■目を閉じて、声で感じて(3)■
その夜。
会社近くの居酒屋で、桧垣の受賞を口実にした飲み会が開催された。
最初は桧垣を肴にしていた同僚たちも、次第に話題は仕事の愚痴や世間話へと移り始める。
そんな中、健司は黙ってビールの入ったコップを弄んでいた。いつもなら率先して場を盛り上げるのだが、今日はどうしても、そんな気分にはなれない。
社員たちの話題は、三条の結婚話へと移っていた。
「三条部長の結婚相手が社長の一人娘だって、本当か?」
「あ、本当らしいですよ〜。何でも、去年の創立記念パーティーで、娘さんの方が三条部長に一目惚れしちゃったらしいです」
社内一の情報通と呼ばれる山岸が、得意げに答える。
「すげえよなあ、まさに逆玉だな」
「しかも入り婿だろ? ってことは、三条部長が次の社長になる可能性もあるのか」
「そういえば三条部長って、あんなにカッコ良くて仕事も出来て、すごくモテてたのに、今まで浮いた話一つなかったんですよね〜。 案外、結婚も出世の手段くらいにしか考えてないのかも」
社員たちの無邪気な噂話にいたたまれなくなり、健司は席を立とうとした。
その時、山岸が桧垣に声をかけた。
「そうだ、桧垣君は、その辺のこと詳しいんじゃない? なんか話聞いてないの?」
山岸の言葉に、桧垣が苦笑する。
「まいったなあ、山岸さん、どこまで情報通なんですか」
「え、桧垣って、三条部長となんか関係あるのか?」
桧垣の代わりに、山岸が答える。
「桧垣君って、三条部長の甥っ子なんでしょ?」
「え!? そうなのか?」
桧垣は苦笑しながら、観念したように口を開いた。
「特に言いふらすことでもないんで黙ってたんですけど……三条部長は、母方の叔父なんです。 俺の母が、三条部長の姉で……」
「ってことは、桧垣ってもしかして、コネ入社?」
「違いますよ。 三条部長がヘッドハントされたのは、俺が入社した後ですから」
健司は思わず、桧垣の顔を見つめていた。二人の顔や外見に、共通点は見当たらない。強いて言うなら「男前」に分類される、というところが同じと言えば同じだが、それだけだ。
三条は中肉中背の穏やかな紳士だが、いざ交渉などの場になると、理論的かつ説得力のある言葉が淀みなく流れ出す。駆け引きにも長け、誰もが無理だと思った条件をいつの間にか相手に呑ませてしまう。まさに切れ者だ。
対して、桧垣の方は190cmという高身長にもかかわらず、タレ目で愛嬌があり、ぬぼーっとした雰囲気がある。頭は悪くないのだが、話し方もゆっくりで、良く言えば一言一言を選んで口にするタイプだ。
無意識に桧垣の中に、三条に似た部分を探している自分に気づき、健司は苦笑した。
「でもさ、三条部長と桧垣ってあんまり似てないよな」
「そうよね、雰囲気も全然違うし」
その時、年配の女性社員が声をあげた。
「あ、声! 声は似てるんじゃない?」
「そうですか?」
「ほら、口調が違うから気づかないけど、声質はすごく似てるわよ。 そうだ! 健司さん!」
いきなり名前を呼ばれ、健司はしぶしぶ、話の輪に入った。
「なんだ?」
「今、桧垣君と三条部長の声が似てる、って話をしてたんですよ。 で、確かめるために、桧垣君に健司さんの名前を呼んでもらおうかと思って」
「名前?」
「ほら、三条部長って、健司さんのことを『健司君』って呼ぶでしょう? 同じように呼んでみれば、似てるかどうか分かるかと思って」
「まあ、いいですけど……多分、似てないと思いますよ」
言いながら、桧垣は三条のように背筋を伸ばして、健司の方を向いた。
「『健司君』」
その瞬間、健司の心臓がドクンと跳ね上がった。それはまさに、三条がベッドの上で自分を呼ぶ時の声だった。
「ほら、似てるわよね?」
「そうですかぁ?」
「別の言葉も言ってみて!」
社員たちは無邪気に桧垣をからかっている。
健司はその場から動けなかった。あの甘い声が耳にこびりついて離れない。
半年前、何度となく自分に愛を囁いた甘い声。もう二度と聞くことはないと思っていた声。
──俺はまだ、あの男に未練があるのか──
自嘲気味に笑い、健司は手酌でコップにビールを注ぎ、一気に飲み干した。
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