「結構、積もりましたね」
 テナントビル建設予定地で、吉岡は高尾に話しかけた。
 地面には十センチ程の雪が積もり、太陽の光を反射してキラキラ輝いている。
 高尾は憮然とした顔で、返事もしない。内心、「何だって俺が、朝っぱらからこんな場所に来なきゃならないんだ」と思っているのが、吉岡には良く分かる。
 吉岡は、同行していた建設現場責任者に声をかけた。
「休日なのにすみません。建築デザイナーの松岡様が、どうしても現場を見ておきたいとおっしゃるので……」
「いやいや、私はかまいませんよ。滑りますから足元に気をつけてください」
 案内のために呼ばれた男は愛想よく笑いながら、高尾と吉岡、それに新進気鋭の若手建築デザイナーである松岡を案内する。
 高尾は興味なさそうに、松岡は熱心に現場を見て歩く。
 積んである資材の山が目に入ったとき、案内の男がふと足をとめた。
「どうかしましたか?」
「いや、あそこにはシートがかけてあったはずなんですが……」
 ちょっと見てきます、と言って資材に近づいた男が、急に悲鳴をあげた。
「どうしました!?」
 駆け寄る吉岡に、男は恐怖に引きつった顔で言った。
「し、死体が……」
「死体!?」
 吉岡が覗き込むと、資材の山の陰に、ビニールに包まれた物が転がっていた。シートの端からは二本の足が出ている。
 高尾と松岡も慌てて駆け寄ってきた。
 吉岡が恐る恐るシートをはがす。中には、ジャンパーにジーンズ姿の若い男が包まれていた。右腕の部分がどす黒く染まっている。
 吉岡は若い男の口元に手をあて、高尾を振り返った。
「息はしていますので、生きています」
 松岡は蒼白になって立ち尽くしている。
「救急車、いや、警察を……」
「いや、待て」
 取り乱す案内の男を制し、高尾は倒れている男を抱き起こした。男は血の気のない顔でぐったりとしている。
「こいつは……」
 一昨日、自分の命を狙った男だ。吉岡もそれに気づいたようだ。
「吉岡、車をまわせ。俺のマンションに連れていく。それと、西村を呼べ」
「西村医師をですか!? 社長、今度こそ警察と病院に任せた方が……」
「さっさとしろ!」
 高尾の一喝に、吉岡は携帯電話を取り出し、運転手に車をまわすよう連絡をする。
 鶯の身体を高尾は抱き上げた。雪に濡れた身体は、氷のように冷たかった。

 ※※※※※

 朦朧とした意識の中、腕にちくりとした痛みを感じ、鶯はぼんやり目を開けた。
『あ、起こしちゃったかな』
 知らない声がする。ぼやけた視界の中で、自分の腕に点滴の針が刺されているのが見えた。
『起きたのか?』
 今度は知っている声のような気がする。
 声の主が、自分の頭を優しく撫でている。その心地よさに身を任せながら、鶯の意識は再び混沌の中へと落ちていった。
『今はゆっくり休め』
 優しい声が、聞こえたような気がした。

 ※※※※※

 目が覚めた時、鶯は自分がどこにいるのか分からなかった。ぼんやりとした頭で、辺りを見渡す。
「あ、気がついた?」
 知らない男が、温和な笑みを浮かべながら近づいてきた。
「安心していいよ、ここは恵治のマンションだから」
 ──恵治?
 まだはっきしりない意識の中、鶯は記憶をたどる。
 ──恵治……高尾恵治か!?
 鶯の脳裏に、記憶が蘇る。
 見覚えのある部屋。そして自分が寝かされているのは、見覚えのあるベッド。
 ──このベッドで俺はあいつに……っ!
 鶯はベッドから跳ね起きたが、酷い眩暈に襲われうずくまってしまう。
「ああ、無理しちゃ駄目だよ。弾傷は後から熱が出るんだ。だいたい、雪の中で一晩過ごすなんて無茶だよ。一時は体温が下がって、危険な状態だったんだから」
 だから横になって、と言いながら、男は鶯を優しくベッドに寝かせる。
「……あんた」
「あ、僕? 僕は西村。高尾家のホームドクターってとこかな」
 西村は鶯の額に手をあてた。
「解熱剤が効いているみたいだけど、まだ体力が回復していないから寝ていた方がいいよ。恵治は仕事でいないけど、君のことは僕に任されているから。ところで、何か食べられそう?」
 鶯は黙ったままだったが、西村は気にした様子もなく、「おかゆでも作ってくるね」と言って部屋を出て行った。
 天井を見つめたまま、鶯は考えをめぐらせた。
 昨晩、殺されそうになったことは覚えている。確か、工事現場のような所に逃げ込んで、とても寒くて、そのまま意識がなくなって……
 このマンションに運ばれたということは、高尾が自分を助けたのだろう。朧気ながら、やさしく頭を撫でられていたような記憶がある。その感触が気持ちよくて……
 鶯は自分の考えに愕然とした。
 ──やさしい? 気持ちいい?
「ふざけんな!」
 鶯はベッドに拳を叩き付けた。あの男は、身体だけではなくプライドまでも犯した。報復しないと気が済まない。殺しても足りないくらい憎い。なのに……気づくとあの男は、自分の弱い部分に入り込んで来る。弱い部分を自覚してしまうと、自分が際限なく弱くなってしまう。あいつに関わると、自分が自分でなくなっていく。
 ──これ以上、ここにいては駄目だ──
 鶯は、動かない身体を叱咤し、無理やり起き上がった。
 ベッド脇の椅子には、鶯の服が置かれていた。
 ジーンズは無事だったが、シャツとジャンパーは血でどす黒く染まり、弾がかすったために穴が空いている。
 鶯はジーンズだけを身に着けると、クロゼットを勝手に開けた。中から適当なシャツを一枚取り出す。シャツは着てみると随分と大きかった。ボタンを留めようとしたが、右腕が引き攣ってうまく動かない。左手だけで苦労しながら、ボタンを留め、長い袖を折る。
 部屋を出ようとした時、ちょうど西村がお盆を持って入ってきた。
 鶯の服装を見て、西村は温和な顔のまま尋ねた。
「行くのかい?」
 無言でうなずく鶯に、西村は笑いかけた。
「医者としては、安静にしていて欲しいんだけどね。恵治も治るまでここにいていい、って言っていた。でも僕は、自分から出て行く患者はどんなに重症でも止めないことにしているんだ」
 西村は部屋に入り、お盆をテーブルに置いた。
「でも、せっかく作ったんだから、食べていってくれないかい?」
 温和な表情のせいか、何故か西村には、逆らおうという気がおきない。鶯は素直に頷くと、椅子に座った。
 右腕が動かないので、左手で蓮華を持つ。
 おかゆは温かく、身体の隅々に染みわたるようだった。
 食べ終わり、蓮華を置いた鶯は、西村に向かって言った。
「……うまかった」
「それは良かった」
 西村は嬉しそうに笑った。
「あと……手当て、ありがとう……」
「ああ、気にしなくていいよ。弾傷の治療は慣れているしね」
「慣れている……?」
 鶯は訝しげに西村を見た。
「高尾建設が足を洗ったって言っても、過去のしがらみとかが色々あるからね。表沙汰にならないところで、未だに時々ドンパチやってるんだ。そんな時は僕の出番、ってわけさ」
 西村が肩をすくめて笑う。
 鶯は立ち上がり、ドアへ向かった。
「あ、ちょっと待って」
 西村はクロゼットに向かうと、上着を取り出して鶯に渡した。
「その格好じゃ寒いから、着ていきなさい。恵治はお金持ちだから、服の一枚や二枚、失敬したって怒りはしないよ」
 鶯は上着を素直に受け取ると、そのまま部屋を出て行った。



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