■抱擁(3)■


 それから間もなく、殺人事件が起きた。帳場が立ち、刑事たちは殺気立っている。
 安積をはじめとする、強行犯係のメンバーも全員、昼夜を問わず捜査に携っていた。
 交機隊が助っ人に呼ばれることはなく、速水は通常どおり業務をこなしていた。
 時折、安積の様子を見に行って、軽口をたたいて追い帰される。強行犯係のメンバーにとっては、この速水の行動は、帳場が立ったときの風物詩のようなものだった。

 事件が解決しないまま、十日が経った。
 速水は早朝、屋上へ向かう安積を見かけた。追いかけると、安積は手すりにもたれ、海を眺めていた。
「よう、ハンチョウ、早いな」
 安積は一瞬、驚いた顔をしたが、穏やかに笑った。
「おまえこそ、こんな時間にどうした。夜勤明けか?」
「第一当番だ。真面目な交機隊員は、出勤も早いんだ」
 速水の軽口に、安積が顔をしかめた。
 なにが真面目な交機隊員だ、どうせ何か面白いことはないかと、嗅ぎまわっているんだろう?
 そう言いたげな表情だ。
 こんな時、安積が何を考えているかなんて、大体想像がつく。速水は喉で笑った。
「昨日は泊まりか?」
「ああ、刑事部屋のソファーで寝た」
 それっきり、安積は何も言わなかった。ただ、海を眺めている。
 速水は、安積の横顔を見た。顔色が悪く、クマが濃い。全身に疲労感が漂っている。
 だが、海を眺める目には力があった。仕事に集中している男の顔だ。
 いい顔だ──速水はそう思った。
 ふと、安積が口を開いた。
「速水」
「なんだ?」
 安積の手が一瞬、速水の肩へ伸びた。
「……いや、なんでもない」
 安積の手は、速水に触れることなく、元の位置に戻った。
「そろそろ交代の時間だろう? おまえの手下が待ってるぞ」
 そう言って薄く笑い、安積は屋上から出て行った。
 残された速水は、自分の肩を見た。
 さっき、安積の腕は何を伝えようとしたんだ?
 それが分からなかったことに、速水は少し、苛立ちを感じた。
 たった十日なのに、長い間、安積の言葉を聞いていないような気がする。
 速水はかぶりを振った。
 言葉を聞いていないだと? たった今、安積としゃべったじゃないか。
 何か、とても不愉快な感情が、自分の中にいる。あまり認めたくない類の感情だ。
 速水はもう一度頭を振り、屋上を出た。

 階下へ戻ると、安積が部下たちと真剣に話をしていた。
 一瞬、安積の目が速水を見た。
 速水は、不敵な表情を作り、にやりと笑った。
 感情は伝染する。そして速水は、自分の感情を見せない方法を知っていた。



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