■孤独の代償(5)■
このバーで待ち合わせをするのは何度目だろう。
グラスに口をつけながら、レオンはぼんやりと考えた。
ビバリを堕としたあの夜も、自分はこの椅子に座っていた。きっかけはほんの悪戯心と──心の底に眠っていた暗い嫉妬だった。あの無邪気な笑顔がどんな風に歪むのか、見たかった。いや、歪めることで──勝ちたかったのだ。
そして確かに目的は達成できた。
満足すべき結果なのに、何故か心臓のあたりが重い。
ドアが開く音がした。
足音が近づき、男が隣に腰かけた。
「悪い、待たせた」
「いや、かまわないさ」
バーテンが差し出すグラスを笑顔で受け取り、だがビバリは口をつけない。
レオンはビバリの顔を見た。
元々白い肌が、今は紙のように白い。それが自分のせいなのか、ビバリ自身のせいなのか、それを考えることはもはや無意味だ。
しばらくの沈黙の後、レオンが口を開いた。
「内々に、転勤の打診があった」
「……行先は?」
「ニューヨーク。期間は一応、三年」
ビバリが顔をあげてレオンの方を見た。驚きと僅かな悔しさが入り混じった顔は、数瞬の後、祝福の笑顔に変わった。
「そうか、おめでとう」
若い時期の海外転勤は、出世コースの王道だ。抜擢されるのは優秀な社員で──もしもう少し前であれば、選ばれるのはビバリだったはずだ。
全てを理解して、悔しさを飲み込んで、それでもビバリは笑った。
「先を越されたな」
いたたまれず、レオンはグラスを煽った。
「それで、いつからだ?」
「来月」
「……急だな」
ビバリがグラスに目を落とした。
再び沈黙が流れる。今、考えていることはおそらく二人とも同じだ。仕事の話とは別に、もう一つ、ケリをつけるべき話がある。
三年間の海外赴任──遠距離恋愛という選択肢は、レオンにはなかった。心が耐えられるかも自信がなく、まして自分のこの身体が、今さら男なしでいられるはずもない。
答えは一つ、別れるしかないのだ。それはビバリも分かっている。今の二人の状態を考えれば、むしろ絶好のタイミングだ。あとはどう切り出して、どう別れるか。ただそれだけだ。
ビバリの方から切り出してくれないか──レオンはそれを願った。
それとも、この優しすぎる男にそれを望むのは酷だろうか。ビバリがどんな言葉を口にするか──レオンは淡い期待を打ち消すために、アルコールを流し込んだ。
『帰ってくるまで、待っているよ』
『来年には俺も行く、それまで待ていてくれ』
そんな言葉をビバリが言ったところで、結果は同じだ。ましてそんな言葉を望む資格も自分にはない。
ビバリは俯いたままだ。
耐えきれず、レオンはそっと、ビバリの手に自分の手を重ねた。
ビバリの身体がびくりと震える。目線をあげないまま、ゆっくりとビバリが口を開いた。
「レオン、頼みがある」
「……何かな」
「俺を……解放してくれ」
絞り出された声は震えていた。
一瞬の後、レオンは笑い出しそうになった。
──この期に及んで、これだけひどいことをされて、そんな顔色になって、それでもまだ君は『お願い』をするのか。僕はたとえ殴られても捨てられても愛想を尽かされても当然だというのに──
お願いをする、それはつまり、決定権はレオンの方にあるという意味だ。
ビバリは、レオンに決断させようとしているのだ。──レオンが後悔しないために。
レオンはわざと、冷酷な笑顔を作った。
「ああ、わかった、君を解放しよう」
ビバリはようやく顔をあげ、泣き出しそうな顔で笑った。以前のような無邪気な笑顔は、そこにはなかった。
レオンは、自分の心臓がキリキリと痛むのを感じた。その痛みを冷酷な顔で押し殺す。
──あの笑顔を奪ったのは僕だ。もうこれ以上、何を望む?──
レオンは重ねた手に力をこめた。
「最後にもう一度……いいだろう?」
ビバリは黙って、ただ頷いた。
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