岸本に連れられて行ったのは、萩乃町の中では比較的、高級なクラブだった。
 店内に入ると、ママを先頭にホステスたちが総出で岸本を出迎えた。真島組がバックについている店であることは、一目瞭然だった。
 ママが岸本と鶯を奥の席に案内する。
 何人かのホステスがグラスにウィスキーを作りながら媚びるように話しかけてきた。
「お前らは少しあっちへ行っていろ。俺はこいつと話がある」
 岸本がホステスを追い払い、席には岸本とその取り巻きが二人、そして鶯だけが残された。
 岸本はソファにふんぞり返り、グラスを片手に話を始めた。
「高尾建設を知っているか?」
 鶯は無言だったが、岸本は気にした様子もなく続けた。
「萩乃町に、大型のテナントビルを作る計画があるんだが、仕掛けているのが高尾建設だ。やつら、萩乃町が真島組のシマだってことを知っていながらナメた真似しやがる」
 忌々しそうに岸本は言葉を吐き捨てた。
「今でこそ大手建設会社だが、戦前まではヤクザだった。シマが隣同士のせいで、うちの真島組とは昔から仲が悪くてな。奴ら、テナントビル建設を足がかりにして、萩乃町を乗っ取る気でいやがる。そこでだ。奴らの頭に直接脅しをかけて、手を引かせたい」
 鶯の眉がぴくりとはねあがった。
 ヤクザが言う「脅し」の意味が、鶯には即座に理解できた。
「ターゲットは、高尾建設の社長だ」
「そんなことは、てめえの組の奴にやらせればいいだろ。何で俺なんだ」
「今時、そんな度胸のある奴は少ない。だが、お前ならできるだろう? なんと言っても『狂犬』だからな」
 その言葉に、鶯の眼光が一層鋭くなる。
「同じことを言わせるな。俺は犬じゃねぇ」
「お前を買っているんだぜ、これでもな」
 岸本は気味の悪い猫なで声で言うと、内ポケットから封筒を取り出した。
「前金で三十万。成功したらプラス七十万だ。なに、殺せとは言わない。ちょっと傷をつけて集中治療室にでもはいってもらえば十分だ」
 テーブルの上に、分厚い封筒が投げ出される。
 鶯は、目の前の封筒の厚みを目で測った。確かに三十枚は入っていそうだ。
 今までにも何度か、岸本の口利きで、真島組の荒事を手伝ったことはあった。だがそれは大抵は乱闘の頭数あわせであり、報酬も小遣い程度だった。単独の仕事で、しかもこんなに大きな金が提示されたことはない。
 鶯は目線を岸本に戻し、低い声で言った。
「気にいらねぇな」
「何がだ?」
「手前の組のことなのに、組員でもねえ俺の手を汚させようっていう根性が気に食わねぇ」
 鶯の言葉に、岸本はうっすらと笑った。
「若いくせに、古臭い事を言うな。これはビジネスだ。うちの組にはお前の度胸が必要だ。そして、お前には金が必要だ」
 違うか? と岸本は言いながらグラスを傾ける。
「それにな、お前を名指ししたのは渥美さんだ」
 その言葉に、鶯の表情が変わる。
「渥美さんが?」
「そうだ。お前、随分と買われているようだな」
 渥美は、真島組の幹部だ。親子ほど年の離れた鶯を何故か気にいっており、組に来ないかと誘われたこともある。諍いの仲裁をしてもらったこともあり、鶯にとっても恩義のある人物だ。
「言うまでもないが、足がつかないようにやれ。万一の時は、うちの若い者を代わりに出頭させると、渥美さんは言っている」
 鶯は数秒考えた後、一言「わかった」と言った。渥美の頼みとあっては断れないし、悪い気はしなかった。社会的には間違いなく犯罪者になるが、しかし、それは、どうでもよかった。このまま、この街で生きていても何も変わりはしない。ただ朽ちていくだけだ。
 鶯の返事に、岸本は頬を緩め、テーブルの上の封筒を鶯の方に押してよこした。
「襲撃場所は、後で指示する。その時に拳銃(ハジキ)も渡す」
「いらねぇよ、そんなもんは」
 言いながら鶯は、ジーンズのポケットから小型の折りたたみナイフを取り出した。喧嘩相手がいつも素手とは限らない。護身用に持ち歩いているものだった。
「そんなものが役に立つのか?」
「何なら試してみるか?」
 言うと同時に鶯は立ち上がり、取り巻きの一人に向かって突進する。素早くソファの背後に回ると左腕で首を締め上げ、右手でナイフの刃を首筋に当てた。
 あっという間の出来事だった。取り巻きは声も出せず、目線で岸本に救けを求めている。
 岸本も一瞬、驚いた顔をしたが、すぐに元の薄笑い顔に戻る。
「わかった。では場所と時間を後日連絡する」
 その声に、鶯は男の首を締め付けていた腕を離した。



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