■春なのに(4)■
「あ……や、そこ……あかんっ……て……」
ベッドの上で足を大きく開かされ、有栖は歓喜の声をあげていた。
風呂から出た途端、有栖は待ちかまえていた火村の腕に絡め取られた。移動の時間も惜しいとばかりに舌を絡め合い、寝室になだれこみ、そうして今、火村は有栖の股間に顔を埋めている。
酷薄そうなあの唇が、考え事をする時になぞるあの唇が、有栖のものを丹念に愛撫する。舌先で裏側を刺激され、ねっとりとした口腔に包まれ、唇で幹の部分を擦られながら、指で袋の付け根を優しく刺激される。その全てに、有栖の身体はびくびくと反応した。
頭の中が真っ白になりそうな快感に翻弄されながら、有栖の思考は悦びで満たされていく。この一ヶ月、欲しがっていたのは自分だけではないと、火村も同じだったと、それが何よりも嬉しい。
有栖は震える腕を伸ばし、火村の髪を引っ張った。
頭をあげた火村の唇は、有栖の淫液に濡れている。
「火村……」
有栖の要求に気付いたのか、火村が身体をずりあげる。濡れた唇で唇を塞がれ、有栖の口の中に自分の味が広がる。不味いなんてものじゃないのに、その不味さにすら興奮する自分がここにいる。
「ん、ん、んーーッ!!」
舌を絡め合いながら、火村の手は有栖のものを捉えたままだ。溢れる嬌声は全て、火村の舌に絡め取られる。
唇を離し、火村が有栖の顔を覗き込んだ。
「いい顔だ、アリス」
「……っ、この……変態……ッ」
「俺の嗜好だ、諦めろ」
何という言い草だ、と怒鳴りたいが、口から溢れるのは喘ぎだけだ。その顔を火村が間近で覗き込んでいる。
有栖は知っていた。どうやら火村は、相手が快楽に溶けてぐずぐずになる、その顔を見るのが大好きらしい。そして有栖はもう一つ知っていた。どうやら自分は、火村に見られているとたまらなく興奮するらしいのだ。
破れ鍋に綴じ蓋、という言葉が脳裏を掠める。
思考が発散しそうになったところで、不意に後ろの部分がするりと撫でられた。反射的に悲鳴をあげ、腰がはねあがる。
火村の指先が、その部分をつつくように刺激する。その感触が、既に火村を待ち望んで蕩けていることを有栖自身に知らしめる。
「や……」
指先が離れると、追いすがるようにそこが収縮する。僅かな間、火村の身体が離れた。次の瞬間、ぬめった感触と共に、火村の指が体内に侵入してくる。
「……ひあ……っ」
人工の粘液と共にゆっくりと侵入した指が、徐々に深い部分を侵食する。待ち望むその場所をわざと外す指の動きに、有栖の腰が揺れる。
その間も、火村は決して目線を外さない。目を開けば意地悪く笑う火村と目が合い、目を閉じれば余計に火村の視線を感じる。
「あ、あ、火村、そこ、……っ」
自分で腰を動かしながら、有栖は火村を見上げた。
火村は知っているのだろうか。自分の方こそ、蕩けきった顔をしていることを。
「ひッ……」
火村の指が増やされる。今度は感じるその部分を惜しみなく擦られる。
「あ、ひむら、もう、頼むから……っ」
涙声で有栖は訴えた。このまま達したくはないと。火村とつながりたいのだと。快楽だけなく、火村の熱を感じたいのだと。
有栖の願いに、火村が笑った。それは先程までとは全く違う、これが同じ人間かと思うほど優しい笑みだ。
額に優しく唇がおとされる。指が引き抜かれ、脚を抱え上げられる。期待と緊張に、有栖の身体が震える。
「アリス」
今、この時しか聞けない低く優しい声で囁かれ、次の瞬間、火村の熱が有栖の体内を抉る。
「ひッ、あ、あ……」
腰から下すべてを痙攣させながら、有栖のそこが火村を飲み込んでいく。
「く……ッ」
僅かに苦しそうな火村の声が耳に届く。滴る汗が、有栖の腹にぽたりと落ちる。
熱の塊が徐々に深さを増す。
やがて有栖の入り口付近に、皮膚とは異なる茂みが触れた。火村のものを有栖が全て呑み込んだ証だ。火村が深く息を吐き出し、擦れた声で名前を呼ぶ。有栖は努めて力を抜き、ベッドに身体を預けた。内壁が馴染むまではゆっくりと、そこが蕩けるに従い徐々に激しく、火村の熱が有栖を貫く。
「ひあッ、あ、あ……んッ……ひむ……らぁ……ッ!」
「アリス……」
貫かれたまま唇を重ねる。体内の熱と、舌の熱と、触れ合う肌の熱が溶け合う。火村の荒い呼吸が有栖の耳を犯す。
「……ひ…むら……あ、いい……」
「アリス……アリス……」
「……っ……あ、あ……ッ」
達する瞬間、火村が有栖に何かを囁いた。その言葉を捉えることができないまま、有栖は熱い迸りを最奥で受け止めた。
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「被害者が殺害されたのが、十八時から二十五時の間やろ? で、愛人Kのアリバイは十九時から二十一時まで愛人Pが唯一の証人やから、もし二人が共犯なら……」
「おい、アリス、愛人Kって誰だ?」
「ん? あれ、えっと、カナコだかケイコだか、そんな名前やったな」
「じゃあPは?」
「……すまん、忘れた」
「忘れたじゃねえよ……」
「ちょっと待て、ちゃんとメモしてあるから」
有栖はあわててノートをめくった。
ベッドの上で裸のまま俯せに寝ころび、一枚の布団に包まって、二人は熱心に捜査会議を行っていた。枕の上は仮の捜査机で、今は有栖の書いた人物相関図とメモが散乱している。
「そうだ、桜子だ!」
「……もしかして、ピンクのPか?」
「さすが名探偵」
呆れたように火村は有栖を見た。そして有栖もまた、自分自身に呆れていた。二人による熱心な捜査会議の過程で、ほぼ無関係と思い込んでいた愛人が突如、重要人物として浮かんできたのだ。浮かんだのはいいが、KだのPだのでは誰だか分からない。
結局、有栖はベッドの上で、アルファベットと人物名の対応表を作る羽目になった。完全な二度手間だ。
その間、火村は熱心に、有栖のノートをめくっている。長い指が唇をなぞっている。
さっきまであの唇と指にされていたことを思い出し、有栖は一人、赤面した。
それでも何とか対応表は完成し、次は関係者全員のアリバイを時系列で書き出していく。現時点で知りうる限りの情報を書き出し、二十余人の愛人および関係者のアリバイはだいぶ整理された。あとは明日、また関係者に会いに行き空欄を埋めれば相当絞り込めるだろう。
ちなみに密室もどき殺人のトリックは、捜査会議早々に有栖に降りてきた閃きのおかげでおおよその見当がついた。これも明日、現場で確認できる。もっとも、府警で今頃行われている本物の捜査会議で既に目鼻はついているのかもしれない。それならそれでいい。
「今日はこんなもんか?」
「ああ、そうだな。あとはまた明日だ」
有栖は今日の捜査資料を枕の上からかき集めた。丁寧に揃え、ベッドサイドのテーブルに置く。身体が布団からはみ出し、有栖はぶるりと震えた。
「まだ夜は寒いな」
「何か着たらどうだ?」
火村の言葉に、有栖は無言で布団に潜り込んだ。そのまま火村の身体にぴったりと寄り添う。
火村も無言のまま、有栖の身体を抱き寄せながら、肩まで毛布をひっぱりあげる。
しばらくの間、寝室は沈黙に包まれた。
「……なあ、火村」
「……ん?」
「被害者はなんで、二十人以上も愛人を囲ったんやろ」
「そりゃあ……精力絶倫だった、とか?」
火村の回答は、有栖を納得させなかった。火村自身、納得できる回答など持ち合わせてはいない。と言うか、他人の下半身事情など知ったことではない。
「被害者は独身やったし、恋人もおらんかったな」
「そうだな」
「……恋人と愛人の違いって、なんやろ」
「辞書上の言葉の定義は、お前の方が詳しいだろう? イメージで言うなら、愛人は金銭授受と性的関係の要素が大きいな」
応えながら、火村には分からなかった。何故、有栖はこんなことを聞くのだろう。
「つまり、金と性欲が無くなった時に、何かが残るのが恋人、何も残らないのが愛人、ってことか」
「……そういう解釈もできるな」
「だったらなおさら、一人でいいと思うんやけどなあ」
「は?」
「例えば俺とお前は恋人ではないやろ?」
「……」
「俺には恋人がいない。けど、それでも、快楽と体温を分け合う相手が欲しいと思ったら、一番相性のええ人が一人いればそれでいいと思う」
「……お前、もしかして、俺を愛人だと言っているのか?」
「は!?」
一瞬の後、有栖は笑い出した。
「ちゃうちゃう、だいたい寿司一つご馳走してくれんのに愛人囲うのは無理やろ」
「……今の話しの流れだと、囲うのはお前の方だろ……」
どっちにしても、懐具合は似た者同士、金銭で他人を囲うのは無理だ。
「恋人でも愛人でも、呼び方は何でもええ。セックスの相手は、相性のええ人が一人いればそれでいい、って話や」
「それで、性欲が無くなった時に、何かが残ったら恋人、何も残らなかったら愛人、か? 随分と結論が出るのが遅い結果論だな」
火村の心地よい声を聴きながら、有栖はゆっくりと微睡みの中へと沈んでいった。
「なあ、火村。結果なんてどうでもいい。呼び方もどうでもいい。俺には一人だけいればいい。それだけ……」
そう言ったきり、有栖は寝息を立て始めた。
一つのベッドの上で、ぴったりと寄り添う有栖の体温が火村に伝わる。
──快楽と体温──
有栖の言葉が耳に残る。
火村は有栖の髪にそっと触れた。
金も性欲も、それ以外の何もかも──犯罪と小説に対する情熱さえも──無くした時、俺とお前の間に残る物は何だろう。
──結果なんてどうでもいい。呼び方もどうでもいい──
穏やかな寝息をたてる有栖の耳元で、火村はそっと囁いた。
──俺も、一人だけいればそれでいい──
END.
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