映画の誘惑

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『モレク神』
Molech

──凡庸なるファシズム

1999年/35mm/ロシア+ドイツ+日本合作/ドイツ語/カラー/108分

監督:アレクサンドル・ソクーロフ
出演:レオニード・マズガヴォイ、エレーナ・ルファーノヴァ、レオニード・ソーコル、エレーナ・スピリドーノヴァ、ウラジミール・バグダーノフ

モレク神

 1942年のある日、愛人エヴァ・ブラウンの待つバイエルンの隠れ家ベルヒテスガーテンに、ヒトラーがお供を連れて帰ってくる。翌朝、エヴァを残してヒトラーが再び去ってゆくまでの一日を、奇才ソクーロフが緻密に描く最新作。

レビュー

「恐怖とは凡庸なものだ。」ミッシェル・フーコー

こんなヒトラー見たことない、と誰もが思うだろう。過度に残酷に描かれるわけではなく、過度に滑稽に描かれるわけでもなく、凡庸なひとりの男として描かれるヒトラーの日常生活。ヒトラーを脱神話化すること、それがソクーロフの目論見であるように思われる。とはいえ、映画のトーンはいわゆるリアリズムとはまったく別のものだ。ハマープロのホラー映画から借りてきたような要塞のセット。あたりにはもやが立ちこめ、室内シーンでさえぼやけて見える。その中を動き回る人物たちはまるで亡霊のようだ。これまでのすべてのソクーロフ作品と同じく、この映画もまた一種の幽霊映画なのだ。召喚されるのは、ヒトラーの亡霊を始め、彼の愛人エヴァ・ブラウン、ちびの宣伝相ゲッペルスとその軽薄な妻、ふとっちょで悪臭を放つヒトラーの側近マルティン・ボルマン、そして何人かのSSたち。到着早々ボルマンは、「政治の話はなしだ」と、くぎをさす。他愛もないおしゃべりが食事のあいだ交わされ、やがて一同はピクニックに出かけてゆく。その後の、エヴァとヒトラーのちょっとした痴話喧嘩。何でもない一日。だが、あたりには腐臭が立ちこめている。何でもない会話の中で交わされる一言が、見るものをぞっとさせる。  

ヒトラーを凡庸な男として描く。しかし、同時に、ソクーロフはエヴァ・ブラウンにヒトラーに向かってこう言わせている。「あなたは凡庸であることを恐れているのよ。」この恐れが凡庸な男を大量虐殺者に変えたのだろうか。エヴァはそれを見抜いているかのようだ。愚かな女として描かれるエヴァが実は映画の中ではもっとも聡明な人間なのである。ヒトラーの気まぐれな言動にまわりが一喜一憂する中、エヴァだけは終止自由に振る舞う。ヒトラーは、彼女の前では、死に対するおのれの恐怖を恥ずかしげもなくさらけ出す。そして、別れ際に、「死は克服できる」と言うヒトラーに、エヴァはこう言い放つ、「アディ、死は克服なんて出来ないのよ。」  

ぼくは熱心なソクーロフのファンではないし、『ロシア・エレジー』を除けば、ソクーロフの映画にはまったことはなかったと言っていい。しかし、この映画では久々にソクーロフの世界にはまってしまった。とかくソクーロフの映画は難解だと言われがちだ。しかし、ぼくに言わせれば、ソクーロフの映画の魅力とは――それを魅力と呼んでいいのなら――そのあきれるほどの愚鈍さにあるのだ。見る前に抱いていた危惧は、ソクーロフにはたしてヒトラーが、ファシズムが描けるのだろうか、というものだった。ソクーロフ的愚鈍さは、ファシズムにはたして対抗できるのだろうか。結果は、意外なほどに予想を裏切っていた。対象をひたすら愚鈍に撮り続けるソクーロフの映画は、政治=倫理的な主題と向かい合ったときもっとも力を発揮するのかもしれない。ここに描かれているファシズムは、これまでナチスを描いた映画がそうだったようなマクロなファシズムではなく、いわばミクロのファシズムである。これはおそらく誰も描いたことのないファシズム、そしておそらく映画だけに描くことが可能なファシズムではないだろうか。  

ソクーロフを何本か見てだめだと思った人も、ダマされたと思って見に行ってみたらどうだろう。もちろん本当にダマされても、ぼくは責任は取らないが……。


Note :
タイトルの「モレク神」とは何か? リーダーズ英和辞典には次のようにある。
a 【聖】 モレク 《フェニキア人が子供を人身御供にして祭った神; Lev. 18: 21, 2 Kings 23: 10》.
b [fig.] 大きな犠牲を要求するもの.

エルミタージュ幻想『エルミタージュ幻想』

参考文献

『イェルサレムのアイヒマン』

(ハンナ・アレント著、みすず書房)

アイヒマンとは言うまでもなくナチスのユダヤ人問題の『スペシャリスト』として名高い男。戦後、亡命先のアルゼンチンで逮捕され、拉致同然の形でエルサレムにつれてこられて、戦争犯罪人として裁判にかけられ、結局死刑に処せられた。この本は、自らもユダヤ人であるハンナ・アレントが、アイヒマン裁判を通じて「悪の凡庸さ」を鋭くえぐり出す渾身のルポルタージュだ。アレントはナチスの犯罪を暴くと同時に、返す刀で、直接・間接的にナチスに協力したユダヤ人たちをも容赦なく切って捨てる。アイヒマンは今で言えば凡庸な中間管理職のおやじといったところか。それでも、今巷を騒がしている外務省の官僚に比べれば、よほどましな人間に思えてくるのが、逆に恐ろしい。

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