幌車乗りの憂鬱

北海道の冬は、寒い。

砂原町は北海道でももっとも南部の地域に位置するが、でも、寒い。
冬ともなれば何の障害物もない噴火湾を渡って北西の季節風が吹きすさび、風は南の駒ケ岳に向かって駆け上がっていく。ここの冬はとにかく風が強くて、雪も積もることができないほどなのである。独立峰である駒ヶ岳は風と雲に影響を与え、その周辺にユニークな気候を作り出す。駒ケ岳の南側の町では結構雪が積もっても、ここでは道路が乾いている、ということも珍しくない。

私のJ54は、私とともにここにきた当時、すでに10年モノの幌をかけていた。純正の幌だ。
昭和54年式の純正幌は、天井部分とリアカーテンが一体となった部分に、サイドカーテンを「ヒネリ」と呼ばれるホックで取り付けるようになっていて、幌とボディはベルトでつなぐようになっている。こいつは初代軍用ジープのMBのようにサイドカーテンとドアを外して屋根とリアカーテンだけをかけて走ることもできて、夏場などは快適なのだが、サイドカーテンとの合わせ目がスカスカで雨漏りはするし、風向きによっては隙間風もハンパでないという代物なのだ。夜、吹雪の中に駐車して、翌朝乗ろうと思ったら室内に吹き溜まりができていたことも何度もある。
ヒーターはあるが、もともとJ54はただでもオーバークール気味で水温が上がりにくく、見た目よりも室内空間の広いジープで、しかも上屋はペラペラの幌一枚、その上隙間だらけ、ときては、車内で上着を脱げるほどには暖まらない。実際、私は、冬にジープに乗って暑くて上着を脱いだという記憶がない。まして私の通勤時間は20分そこそこで、やっと暖まってきた頃には仕事場に着いてしまう。

しかし、通勤車として毎日乗るものなので、あまりにも寒いのではいくらジープ好きの私でも、つらいものがある。ここにきた最初の冬、あまりの寒さに耐えかねた私は、とりあえずの対策を施した。

これで少しましにはなったが、依然として「我慢」が必要な根性ジープだった。

翌年は、本格的な冬になる前に、さらに対策を行った。上記の対策に加え、

これで、だいぶましになった。特に、室内を仕切るカーテンは効果があった。また、普通の通勤使用では、心配していたようにオーバーヒートすることもなかった。ただし、高速走行や峠などで長時間高負荷の走行をすると、水温計がかなり上がってくることはあった。
この年、冬前に弟からランクルBJ41Vを譲り受けたので、ジープのリアに家族を乗せることはほとんどなくなっていた。

幌の窓はビニールで、寒くなると硬くなって、雪を払うつもりで軽く叩いただけで穴が開くことがある。それからほぼ毎年、冬前に幌窓の修理を行うのが年中行事になった。

ジープの幌は、寒くなると縮む。寒くなるほどボディとの隙間が大きくなるのだ。ボディと幌をつなぐベルトは茨城にいるときに既に擦り切れて、私は自転車の荷掛けゴムとフックで幌を簡単に脱着できるようにしていた。したがって、私のジープの幌は、温度に応じて自由に伸縮できてしまったのだ。

やがて、15年を過ぎた幌は、劣化が目立ってきた。外側の防水コーティングはひび割れ、そこから水が染みてきた。窓枠と幌の隙間からは、走行中にも雪が入ってきた。室内に雪が降るのだ。しかし幌は高価で、中でも純正の幌は高価で、しかも消耗品で、なかなか買う決心をつけられないでいた。

そして平成9年、その年の冬は、暖かく快適に通勤できた。クルマは、ジープではなかった。私のジープは、秋から車庫の中で長い眠りについていたのだ。


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