■春なのに(3)■


 有栖の予想通り、事件は難解にして不可解だった。密室を模した奇妙な現場、殺された資産家、複数の愛人と相続人の曖昧なアリバイ──もちろん、難解にして不可解だからこそ火村先生にお声がかかったのだが。
 火村は今日一日で複数の現場を見分し、可能な限り関係者に会った。もちろん有栖も同行し、的外れな推理で可能性を潰すという任務を無事果たしたのだが。
 正直、途中から有栖はげんなりしていた。確かに密室らしき殺人のトリックは未だ解けておらず、その点には大いに興味をそそられる。が、それ以上にこの事件で特徴的なのは、愛人の多さだ。その数なんと二十余人。殺された資産家は大変な艶福家だったようだ。女性たちは口をそろえて『自分の他に愛人がいることは知っている。充分な手当てをもらっていたし、束縛もされなかった。不満は全くなかった』と言う。その言葉の真偽は置いておくとして、そんなにたくさんの相手と関係を保つのは大変ではないだろうか。自分なら、まず顔と名前を覚えきれない、と有栖は思う。二十人以上の人間を平等に扱うのは不可能だし、個々に応じて扱いを変えるのは至難の業だ。というか、面倒くさくはなかったのだろうか。実際、愛人たちの中でも資産家にとっての『お気に入り』という意味で優劣はあったらしい。ならばそのお気に入りだけを集めて、ハレムでも何でも作ればいいではないか──などと口にしても僻みにしか聞こえないので、もちろん有栖はその点については黙っていた。
 火村はあくまで淡々と、関係者から話を聞いていた。時折、長い指が唇をなぞる。
 明日も別の関係者から話を聞くことになっている。捜査会議は深夜近くになりそうだ、とのことで、二人は夕方過ぎに府警を辞した。
 そろそろ街にネオンが灯り始める時間だ。府警の入り口で有栖は尋ねた。
「君、これからどうする? この時間なら一旦帰れそうやけど」
 昨夜、せっせと部屋を掃除したことを喉の奥に押し込んで、有栖は努めて平静に尋ねた。
 二人の車は府警の駐車場に預けてある。火村が京都に帰るのなら、今日はここで解散だ。
「そうだな、その辺の店で夕飯を済ませて、コンビニでビールを調達して、ホテル夕陽丘で捜査会議、ってのはどうだ? 宿泊料は今晩の夕飯代」
「それは名案や。宿代は寿司がええなあ」
 口から出るのはいつもの軽口だが、帰ると言われなかった嬉しさに、押し殺せなかった笑みが漏れる。
 駐車場に向かいながら、助教授は澄まして答えた。
「回転する方なら、好きなだけどうぞ」
「なんや、新進気鋭の助教授センセイやろ?」
「休講ばっかりの助教授センセイは薄給なんだよ。知らなかったのか、超売れっ子作家センセイ?」
「しゃあないな」
 笑いながら、有栖は近くのファミレスを提案した。火村は快く承諾する。
 ベンツは一晩預かってもらうことにして、二人で青い鳥に乗り込む。
「ああ、アリス。一つ予定変更の提案だ」
 助手席でシートベルトを締めながら、火村が言った。
「なんや?」
「その辺の店で夕飯を済ませて、コンビニでビールを調達して、ホテル夕陽丘の『ベッドの上』で捜査会議。どうだ?」
 悪戯っぽく笑う火村に、有栖は悪戯っぽく笑い返した。
「それは名案や。捜査会議に支障が出ないよう、お手柔らかに、な」
「それはお前次第だろ、」
 アリス、と低い声で囁かれ、有栖はうっかり青い鳥をエンストさせそうになった。
 
 
 
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 マンションのドアを閉めた途端、火村の腕が有栖の身体を捉えた。
「ん……っ」
 玄関の壁に身体を押し付けられ、脚が有栖の太腿を割る。片腕で腰を抱き寄せられ、片手で頬を固定される。
 普段、自分の唇をなぞる火村の長い指が、有栖の唇に触れる。そのまま重ねられた唇から、熱い舌が侵入してくる。有栖は薄く唇を開き、それを受け入れた。両腕を火村の首にまわし、強く引き寄せる。
「ふ……ん……」
「……ん……」
 漏れる吐息が混ざり合い、お互いの熱が増幅する。
「あっ……や……っ」
 火村の太腿が有栖のジーンズの上から股間を擦り上げた。久々の刺激に、有栖の口から声が漏れる。
「ここ、もう熱くなってねえか?」
 火村の口調が完全に、二人だけのものに変わる。
 途切れ途切れに息を吐きながら、有栖は笑った。
「は……っ……君こそ……随分サカってるなあ……まだまだお若いですねえ、センセイ?」
「センセイはやめろよ……アリス」
「ん……火村……っ!」
 玄関先でひとしきり盛り上がり、お互いの服を脱がせようとしたところで、二人はどうにか踏み止まった。
 甘い息を整えながら、有栖は言った。
「先に風呂使ってくれ。その間に……準備しておくから……」
「準備って、何のだ?」
 いやらしく笑う火村の頭を、有栖は小突いた。
「アホ。捜査資料や」
 笑いながら、火村が勝手知ったるバスルームへと向かう。その姿が完全に見えなくなったところで、有栖はその場にへたりこんだ。
──ああもう、危機一髪や──
 この年齢になって、玄関先で暴発なんて冗談じゃない。
 しばらくの後、有栖はよろよろと立ち上がり、どうにかダイニングに辿りついた。なるべく己を刺激しないよう、余計なことを考えないよう努めながら、缶ビールを冷蔵庫にしまう。それからリビングに戻り、鞄からノートを取り出す。今日、刑事たちから聞いた事柄や、関係者の話がメモしてある。
 新しいページを開き、有栖は手早く見開きいっぱいに人物相関図を書いた。さすがに二十人を超える愛人は書ききれないので、主要な人物以外は「愛人A」で済ませる。書きながら、二十人程度でよかったと有栖は思った。これ以上多かったら、アルファベットが足りなくなる。書き終えたノートとペンを持って、有栖は寝室へ向かった。ベッドサイドのテーブルにノートを置いたところで、火村が風呂から出てくる音がした。



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