■チェンジ!(3)■


 午後。
 強行犯係の部屋では、安積(の皮をかぶった速水)が相変わらず、ふんぞり返っている。時折、書類を眺めているが、それを処理する気はなさそうだ。
 その様子を、メンバーたちもまた午前中と同様に、うかがっている。
 電話が鳴った。桜井が応対し、安積に報告する。
──喧嘩が高じて、刃物を持ち出した男が逃走中。場所は、隣接署との境界付近──
 村雨がすばやく立ち上がった。
「係長、俺と桜井で行ってきます」
 足早に出て行こうとする村雨を桜井があわてて追う。安積はそれを呼び止めた。
「俺も行く」
「係長が行くほどの事件ではないでしょう」
 村雨が係長の行動を止めることなど、滅多にない。
 須田と黒木は、今の村雨の気持ちが良くわかった。
 つまり、今日はちょっと様子がおかしいから、おとなしくしていてください、と言いたいのだ。
 そんな部下の気持ちを知ってか知らずか、安積はさっさと外階段から駐車場に向かった。迷いなく、覆面車の運転席に乗り込む。桜井の「俺が運転します!」という声は完全に無視された。
 何を言っても無駄だ。そう悟った村雨が助手席に乗る。せめて少しでも、この尋常でない係長を監視するためだ。必然的に、桜井は後部座席に乗った。
 ドアを閉めた途端、覆面車は急発進した。
 みるみる上がるスピードメーターを見て、村雨は、回転灯を取り出し、サイレンのスイッチをいれた。そうする以外、このスピードに対する言い訳がみつからないと思ったのだ。
 安積がにやりと笑い、横目で村雨を見た。
 その心の中を村雨は知る由もなかった。
──堅物にしちゃあ、よく分かっているじゃないか。さすが、安積の手下だ──
 
 覆面車はあっという間に、現場に到着した。制服警官に状況を聞いていると、別の覆面車が現れた。降りてきた男を見て、村雨はわずかに苦い顔をした。管轄が隣接する署の刑事だ。臨海署を手伝いとしか思っていない男だ。境界線で事件が起こるたびに、旧来の管轄を盾にして、臨海署の協力に礼も言わず、さも当然のように容疑者をひっぱっていくのだ。今までに村雨は、何度も悔しい思いをしていた。
 村雨は、自分の隣にいる係長を見た。制服警官の説明を聞きながら周辺の道路を見渡している。他署の刑事のことなど気にもしていないようだ。
 自分も、事件だけに集中しよう──村雨はそう思った。
 
 刑事たちは手分けをして、付近を捜索することになった。
 数分後。
 歩道橋の上で聞き込みをしていた村雨は、ふと下の道路を見て、目を疑った。
 二人の男が猛スピードで走っている。一人は、制服警官から聞いた容疑者の特徴と一致する。それを追っているのは──安積だった。すばやい身のこなしで人を避けながら、どんどん距離を詰めていく。村雨は、こんなに早く走る安積を見たことがなかった。
 一瞬の驚きの後、村雨は二人の進行方向に回りこんだ。
 追われていた男は、突然現れた村雨に驚き、足を止めた。その手には刃物が握られている。男は、自分の前と後ろ、双方から迫る刑事を見比べた。躊躇の後、男は刃物をかざして安積に突進した。
 村雨は急いで、男を取り押さえようとした。いつもの係長なら、冷静に対処するはずだ。しかし今日は様子がおかしい。不安が胸をよぎる。
 突進してくる男を見て、安積は──にやりと笑った。容疑者が突き出すナイフを軽くかわし、腕をつかむ。腕をねじ上げると、男はナイフを落とした。次の瞬間、安積は見事に男を投げ飛ばしていた。
 村雨は目の前の出来事に呆然としつつ、なんとか男を取り押さえ、手錠をかけた。駆けつけた桜井と他の警察官が、容疑者を連れていく。
 その様子を、安積は悠然と見ていた。
 
 覆面車の前には、隣接署の刑事がいた。桜井から強引に容疑者を取り上げ、自分の覆面車に乗せようとする。
 村雨は安積の顔を窺った。臨海署の刑事がどんなに働こうとも、他の署の手柄になることは珍しくない。だが、管轄内で部下が容疑者に手錠をかけたとなれば、話は別だ。静かに、厳しく、断固として妥協せずに、容疑者を臨海署に連れ帰る。それが、臨海署強行犯係の係長だ。
 村雨の期待通り、安積は刑事に声をかけた。だがその態度は、村雨の予想とは全く異なっていた。
 安積は余裕を含んだ目で刑事を睨んだ。自分の方が格上であると、相手に分からせるための目つきだ。
「そいつは、ウチの獲物だ。欲しけりゃ自分で捕まえるんだな」
 安積は桜井にあごで合図をした。桜井は戸惑いながらも、容疑者を臨海署の覆面車へ連れていこうとする。
 刑事が激昂した。
「きさま、何様のつもりだ!?」
 安積は不敵に笑った。
「俺はベイエリア分署の──」
 おっと、今は速水じゃなかったな。
 安積は堂々と言い放った。
「俺はベイエリア分署の安積だ」
 
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 そのころ、交機隊の部屋では。
 速水(の皮をかぶった安積)が書類仕事に精を出していた。
 部署は違えど、書類は書類だ。
 自分で判断できるものには印を押す。判断できないものは、未決の箱に放り込む。報告書の類は、書けるところだけ書いて、付箋紙に要確認と書き添える。最終確認は後で本人にやらせればいいのだ。何も迷うことはない。
 黙々と紙の山をさばいていく速水の姿に、隊員たちは気づかれないようにこっそりと、明日は大雪が降るのではないかとささやきあった。
 部屋の入り口が騒がしくなった。パトロールに出ていた隊員たちが戻って来たのだ。
 一人の若い隊員が、山県に伴われて速水の元へやってきた。
「ヘッド、申し訳ありません、実は……」
 何か問題が起きたようだ。速水は緊張を表に出さないよう注意しながら、山県の話を聞いた。
 山県の話では、若い隊員の運転するパトカーが、スピード違反の一般車を追いつめた。が、観念して減速した一般車の前に回りこんだ際、誤ってパトカーを高速道路の壁に軽くぶつけた、というのだ。
 若い隊員は蒼白になり、立ち尽くしている。自分がとんでもないミスをしたと思い込んでいるのだ。
 実際のところ、普段の速水はこの程度のことで、本気で怒ったりはしない。山県はそれを知っている。しかし、若い隊員からすれば、速水は尊敬と憧れの対象であり、同時にとても「恐い」のだ。大声で怒鳴られるかもしれない、もしくは呆れて『交機隊にそんなやつは不要だ』と見捨てられるかもしれない。
 山県は、若い隊員の気持ちを知りつつ、速水の反応を予測していた。いちいち気にするなと笑うか、これを教訓にしろと少し説教をするか。その程度だろう。
 しかし、速水の反応は、山県の予想を裏切った。
 ぶつけたと聞いた瞬間、速水は立ち上がった。
「怪我はなかったか!?」
 山県も若い隊員も、そして聞き耳を立てていた他の隊員たちも、驚いて速水を見た。
「は、はい、大丈夫です。停まる寸前でしたから……」
 ようやく、若い隊員が答える。
 速水はほっとした。そこで初めて、全員がこちらを見ていることに気がついた。
 しまった、今の言葉は、速水らしくなかったのだ──
 悔やんでも、もう遅い。速水は何食わぬ顔で椅子に座った。
 高速道路を走っている車が、壁にぶつかったのだ。一番に心配するのは、乗っていた人間の安全だ。当たり前のことを聞いただけなのだが、それは交機隊では当たり前ではなかったようだ。考えてみれば、怪我がないのは、目の前の隊員を見れば分かる。
 若い隊員は謝罪の言葉を口にし、頭を下げた。
 速水は──そして本物の速水も、知る由もなかった。
 速水の意外な一言が、隊員たちの心をわしづかみにしたことを。
 そして、この若い隊員の「尊敬と憧れ」が「崇拝」に変わったことも。



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