郵便配達人からユロ氏へ。そしてこの映画ではユロ氏は増殖のすえ、至る所に拡散する。コメディのデモクラシーだ。
近代的な空港のラウンジ。ロングショットで撮られた70ミリの画面(フランスで撮られた唯一の70ミリ)のすみずみで、搭乗を待っているらしい人たちや空港の職員らが、さりげなく、だがしっかりと自己主張しながら、それぞれの演技を披露している。やがて遠くにジャック・タチ演じるユロ氏らしき人影が現れる。いつものように、ひょろひょろと歩きまわっていたかと思うと、不意に立ち止まり、水平線を見やる水夫のように斜めに傾いだ姿勢になって、足でコンパスを描くように向きを変え、また歩き出す。だれもが知っているユロ氏だ。ところがしばらくして、そのユロ氏だと思われた人物に、ラウンジにいた女性が声をかけ、人違いに気づく場面がつづく。その人物はたんにユロ氏にそっくりだったのにすぎなかった。こうして『プレイタイム』は、ユロ氏の偽物とともに始まる。本物のユロ氏はどこにいるのか。「プレイタイム」=「遊びの時間」は、まずなによりも「かくれんぼ」という遊びを中心にめぐってゆく。
パリでかくれんぼ。しかしここは本当にパリなのか。今から40年近く前に撮られた『プレイタイム』のパリは、21世紀のパリよりもモダンに見える。それもそのはず、この映画は、タチが作り上げた巨大なセット Tativille で撮り上げられたのだ。『プレイタイム』のパリには、グランド・アルシュやルーブルのピラミッドが予言されている。この映画でタチはモダニズムを皮肉ったのだとよくいわれるが、それでもタチの描くモダンなパリが魅力的であることに変わりはない。タチはなによりも新しいことが好きだったのだと思う。
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空港につづいて現れるのは、ガラス張りの巨大なビルだ。そのなかにある会社の面接にやってきたらしいユロ氏は、そこでまずは面接係の男と会うはずになってるらしい。例によって、乗らなくてもいいエレベータに乗り、開けなくていい扉を開け、曲がらなくていい角を曲がってしまううちに、ユロ氏と面接係の男の距離は、そのたびに近づいたり遠ざかったりしながら、いつまでたってもゼロにはならない。とこうするうちに、気がつくと、至る所にユロ氏の偽物が増殖し始めている。一貫してロングショットで撮られた画面のなか、背格好の似た人影はすべてユロ氏に見えてしまう。だれもがユロ氏のような身振りで立ち止まり、手を挙げる。かと思うと、あのすべてがエントロピーの法則に従って無秩序な状態へと向かってゆくかのような、途方もなく滑稽なレストランの場面のように、ユロ氏の姿は偽物も本物も含めてどこかに消えてしまう。
言い換えればそこではだれもが喜劇の主役となる。チャップリン・キートンの1、ローレル=ハーディの2、マルクス兄弟の3、そしてタチの無数。コメディのデモクラシーだ。タチの映画がロングショットで撮られるのは形式的必然である。
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この映画では、すべてが透明なガラスの壁によってむき出しになっている。レストランでは、ドアマンが見えないドアを開け閉めして、客をなかへと導く。迷路のように並べられた会社のブースには天井がなく、上から見るとすべてが丸見えだ。ユロ氏が面接係の男の家に招かれる場面では、まるでアパートの切断面を見せられているかのような気になる。タチの映画では、アクションやストーリーはあまり問題ではない。世界は、すべては、見られるためにのみ存在している。ユロ氏の身体はわれわれを純粋な視線の世界へと導くための透明な扉であるかのようだ。だが、ガラスは一瞬のうちに不透明な鏡と化すこともある。アメリカ娘が半開きにするガラスの扉に、エッフェル塔が一瞬幻のごとく浮かび上がる。ユロ氏は、ガラスに映った面接係の姿を見て、かれが遠くにいると勘違いし、結局またすれ違う。ガラスの表面が距離を無化し、偽の距離を導入する。すべてが見えているようで、実はなにも見えていない。
実際、わたしは本当にこの映画を見たといえるだろうか。あの巨大な画面の左右いっぱいに手前と奧で同時に起きているできごとを、すべて見ることなど不可能だ。『プレイタイム』では、ギャグは視線に向かって見せられるのではない。視線がギャグを探しに行かなければならないのだ。『プレイタイム』の世界は、見られるために存在しているというよりは、正確には、見られることによって絶えず作り直される世界であるといった方がいいかもしれない。ジャック・タチによる視線の学校。
タチの映画はまたじっと耳を澄ますべき映画でもある。『のんき大将』で郵便配達員を悩ますハエの音。『ぼくの伯父さん』のドアの開閉する音。『プレイタイム』では、さらにクールな音の世界を堪能することができる。クローデルではないが、タチの映画では、眼が聴き、耳が見るのだ。
「プレイタイム」とはいうまでもなく映画の時間でもある。
『プレイタイム』 |
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