■快楽と体温(2)■


 携帯のアラーム音が部屋に響く。ゆっくりと意識が浮上する。隣で火村が腕を伸ばし、電子音を止めた。
「アリス、起きろ」
「んー……」
 有栖はぼんやりと目を開けた。普段は一度変な時間に起きてしまうと眠れなくなるのに、今朝は熟睡していたらしい。先に起き上がった火村のパジャマの裾を、有栖は軽くひっぱった。
 火村が甘く苦笑しながら有栖に覆いかぶさる。この時間にしか見ることのできない髭面に、昨夜の蕩けた表情が重なり、有栖は僅かに赤面した。
「……ん」
 軽く唇を重ね、二人はベッドを抜け出した。
 交互に洗面所を使い、髭を剃る。合間に食パンをトースターに放り込み、フライパンで二つの目玉焼きを一度に焼く。スクランブルエッグは新婚の朝食、というのが二人の共通認識だ。目玉焼きはただの朝食である。
 熱いコーヒーを淹れ、有栖は自分のカップに注いだ。火村はカップに牛乳を三分の一、そこにコーヒーを継ぎ足す。忙しい朝の猫舌対策、とは本人の弁だ。
 ダイニングのテーブルに向かい合って座り、朝食をとりながら有栖は火村に今日の予定を確認した。
「府警で話を聞いてから、現場やったな」
「ああ。それと、何人か、もう一度話を聞きたい」
「やっぱりKとPがひっかかるなあ。お互いの行動がお互いのアリバイを証明するなんて、出来過ぎや」
「清美と桜子だ。お前、本人の前で、ケイコだのカナコだの言うなよ」
「蒸し返すな! ちょっと勘違いしただけやろ」
「だいたい、どうしてケイコがMでカナコがHになるんだ。小説家の想像力は俺のような凡人の理解を超えるな」
「うっさいわ」
 経緯を説明するのも面倒、というより恥ずかしくなり、有栖はカップに口をつけたままそっぽを向いた。
 だいたい、あの人物相関図は暴発寸前の身体を必死に抑えて書いたのだ。その原因を作った男に文句を言われる筋合いはない。そう有栖は結論づけた。
「さて、と」
 飲み干したマグカップをテーブルに置き、火村は壁の時計を見上げた。
「そろそろ行くか」
 火村が皿とカップをキッチンに運ぶ。有栖は今更のように尋ねた。
「ところで火村センセイは今日も休講か?」
「今日も、って何だよ。休講は昨日だ。今日は講義なし。明日は午後から会議だから、今夜中に帰れば問題ない」
「やっぱり休講なんやないか」
「お前こそ、大丈夫か?」
 少しだけ気遣うようなその声に、有栖は笑った。
「大丈夫やなかったら、最初から断ってる。作家の頭の中は二十四時間、仕事中や」
「ふうん、二十四時間、ねえ」
 意味ありげに笑う火村の言葉に、有栖は赤くなる顔をとっさに背けた。
「ほら、もう時間や」
 有栖は手早く身支度を整え玄関へ向かった。後ろで火村が笑う気配がする。
 そうして二人は、今にも雨が降り出しそうな空の下へと足を踏み出した。



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