中 国
A | 北京 京廣新世界飯店 |
B | 上海 クラウンプラザ浦東上海 |
1 | 広州 東方賓館 |
2 | 桂林 榕城飯店 |
3 | 昆明 昆明飯店 |
4 | 石林 石林賓館 |
A | 京廣新世界飯店 Jing Guang New World Hotel | ||||
所在地 | 中国 北京 | 食事 | 夕食【 外食 】 朝食【B1F 食街 】 |
||
宿泊日 | 平成18年3月25日〜26日 | 宿泊者 | 4人 | 評価 | ★ |
宿泊費 | ツアー料金込 ツイン部屋×2部屋 |
宿泊日数 | 2泊 | ||
備考 | 京廣新世界飯店 Jing Guang New World Hotel
.地下鉄国賀駅の北歩20分ほどの市内ダウンタウンにそびえ建つ超高層ビルで、1Fと6〜23階がホテルなっている 25〜39Fがオフィス、40F以上がマンションとしている。それ以外はビジネスセンターや会議施設 北京で一番高いビルを誇る5つ星ホテル。室には、エアコン・衛星放送付きテレビ・ラジオ・ヘアドライヤー・ミニバーなどの設備が整っております。また豊富なレストラン、プールやジムなどの施設も完備 8Fの2部屋は平均的な内装とベッド。バスを含めた備品は裁定限度を置いてある程度で、歯ブラシ一つにしてもその質は粗悪。 シェーバーが備わっていなかったので、ガイドを通じて持ってきてもらったが、これも歯が粗末で危うく顔を切そうになった。 ベッドサイドの時計が壊れていたのでフロントを通して故障していることを伝えたが、いつまで経っても直しに来なかった。 バスルームの洗面用用具類は数が少なく、品質が日本の安ホテルより粗悪な品。 又、壁が薄いのか、隣室の娘と妻の会話や笑い声が窓の外からよく聞こえてきた。こんな構造のホテルは初めて フロントで子どもにセイフテイBOXを利用したり、両替をさせたりしたが、男女を問わずフロントマンの質がバラバラでいい対応をするときもあるし、子どもと知って、順番を抜かしたり、聞こえない振りをするフロントマンも居て、思わず後ろに居て大声で注意してしまったが、その後の対応は素早かった。サービスマンとしては? これは朝食時のレストランでも見られた光景で、まだまだ、従業員がサービスを理解していない方も多く、これでは他国のホテル慣れした客には不評だろうと感じた。 プールは7F、宿泊客は無料。 黄砂と湿度の低さに堪らずにチェックイン後に夫と長男が利用。水着は海外旅行に際は常に携帯している 按摩専用ルームがあるし。サウナもあるが部屋は汚れている。更衣室も狭く快適とはいえない管理状態。シャワー室は4室あるが1箇所は器具が壊れていた。早々に退散 五つ星のホテルとの評価だが、日本でなら平均クラスの二つ星ホテルが順当ではないか クラブツーリズム『北京、万里の長城と蘇州・上海』ツアーで利用 http://www.jingguangcentre.com/ |
B | クラウンプラザ浦東上海 CROWNE PLAZA HOTEL PUDONG SHANGHAI | ||||
所在地 | 中国 上海 | 食事 | 夕食【 外食 】 朝食【1F THE WINDOWS】 |
||
宿泊日 | 平成18年3月27日 | 宿泊者 | 夫婦 | 評価 | ★★★ |
宿泊費 | ツアー料金込 ツインベッド部屋×2部屋 |
宿泊日数 | 1泊 | ||
備考 | クラウンプラザ浦東上海は世界約100ヶ国に3,500以上のホテルを擁する【インターコンチネンタルホテル】グループの中国で15番目のクラウンプラザホテルとして2005年4月にオープン 五つ星ホテル ホテルは市内中心部からは60分もかかる位置で時間を有効に使いたい観光客向きでは無い 全398室の快適な部屋及びスイートルームを備えており、 豪華な家具、インテリア、オフィス設備及び国際水準の客室用品を配していて格的にも充分な設備は中国とヨーロッパのイメージが粋なコラボレーションをみせる世界が広がっている 9Fの角部屋と1部屋空けたもう一部屋。廊下は重厚で豪華 玄関&ロビーや各フロアー階の廊下にいたるまで重厚な内装で高級感が随所に漂う。 従業員はフロント係だけでなく、レストランやドア係りやエレベーター係りに至るまで、対応が丁寧で、心地よいサービスを教授できる。 バスルームにはバスタブ以外にシャワー室が別に有る。バスローブやスリッパなどのアメニティーには、互いの物を取り違えないような工夫もされている。 バスやヘアーケアー用品も多彩に用意されていて、質も上質。金庫も常備され、靴専用BOXも配備。 ミニバーには氷BOX内に氷が入っていてビックリ。ドライヤーはもとよりアイロンまで揃っている 部屋にも、驚嘆。壁にかかる中国式の書が装飾されて額で飾ってあり、ベッドも上質。クロークもシックな家具タイプで利用価値が高い構造。 リクライニングのイスやテーブルはハイセンスな家具で高級感を感じる。 室内には落ち着きが漂う。 食事処の1Fレストランは朝はビュッフェスタイル。 円形のビュッフェカウンターに多彩に品が並び、卵料理やベルギーワッフル&パンケーキ&ステーキ&魚などもカウンター内にコックが数人いて、目の前ですぐに調理してくれるので出来たてをいただける。 ソフトドリンクや果物類も種類が多い。 五つ星のホテルの評価に耐えうる精錬されたホテル。 http://www.sinohotel.com/japan/hotel/hotel.html?hid=1475 |
1 | 東方賓館 | ||||
所在地 | 中国 広州 | 食事 | 夕食【レストラン】 朝食 【 〃 】 |
||
宿泊日 | 昭和59年5月12・17日 | 宿泊者 | 夫婦 | 評価 | ★★★ |
宿泊費 | ツアー料金込 洋ツイン室1部屋 |
宿泊日数 | 2泊 | ||
備考 | 広州一の格式と規模を誇り、回廊を巡らした中央の広い庭園を持つ洋風H ロビ−は豪華で正面の回廊式階段には中華文化を感じさせる重厚な彫刻がなされている。 広州料理のレストランは店内が広く、装飾が素晴らしい。料理も豪華で美味い。 西洋風のHだが随所に中国らしさを併せ持つ。、 6Fの1642号室だが、高層建設物の少ない市内では部屋の窓からの眺望も良い 夜半に、妻の文通相手の市内の中国人女性を訪ねる為、2人だけで無断で外出 これが一大冒険劇に発展。途中ホテルに帰って来れない状態になり途方に暮れた。 当時は市内の交通事情も悪く、地図さえない状態での知人宅捜しと其処からの帰り。今思ってもぞっとする出来事で、幸い親切な現地のたくさんの方々の計らいにより、こうして現在あるようなもの。ホントに 冷や汗タラタラの広州の夜でした 食事はレストランでの広東料理。結構豪華で味も夫婦にはあっていました http://www.dongfanghotel-gz.com/dfen/channel.php?channelID=1 |
2 | 榕城飯店 | ||||
所在地 | 中国 桂林 | 食事 | 夕食 【レストラン】 朝食 【 〃 】 |
||
宿泊日 | 昭和59年5月13〜14日 | 宿泊者 | 夫婦 | 評価 | ★★ |
宿泊費 | ツアー料金込 洋ツイン室1部屋 |
宿泊日数 | 2泊 | ||
備考 | 観光用に新築中の西洋風ホテルで広大な敷地内に数棟を配備。部屋や廊下の天井はまだ一部工事中でビックリ 遅くなってのチェックインだったが、食事後には劇場で無料の中国雑伎団ショーを観劇 ここの料理は広州と比較すると大分落ちる。翌日の桂林下り時の船内での昼食なんて、流石に腹に入らなかった程 ※現在は改名したのだろうか観光パンフには同名のホテルは見当たらない |
3 | 昆明飯店 | ||||
所在地 | 中国 昆明 | 食事 | 夕食【レストラン】 朝食【 〃 】 |
||
宿泊日 | 昭和59年5月16日 | 宿泊者 | 夫婦 | 評価 | ★★ |
宿泊費 | ツアー料金込 洋室ツイン1部屋 |
宿泊日数 | 1泊 | ||
備考 | 市の中心地の党風東路に位置し、新築ではないが西洋風の歴史有るホテルで市内では高級クラス。 華やかなレストランでの食事は四川料理だが、意外に口に合い良かった。 ホテル前が大通りで、午後は止めの到着のため、日の有る自由時間に外出。ツアー同行者達も「一緒に」との事で 同行者一行を連れ、夫婦がガイド役となり、まず路線バスに飛び乗り、市内を散策。商店街で降り、印鑑屋に入ったり、ウインドーショッピングをした。日本人が珍しかったため、どこに行っても野次馬が大勢付いて来て、妻にまとわりつき周囲は大混雑。 暫く散策し、再び路線バスでホテルまで帰ってきた。 |
4 | 石林賓館 | ||||
所在地 | 中国 石林 | 食事 | 夕食【レストラン】 朝食【 〃 】 |
||
宿泊日 | 昭和59年5月15日 | 宿泊者 | 夫婦 | 評価 | ★★ |
宿泊費 | ツアー料金込 コテージ1部屋 |
宿泊日数 | 1泊 | ||
備考 | 石林観光の後に徒歩で移動してチェックイン 景勝地【石林】の入り口の丘に立地の石林唯一のホテル(当時)。 名景勝地の石林が朝な夕なに真近で眺望でき、中国の大自然を存分に満喫できるリゾートホテル ホテルロビー棟以外は、全室がコテージタイプで周囲に分散。プライベート空間は充分 夜にはコテージ前から、日本では観たことのない黄金色の満月を観ることが出来て自然のありがたさを感じた 少数民族の舞踊ショーが食後にロビー棟で在った。独特で素朴なショー 料理の方も地方色が出ていて、こちらは不味い。が、今でも思い出すあの月の美しさ 当時、妻に「年を経ったら、2人してまたこの月を観に石林に来よう」と話した。妻はその頃まで覚えているだろうか? ※2006年春 中国北部に子ども達を加え4人で旅行。その際にこの時の言葉を妻に問うてみると意外にも覚えていた。 これから熟年離婚でもしなかったら、子供が巣立ち2人になったら必ず行きたいと再確認した。、 |