京都・広島・沖縄・・・。 極私的旅を通じて日本の根っこをさぐる映画
原将人は、17歳の高校生のときに撮った作品で衝撃的なデビューを飾り、松本俊夫の『薔薇の葬列』で最年少の助監督を務め、21歳で大島渚の『東京戦争戦後秘話』(「戦」の字はこれじゃないんだけど、ワープロで出てこない)のシナリオを担当するという、恐るべき早熟な映画作家として現れた人物である。そのかれももう50をすぎてしまったのだが、新作を見る限りむかしとなにも変わっていない。
この映画はちらしにライブ映画と銘打って紹介されている。ちなみに、『MI・TA・RI!』のちらしには奈良美智の印象的な絵が使われている。なぜ奈良美智なのかとも思ったが、奈良はアメリカに住んでるとき広末涼子主演の『20世紀ノスタルジア』を100回ぐらい見てシナリオをぜんぶ覚えているぐらいの原将人ファンなのだそうだ。
実際に見てみるまでは「ライブ映画って、なに?」と思っていたのだが、見てなるほどこれはライブだわと思った。シネスコサイズの横長画面の中央部分にプロジェクターを使ってデジタルビデオの映像を映写し、その左右のあいた部分に2台の映写機を使って8ミリの映像を映写するという、3つの映像の同時進行の形でこの上映は行われた。場面に応じてそれぞれの映像の大きさを拡大したり縮小したり、あるいはいったんひとつを消して2画面だけにしたり、二つを消して中央の画面だけを残したりといった具合に、自ら映写機を操作してスクリーンを今まで見たことのないような大胆さで活用すると同時に、生声で画面にナレーションを加え、ときには自分で作詞した歌を歌いさえする原将人のパフォーマンス。さらにはスクリーンのかたわらに立つMAORI (原将人の若い奥さんであり、この映画の共同監督でもある)が鈴を鳴らしながら、ちょっとジェーン・バーキンを思わせるような素晴らしい歌声で、原の歌に唱和する。見ているうちにこれは本当に映画なのかという、なにか既成概念が崩れていくような感じと同時に、なつかしいものを見ているような、それでいてまったく新しいなにかを見ているような、そんな不思議な感じを味わった。
この映画は、原将人と MAORI が京都、広島、沖縄と旅を続けるなかで、「ふたり」のあいだに子供が生まれて「みたり」となる、それだけのことを極私的に撮ったまさにプライヴェート・ムーヴィーである。そんな映画が赤の他人であるわれわれが見ても感動的なのは、この映画にも、原がデビュー当初よりずっと抱き続けてきた問題意識が貫いているからだ。撮るとはどういうことなのか(「見たり」)。国家とはなんなのか。そしてとりわけ、国歌とはなんなのか。歌とはなんなのか。ふたりのあいだに子供が生まれる場面で、原は子供の誕生を自ら歌にし、やがてそれは日本の歌のルーツをさぐる思索の始まりとなり、そして偶然(なのか?)広島のとある学校で、君が代を歌いたくない生徒に歌わせるかどうかで思い悩んだ校長が自殺するというニュースをきっかけに、原たちは広島へと赴く。画面にはときおり日の丸がはためく風景がさりげなく挿入され、やがて彼らは沖縄へと向かうのだが、旅の最後に、「こうして沖縄に来たけど、いったいなにをしに来たんだろうね」とつぶやく原。彼らの乗った車の前を米軍機がまさに「暴力」そのものの轟音をたてながら横切る。旅の意味は明らかなのだ。
MAORI がときおりナレーションをとちったり、歌の出だしを間違えたりする場面もあったが、これもまさに「ライブ」である。こんな映画だから上映ごとに異なるヴァージョンがあり、フランクフルト国際映画祭で絶賛されたときのものを含め、ぜんぶで12ヴァージョンが存在するという。そのすべてはビデオ化されて販売される予定だそうだ。
今後のライブ上映の予定 >> http://y7.net/mitari
『東京戦争戦後秘話』 | 『20世紀ノスタルジア』 |
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