■君のいる世界(4)■


 翌日、昼近くになり、ようやくビバリは出社した。
 頭がぐらつき、足は重い。二日酔いのせいだと思い込みたかったが、それだけではないことはビバリ自身、分かっていた。
 オフィスのドアをあけると、ルイが弾かれたようにこちらを見た。その姿をあえて無視し、ビバリは新聞を広げた。
 二人きりのオフィスで、沈黙が続く。
 意を決したように、ルイが立ち上がった。
「今日は、遅かったんですね」
───心配してました───
 言外のニュアンスに、ビバリの心がちくりと痛む。
「あの、昨日のことですが」
「やめてくれ、聞きたくない」
「お願いです、話を聞いてください」
 ルイが必死に訴える。触れた手から、僅かな震えが伝わってくる。
───誤解です、あなたを愛しているんです───
 そんなことは、言われなくても分かっている。ルイの愛を疑ってなどいない。だからこそ、ビバリはつらかった。
「うるさい!」
 乱暴にその手を振りほどく。
 ビバリは目線をそらし、わざと冷たい言葉を口にした。
「汚れてしまったルイは、俺の好きなルイじゃない」
 ルイが茫然と立ち尽くす。
 ズキズキと痛む気持ちを押し殺し、ビバリは自嘲した。
───違う、汚れてなどいるものか。醜いのは私の心と、弱さだ───
 その時、ノックの音が響いた。ドアが開き、澄ました顔でバサラが入ってくる。
 その優越感に浸った顔を殴りつけたい衝動を、ビバリはかろうじて堪えた。握りしめた拳が震える。
 怯えた顔のルイを残し、ビバリは部屋を出た。
 
 
 
 呆然と立ち竦んだまま、ルイはドアを見つめた。
 ビバリの背中はあからさまに、ルイを拒絶していた。追いかけたいのに、気持ちとは逆に足がすくんで動かない。
 背後からぞわりとしたものが首筋に触れた。気持ちが悪い。嫌悪感に、吐き気がする。
 ルイは力いっぱい、その手を振り払った。
「やめてください!」
 バサラが歪んだ顔で笑った。
「この前はあんなにも愛し合ったじゃないか」
「僕は貴方を愛してなんかいない!」
 そうだ、あんなものは愛じゃない。
 僕が愛しているのは、僕を愛してくれるのは、たったひとり───


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 ドアに凭れて天を仰ぎ、ビバリは片手で顔を覆った。
───まただ。また言えなかった。ルイは私のものだと───
 何故隠すのか、隠すことが本当に最善なのか、それは本当にルイのためだったのか。
 ビバリにはもう分からなくなっていた。
 だがもう遅いのだ。今さら、私のものだなどど言う資格はないのだ。
 愛する者を守り切れず逃げ出す男など、ルイには必要ない。
 そうだ、私は逃げたのだ。ルイを愛することから。

 いたたまれずにその場を立ち去ろうとして、ビバリは足をとめた。
───逃げる……?
 逃げた先には、何があるのか。
 その先にあるのは───ルイのいない世界だ。
 
 ドアの中から、怒りに満ちたルイの声が聞こえる。
『やめてください!』
 今まで一度でも、自分に対してあんな声で拒絶したことがあっただろうか。
 ビバリの中に、ルイの声が蘇る。
───『ダメですよ』───
 凍りつくような冷たさの中に、ほんの僅かに甘さを含んだあの声。それを知っているのは自分だけだ。
 
 ビバリは顔をあげた。
 まだ間に合うだろうか。ルイは私を許してくれるだろうか。
 いや、そんなことはどうでもいい。ただ、ルイのいない世界になど逃げたくない。
 ビバリはドアのノブを強く握った。



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