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『メメント』
Memento

──記憶の映画? 記録の映画?

2000年/シネスコ/アメリカ/カラー・モノクロ/113分

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
出演:ガイ・ピアース、キャリー=アン・モス、ジョー・バントリアーノ

メメント

 才気あふれる新人監督クリストファー・ノーランの『メメント』は、周到に用意されたシナリオの力業で、フィリップ・K・ディック的SFの世界とフィルム・ノワール的風土を合体させた佳作だ。

レビュー

以下の文章は、映画の謎の部分に触れるものです。できれば、映画を見たあとで読んでください。

クローズアップで映し出される一枚のポラロイド写真に写ったある光景が、しだいに色あせてゆき、ついには真っ白になって消えうせてしまう。

『メメント』の冒頭に置かれたこのショットにはこの映画全体が集約されている。しだいに薄れていく記憶、記録装置としてのポラロイド写真、そしてフィルムの逆回しによるトリック撮影は、時間を逆にさかのぼってゆくかたちになっているこの映画の構成を暗示しているという念の入れようだ。

妻を目の前で犯されたあげく殺されてしまった男が、自力で犯人を捜し出そうと悪戦苦闘する。『メメント』のストーリーを要約するとそうなる。ありきたりな話だ。けれども、この男は事件のショックで記憶を長いあいだ保つことができず、つい数分前のことを完全に忘れてしまうという慢性の記憶喪失状態にあるとなると、話は別だ。男はポラロイド写真やメモといった手段を用いて、重要な証拠となる事実を記録に残してゆく。さらには、みずからの体に入れ墨を彫ってメッセージを刻み込みさえする。記憶をなくすたびに、同じ顔、同じ風景が新たな相貌をまとって彼の前に現れる。彼にとって、いわばすべては過去をもたない現在だ。ポラロイド写真はそれらに過去を授けるための装置と言っていい。この顔におれは見覚えはないが、確かに過去にこの顔を見たことがあるはずだ。なぜならここに写真があるではないか、というわけだ。

クリストファー・ノーランは、この物語の時間をいったんバラバラにし、結末の部分、つまり主人公が犯人を捜し当てて射殺するところから語り始める。ビリー・ワイルダーの『深夜の告白』を始めとして、結末から始まって回想形式で進んでゆく映画はそう珍しいものではない。観客はすでに結末を知っているわけだから、この手の映画には、逃れがたい運命の刻印が憑きまとうことになるだろう。だが、『メメント』の語り口はそれとも異なる。この映画は、記憶を10分程度しか維持できない主人公の状態を疑似体験させるかのように、物語を短いエピソードに切断したうえで、それを時間とは逆の順序で並べてゆく。似たような構成の作品としては、韓国映画の『ペパーミント・キャンディ』がすぐ思い浮かぶ。この映画は、人生に絶望した主人公が何十年ぶりかで故郷に帰って、そこで自殺しようとして列車の前に飛び出す場面から始まり、そこから時間をさかのぼるかたちで、短く切り取られた彼の人生のエピソードを積み重ねて語ってゆく構成になっている。最後のエピソードでふたたび最初と同じ場所に戻ってくるのだが、ただ時間は20年前の過去であるという、いわばねじれた円環構造を持った作品だ。普通の回想形式とは明らかに異なる映画ではあるが、ここにもやはり運命の刻印が押されていることに変わりはない。この映画の横に『メメント』をならべてみれば違いがはっきりする。『メメント』のそれぞれのエピソードは、過去というよりもそのつど繰り返される現在として提示されているのだ。

だから、映画は次第しだいに事件の現場へ、主人公のトラウマを形づくることになる瞬間へと近づいてゆくかのように見えて、実はそうはならない。実際、この映画は最初の見かけほどには単純でない。カラーで撮られたパートが時間を逆行してゆくかたちになっているのに対して、それと交互に挿入されるモノクロ部分の時制が最初わかりづらいのだが、やがてこの部分は時間の通りに進んでいることがわかってくる。つまり、この映画は、カラー部分とモノクロ部分がある時点を目指して挟み撃ちのかたちで進行してくかたちになっているのだ。その点に達したとき、モノクロの映像は同じフレームのなかでカラーへと変貌する。そして、その瞬間こそがこの映画の中心とも言える点なのだ。それは過去の秘密が明らかになる点と言うよりも、主人公が自分の過去を消し去る決心をする瞬間である。

ところで、サルトルはフォークナーの小説を高く評価しながらも、ある点で彼を鋭く批判している。それは、フォークナーの小説がいつも、すべてが終わってしまった時点から始まるということだ。現在の瞬間における選択の自由に賭けるサルトル的実存と、フォークナー的な「過去の幻」をめぐる物語との相違ということになるだろうか。

『メメント』は、一見、現在しか持つことのできない男が過去を取り戻そうとする試みを描いた映画のように見えるが、実は過去を消し去ることを選択した男の物語であることが最後に判明する。あの刑事が最後に言ったことが本当であるのか嘘であるのかは、もはやどうでもいいことだ。あとは、永遠の現在がフィクションとして繰り返されるばかりである。これは想像するに愉快な世界だ。ただ、そのたびにどこかのジョン・Gが殺されるというのは、かわいそうな話だが・・・

メメント 『メメント』

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「私が知っているある繊細な青年は誕生前の我が家を撮った自家製の映画を初めて見たとき、ほとんど恐慌を来したと言う。眼前の世界は――同じ家、同じ顔――少しも変わっていなかったが、彼自身はいなかった。誰ひとり彼がいないのを悲しんでいなかった。」

『ナボコフ自伝――記憶よ、語れ』
ウラジミール・ナボコフ

「思い出すことだけが大事なのだ。」

『ジョルジュ大尉の手帳』
ジャン・ルノワール

「考えるということは、相違を忘れること、概括すること、抽象することである。過度に充満したフネスの世界には、細部、ほとんど連続した細部しかなかった。」

「記憶の人フネス」(『伝奇集』より)
ホルヘ・ルイス・ボルヘス

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