■快楽と体温(3)■
府警では、昨日と同じ二人組の刑事が待っていた。
「おはようございます。連日のご協力、感謝します」
顔見知りの刑事が、相変わらず穏やかに言う。その声は僅かに憔悴し、隈が昨日より濃い。捜査会議が深夜に及んだのだろう、と有栖は思った。
「こちらこそ、貴重な現場に立ち会わせていただきありがとうございます。今日もよろしくお願いします」
火村が礼儀正しく挨拶をする。有栖もそれにあわせて頭を下げた。
ふと視線を感じ、有栖はもう一人の若い刑事を見た。疲れている様子があまり見られないのは、やはり若さだろう。偉そうなことを言える立場では全くないが、先輩刑事について必死に捜査をする姿を想像すると、思わず『がんばれ青年』と応援したくなる。その若い刑事が、何故か有栖の方をちらちらと見ている。
『がんばれよ』という気持ちを込めて、有栖は若い刑事にも会釈をした。弾かれたように若い刑事が頭を下げ、慌てて手帳を捲り始めた。
「……?」
不自然なその態度の理由が分からず、有栖は目線で火村に尋ねた。
気付いていないはずのない火村は、平然と無視を決め込み、刑事たちに昨日の状況を尋ねた。腑に落ちないものを感じながら、有栖もノートを取り出し、話に集中する。
殺害された資産家は不測の事態に備えて遺言書を残していた。まだ開封はされていないが、内容は相続人および一部の愛人にとって、公然の秘密だった。何故ならつい先日、資産家は遺言書を書き換えており、しかも資産家自身がそれぞれ本人に伝えていたからだ。元々、法律上の相続人には相応の分配が、愛人たちには謝礼金が、それぞれ残されることになっていた。今回の書き換えは大きな変更では無く、ただ前回作成時から年月が経ったので、現在の状況に見合った額に修正しただけだと言う。
あくまで当人たちが資産家から聞いた話でしかないが、もし遺言書の内容が全く異なるものだったとしても、現時点で──正確には殺害時点で──それを知ることができた者はいない。
事件当日の各人のアリバイについても、刑事は簡潔に説明をしてくれた。火村が時折質問を挟み、有栖はそれを聞きながら手帳を埋めていく。が、何せ人数が人数だ。全て書ききれた自信はない。
やがて、刑事の説明と火村の質問が尽きたところで、有栖は口を開いた。
「相続や謝礼の額については皆さん、納得していたんですか?」
相続人たちが受け取る資産は相当な額になるはずだ。だが客観的妥当性とは別に、『あいつの方が多いのは不公平だ』という不満が生まれれることは大いにあり得る。何せ、額が額だ。
あくまで穏やかに刑事が答える。
「相続人の間には、そのような感情もあるようですね。そこに動機がないかは、現在捜査中です。女性たちについては、今のところそういった情報はありません。金額に若干の差異はあるようですが、それほど大きく異なるわけでもないし、親密度に応じた謝礼ですから、貰えるだけありがたい、と言う人がほとんどです」
昨日聞いたとおり、愛人たちの間にドロドロとした確執はなかったようだ。
分かりました、と有栖は礼を言い、口を閉じた。
それにしても──『女性たち』『親密度』──ものは言い様だ。
被害者にとって、愛人たちにはランク付けがあった。扱いに差があったかどうかは知らないが、愛情の度合いを感じることはあっただろう。
──そもそも被害者は、彼女たちを多少なりとも愛していたのだろうか。あるいは単に都合の良い性処理の対象だったのだろうか。 そして愛人たちは、被害者を愛していたのだろうか。あるいは金のためと完全に割り切っていたのだろうか──
有栖は頭を振り、ペンを握りなおした。今はアリバイとトリックに集中しよう。助手が呆けて、火村の評価が下がるのは本意ではない。
話題は、資産家の死によって誰が利益を得るか、に移っていた。相続人は当然として、遺言書の中身を知っていた愛人にも当然、嫌疑がかかる。疑わしい者たちのうち、金に困っていたのは誰か──その情報も、警察は既に把握していた。
二十余人の情報が一晩で収集されていることに、有栖は心の中で感嘆した。この人たちは本当に、寝ずに捜査をしたのではないか。
金銭の観点から、ある程度人数が絞られた。その中にはKも含まれている。
火村は、その中から、Kを含む数名との面会を希望した。加えて、Pとの面会も希望する。
「桜子さんですね。分かりました、手配します。彼女は被害者との親密度がかなり高かったそうですが、金銭的には困っていないようですね。何かひっかかるところがあるのですか?」
刑事の問いに、火村は答えた。
「この殺人を成しえた全ての人物に、話を聞きたいのです」
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