■快楽と体温(4)■
刑事に面会を手配してもらう間、二人は予定通り、現場となった住宅をもう一度訪れることにした。
予め現場の警察官に話を通しておいてもらい、二人は青い鳥に乗り込んだ。
本当は火村のベンツも府警の駐車場に預けっぱなしだ。有栖が運転役を買って出たのは、火村が黙り込んで考え事に没頭しているからだ。
ポツリと、雨粒がフロントガラスにあたった。天気予報どおりだ。
沈黙に沈む車を走らせながら、有栖は被害者と愛人たちの関係を思い描いた。
一対多の関係。被害者は愛人たちをどう認識していたのだろう。個々の人間として認識していたのだろうか。あるいは多の中の一人にすぎなかったのだろうか。そして愛人たちは多の一部であることに本当に満足していたのだろうか。
自分が口を出す筋合いのことではないと頭では理解しつつ、有栖は不愉快だった。それは倫理の問題や金にあかせた行為に対する嫌悪感ではない。一対多の関係を維持するという、その行為の意義が理解できない自分に対する苛立ちだ。
有栖はちらりと、隣の席を見た。火村の目は前を向き、だがその視線は思考の中を彷徨っている。時折、長い指が唇をなぞる。
──火村には理解できるのだろうか、被害者の行為の意味が──
雨が次第に強くなる。ワイパーが規則的に雨粒を払い落とす。
沈黙に耐えられなくなり、有栖は口を開いた。
「やっぱりPが気になるみたいやな?」
「ああ」
「でもPには動機がない」
「動機なんてものは、結局のところ本人の心の中にしかないんだ。他人にできるのは、せいぜい想像力を膨らませて推し量ることだけだ」
「つまり、Pにも動機がある可能性がある、ってことか」
車は国道を通り郊外へ向かう。
話している間に、雨足はどんどん強くなる。寒さを感じ、有栖はエアコンのスイッチをいれた。この分では、桜の開花は少し遅れるかもしれない。
急に火村が声をあげた。
「あ」
「な、なんや!?」
「すっかり忘れてた、アリス、そこの店に寄ってくれ」
そう言って火村が指したのは、大手衣料チェーン店の看板だ。慌ててウインカーを出し、有栖は車を滑り込ませる。
「なんや、上着でも買うのか?」
「いや、ちょっと待っててくれ、すぐ戻る」
雨の中、火村は店内へと走っていった。十分もしないうちに、袋を抱えて駆け戻る。
「まったく、ひどい降りだな」
助手席に滑り込み、雨粒を払いながら、火村は袋から何かを取り出した。
それはマフラーだった。分厚い赤茶チェック柄のそれはどう見ても真冬を想定した物だ。
「なんや、寒かったのか。エアコンの温度上げるか?」
「いや、これはお前が巻いてろ。赤札だけどこれしか無かったんだ、柄に文句を言うなよ」
「……俺、そこまで寒くないけど」
「そうじゃない」
そう言って、火村は有栖のセーターの首回りから無遠慮に指を突っ込んだ。
「ひゃあっ……!!」
急に冷たい指で皮膚をなぞられ、鳥肌が立つ。
「な、なにするんや!?」
「お前と同じ、あるいはそれより低い身長なら問題はない。だがあの刑事はお前より背が高かった。しかもお前はあの時、頭を下げた」
「何の話や?」
「背が高いと上から見えるんだ。出かける前に気付かなかった俺も悪いが、服の選択を誤ったお前も悪い」
有栖は慌てて、セーターの首元を引っ張って覗き込んだ。
「おい、引っ張るな、ますます首回りが伸びるぞ」
火村の制止も聞かず、有栖はセーターを思いっきり引っ張った。インナーでは隠れないその位置に、それは確かにあった。
「……!! 完全にお前のせいやないか! 何が『服の選択を誤ったお前も悪い』や!」
怒鳴りながら、有栖はマフラーをぐるぐるに巻いた。
「悪いと思ったから、買ってきたんだ」
澄ました顔で言う火村を、有栖は睨んだ。今日は午後から、またあの二人の刑事と合流することになっている。いったいどんな顔をして会えばいいのか──
『がんばれ青年』などと思った自分が心底恥ずかしい。
「──覚えとけよ」
やり場のない怒りをせめて火村にぶつけることで発散させながら、有栖はエンジンキーを回した。
本格的に降り出した雨の中、首まわりをほかほかとした温もりに包まれながら、有栖の青い鳥は今度こそ現場へと向かった。
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現場へと到着した二人は、見張りの警官に名前を告げた。既に連絡が通ってるので、警官の対応はスムーズだった。集まっていた相続人たちへの挨拶もそこそこに、被害者の死体が発見された部屋へと向かう。
部屋の中は既に鑑識が徹底的に調べた後だ。証拠品は髪の毛一本、残ってはいない。だが、昨夜の推理が正しければ、それは必ずこの部屋にあるはずだ。
相続人たちは、ある者は興味深げに、ある者は胡乱な眼で二人を遠巻きに眺めている。
「見ろ、アリス」
火村の声に、有栖は大きな掃出し窓へと近づいた。そこには、自分たちの推理が正しかったことを示す痕が確かに残っていた。
火村が刑事に電話をかけ、密室もどきのトリックを説明する。
その間、有栖は床に白く描かれた人型の線を見つめていた。
殺されるその瞬間、何故自分が殺されるのか、その理由が被害者には理解できたのだろうか。犯人に同情する気は全くないが、もしその動機が──火村にすら話していない、他人である有栖が推し量ったその動機が被害者に理解できていたのなら──
そこまで考えて、有栖は思考を止めた。犯人が確定したわけではない。ましてその動機は全て推量だ。そもそも、有栖の推理が全て当たっていたとしても──被害者が、殺される理由が理解できる人間であったなら、殺されることはなかったのだ。
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