Good Days

私が茨城に住んでいた数年間は、そのほとんどが独身生活で、ジープと私の蜜月生活でもあった。
私は盆も正月もなかった当時の仕事の合間を縫って、発作的、衝動的にジープで山に繰り出していた。

春まだ浅い、というか、まだ晩冬と言った方がいいような時期に、日光男体山の裏側で雪上にテントを張って泊まったことがある。3月上旬だった。裏男体の林道の何ヶ月も使われていないような枝道にジープで入って、路上にテントを張った。深夜、テントの内側に呼気の水分が霜になって、懐中電灯にきらきらと輝いた。気温はマイナス何度くらいだったのだろう。スリーシーズンの寝袋では、ダウンジャケットを着ていても寒くて眠れなかった。眠ったら死ぬぞ!という感じだった。朝、ジープのエンジンフードの上でお茶を沸かして飲んだ。芯まで冷え切ったエンジンはなかなかかからず、バッテリー上がりの恐怖が頭をよぎったものだ。

初夏の常陸御前山のキャンプ場に3日ほど連泊して、そのあいだなーんにもしない、という贅沢なキャンプをしたこともある。途中一日は雨で、ずっとテントの中でごろごろしていた。キャンプ場は那珂川の河畔にある、管理人がうるさくないので有名なところで、そこで泊まり合わせた人と深夜まで飲みながらだべっていた。

晩秋の奥久慈にも出かけた。11月初旬の夜、突然袋田の滝の紅葉が見たくなり、深夜ジープを走らせた。夜明け前に着いて、ジープの中で仮眠をとった。朝、滝を見てから、ジープをフルオープンにして、大子からさらに北上して県境を越え、名も知らぬ林道をゆっくり流した。少し肌寒かったが、気分はこのうえなく爽快だった。雨水が流れた深い溝が林道を斜めに横切っているところで、ライン取りを誤って、右の前輪を溝に落とした。爽快の極みにあった私は、一人で大笑いしながら、ハイリフトジャッキでジープを持ち上げ、落ちていた丸太を車輪の下に入れて脱出した。その様子をセルフタイマーで撮影していたのだから、まさにヤマイダレにシンニュウつきのバカだった。

後に妻になる彼女とのデートも、もっぱらジープだった。2人でジープに乗って、いろんなところへ行った。車に酔いやすいという彼女も、ジープで酔ったことはなかった。

仕事でも、私のジープは大活躍だった。当時仕事場が利根川の河川敷にあり、大雨で増水すると機材を避難させることが年に何回かあった。私のジープは事務室代わりの大型バスを牽いて土手の急坂を登り、床の上まで来る深さの水の中を走り、くるぶしまで軽く埋まるヘドロの中を走破した。あの状況で走れるのはジープとトラクターだけだった。

もっとも、調子に乗って走っていて商売道具にぶつけてしまい、怒られたこともある。若さとは、愚かしさのことでもあるのだ。

そして、子供が生まれてからも、実に2人目が生まれる直前まで、我が家のファーストカーはジープだったのだ。子供はジープに乗ると、ぐっすり眠ってぐずることはほとんどなかった。家族が増えても、みんなでジープに乗って、いろんなところへ出かけた。買い物に行くのもジープだったし、遊びにきた親類を乗せて函館観光に行くのもジープだった。

ジープの小さな荷台には、そんな楽しい思い出ばかりが載っている。

ジープのエンジンフードってまったいらですよね。
Coffee Break

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