
 少女は片手でぎゅっと木村の手を掴んだ。もう片方の手に、くまのぬいぐるみが握られていることに宮田は気付いた。
「そんなもの置いていけ」
「だめ、おとうさんが、絶対に持ってなさいって……」
 木村と宮田は、顔を見合わせた。
 少女がぎゅっと抱きしめるぬいぐるみを、宮田は乱暴に取り上げた。
「おい、宮田!」
 宮田はナイフで縫い目を裂く。中から出てきたのは、防水ケースにはいったマイクロチップだった。傍にあったパソコンの電源を入れ、チップのリーダを繋ぐ。
「……ウイルスとワクチンの生成方法だ……」
 科学者が言っていた取引条件はこれだったのだ。
 少女が泣きそうな目で、引き裂かれたぬいぐるみを見る。
 木村はチップを引き抜き、元通りぬいぐるみの中に戻した。応急処置でごめんね、と言いながら、傍にあったステープラーで裂け目を塞ぐ。
「これはしっかり、君が持っていてね」
 ぬいぐるみを抱きしめ、少女はこくりと頷いた。
 ドアの外に気配がないことを確認し、三人は研究室を出た。あとは階段を昇って帰るだけだ。
 宮田が先に進む。木村は銃を片手に持ったまま、少女の手を引いた。
 不意に、木村の視界の隅を何かが横切った。反射的に銃を構えながら少女を背後に隠し、片手でトリガーを引く。
「木村さん!」
 すかさず宮田も銃口を向ける。天井に張りついた醜悪なモンスターが、じっとこちらを見ている。人型だが、異様に長い手足はまるで蜘蛛のようだ。
 長い舌が舌なめずりをするように蠢き、緑色の粘液がぬらぬらと滴る。
 宮田がトリガーを引いた瞬間、化け物が視界から消えた。
「くそっ、速い……っ」
 宮田はトリガーを引き続けた。化け物は一瞬姿を現しては消え、次の瞬間には別の場所に現れる。頭に向かって直線的に伸びる舌を宮田はギリギリかわした。その舌が鞭のようにしなって向きを変え、木村の頭を一直線に横薙いだ。
「うわっ」
「木村さん!?」
 つい先ほどまで木村の頭があった場所に壁に大きな穴が空き、緑色の液体が滴る。
「……ッ!」
 間一髪で直撃は避けたが、風圧が木村の頬を切り裂く。それでも背後に少女をかばいながら、木村は化け物から目を離さなかった。舌が化け物の体内に戻る瞬間、木村の銃弾が正確に化け物の右目を貫く。化け物は一瞬ひるんだように動きを止め、狂ったような雄叫びをあげながら木村に飛び掛かった。
「くそっ」
 木村は壁を背にしたまま銃を撃ち続けた。少女が後ろにいるため、動くわけにいかない。
「木村さん!」
 宮田が、化け物と木村の前に身体を滑り込ませた。レッグホルスターからデザートイーグルを引き抜き、化け物の肩に打ち込む。衝撃に空中でバランスを崩した化け物が床にべたっと落ちる。宮田はトリガーを引きながら叫んだ。
「走れ!」
 一瞬の迷いもなく、木村は少女の手を引いて廊下を走りだした。廊下の向こう側に、白衣を着たゾンビが三体、姿を現した。少女の手をしっかり握ったまま足を止めず、木村は銃を構えた。三発の銃弾がそれぞれの脳を正確に撃ち抜く。ずるりと崩れる屍体に目もくれず、駆け抜ける。
 背後でマグナム弾の銃声と化け物の唸り声が、つかず離れず聞こえる。化け物を近づけないギリギリの速度で、宮田が後退を援護しているのだ。
 決して闇雲に撃っているのではないではない、冷静なリズム。一秒にも満たない、弾倉交換の音。
 木村の中に、不思議な安心感が湧き上がる。出会ってまだそれほど長い時間を過ごしたわけではないのに、ずっと前から一緒に戦ってきたような気がする。
──やっぱりさ、相性いいんだよ、俺たち──
 あと少しで階段、というところで、木村の視界を何かが掠めた。考えるより早く、身体が反応する。少女を抱きこんで床に伏せた木村の背中を、灼熱の鞭が襲った。
「うア……ッ!!!」
「木村さん!?」
 思わず振り向いた宮田の視界に、もう一体、同じ化け物が映った。同じようにぬらぬらと光る舌から、緑色の粘液と赤い血が滴っている。
「くそっ」
 倒れた木村を壁側に庇いながら、宮田は銃口を左右に向けた。トリガーを引くが、カチリという乾いた音がするだけだ。木村は力を振り絞って顔をあげた。目の前にドアがある。何とか立ち上がり、ドアキーに手を伸ばす。三人が部屋の中へ飛び込んだ直後、ドアの表面を二本の鞭が打ち付けた。



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