記憶の痕跡(4) |
「一時間くらい動かなかったのでさすがに心配しましたよ。 貴方でもそういうことがあるとは… 一応人間だということですかね」 布団がしいてある高台まで上ってきた遠坂は、布団を一枚一枚丁寧にたたみながら言った。 速水司令も心配してましたよ、と続ける。 …生きている。 「はい?」 口に出したつもりはなかったが、つぶやかれた微かな声は遠坂に届いていたようだ。 遠坂は布団から手を離すと、岩田の傍に歩いて来る。 「…なんだか、様子が変ですね… 頭でも打ちましたか?」 と、そこまで言って、顎に手をやる。 「…さてはそうやってまたなにか企んでいるんでしょう」 訝しげな目。 …沈黙。 遠坂は気まずそうに頭をかいた。 「…本当、変ですよ?そりゃいつも、変ですけど」 岩田はただじっと遠坂を見ていた。 その顔には一端の感情も感じられない。 普段は滑稽に見えるその道化の化粧は、無気味にただその冷たい眼差しを強調していた。 その視線に耐えられなくなったのか、遠坂は微かに体を引く。 「ぁあ…ええと、もう、いきます…ね。」 踵を返そうとしたその瞬間、遠坂は強く腕を引かれてバランスを崩した。 仰向けに布団の上に倒れこむ、息が押し出されて微かな呻きが漏れる。 「っ…いきなりなにをするんです!」 反射的に手が出る、いつものように。しかしその手は難なく岩田に受け止められた。 反対の腕は既に二の腕を掴まれそのまま床に押し付けられる形になっている。遠坂は岩田を見た。 その男の表情は陰になりよく見えない。 其の中に恐ろしく冷たい目だけが感じ取れた。 この目を見たことがある、と、思った。 思い出せない。 いつ見たのか。 思い出せない。 一気に頭に別な情報が流れ込んでくる。ぐるぐる回る思考。めまいがする。 頭が痛い。酷い頭痛が吐き気を呼ぶ。喉は渇いて、熱い。 …ちがう、これは、同調? 意識の背後からわきあがる熱、視界が白む。遠坂は微かに眉を潜めた。 岩田が見ている。 自分を見下ろしている。その冷たい目で。 いつ見たのか。 思い出せない。 どこで見た。 わからない。 どうして、見たと、思う? …そう思った。ただそう思った。 いつの間にか閉じていたまぶたを開く。 暗闇に僅かながら慣れたのか、目は輪郭をたどることができた。 岩田は微かに目を細める。 彼に表情が読み取れることで、遠坂は弱い安堵を覚えた。 岩田の唇が言葉を形作る。音は無く、しかし呼ぶようにも見えた。 ”あなたを” それまで読み取った瞬間に、視界が真っ暗になった。 体が離されて、口付けられたのだと気づいた。 かぁっと、顔が熱くなるのが判った。 「何を、するん、ですか」 弱い声。本当は、振り払って逃げ出したい。 混乱している。思考がよどんでいる。 岩田は細めた目を閉じて、ゆっくりと開いた。 そして、静かに言う。 「冗談です」 「…は」 一瞬思考停止した遠坂からすっと離れて立ち上がると、 岩田はひらりとそのまま高台から飛び降りた。 「ち、ちょっと待ってください!」 やっと動けるようになった遠坂があわてて起き上がる。 ドアノブに手を掛ける状態にまでなっていた岩田が、ふっとそれを一瞥した。 言葉に詰まる。何も言わせない目だった。 悲しくも苦しくも見えた。それでいてそれを隠した目。 そのまま、岩田は無言で出て行った。 |
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