■春なのに(2)■


 約束の時間、ギリギリ二分前に有栖の車は現場へと到着した。本当はもっと早く着く予定だったのだが、二つの目覚ましは有栖にとって役者不足だったようだ。
 曇天の下、現場となった住宅の前には、警察の車両と見慣れたオンボロベンツが停まっている。路上では顔見知りの刑事と初めて見る若い刑事、それに白ジャケットの旧友が話をしている。
 自分の車をなるべく邪魔にならないよう路肩に寄せ、有栖は素早く火村に目を走らせた。
 刑事の話を真剣に聞きながら、何事か考えるように唇をなぞっている。すっきりと鼻筋の通った横顔は、今日もそれなりに男前だ。いや、一ヶ月前と比べて更に男前になったように見えるのは、親友の欲目か。特にやつれている様子はない。きっと充実した学者生活を送っていたのだろう。もっとも火村は、自炊はマメだし下宿には婆ちゃんがいるので、食住が疎かになることはない。衣だけはもう少しどうにかした方がいいと思わなくもないが、今更変わるものでもないということは有栖自身が良く知っている。そして本音を言えば、有栖は火村のあの緩めた細いネクタイが嫌いではない。
 有栖は車を降り、軽く頭を下げながら三人へと近づいた。
「遅くなってすみません」
「いえいえ、時間どおりですよ。こちらこそご足労いただきありがとうございます」
 温和な顔をした刑事に穏やかに言われ、有栖の方が恐縮する。
 ただの助手ごときにも丁寧に接してくれるのは、それだけ警察の火村への信頼が厚いということだ。
 そんな会話の間、火村は一言も口をきかず、じっと有栖をみつめている。正確には観察している。
──な、なんや?──
 よお、という軽い挨拶のタイミングすら逃し、有栖はしばし戸惑った。一ヶ月ぶりに会った親友が、じっとこちらを見ている。この場合、どういうリアクションが正解なのだろう。
──「一ヶ月ぶりやな、会いたかったで」──
 いや、これはおかしい、と心の中で即座に否定する。恋人同士じゃあるまいし、会いたかった、はおかしいだろう。というか、多分、恋人同士でも人前では言わない──はずだ──と有栖は思う。
 その時、急に火村がつぶやいた。
「役目を果たしたのは三つ目の目覚ましだけか」
 火村の手がごく自然に有栖の後ろ頭にまわる。ピンッと弾かれた感覚で、全てが繋がった。
 有栖はあわてて、自分では見えない後頭部をなでつけた。起きてすぐに家を飛び出したので、寝癖がついていることに気付かなかったのだ。
「……間に合ったんやからええやろ。お前こそ、ちゃんとネクタイ締めろや」
「俺は寝坊をしなくても、この締め方だ」
「堂々と言うことちゃうやろ!」
 付き合いが長いので、お互い口の利き方にも遠慮がない。顔見知りの刑事がにこにこと笑い、若い刑事がぽかんと口を開けている。
──ほれみろ、驚いてるやないか──
 有栖は目線で火村に訴えた。
 きっと、さっきまでしかめつらしい顔をしていたこの犯罪学者が、急に口が悪くなったので驚いているのだろう。有栖はそう思い、火村の脇腹を肘で小突いた。
「──それでは、有栖川さんもいらっしゃったので、現場を見ていただきましょう」
 温和な刑事が、あくまで穏やかに、現場へと二人を案内する。先ほどまでぽかんと口を開けていた刑事が、弾かれたようにその後を追った。



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