映画の誘惑

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『家路』
Je rentre á la maison

2001年/ポルトガル=フランス/35mm/カラー/90分

監督・脚本:マノエル・デ・オリヴェイラ 撮影:サビーヌ・ランスラン
出演:ミシェル・ピコリ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジョン・マルコヴィッチ

家路

レビュー

この映画は長い舞台の場面から始まる。上演されているのは不条理演劇で名高いウージェーヌ・イヨネスコの「瀕死の王」だ。ミシェル・ピコリ演じるこの映画の主人公ジルベール・ヴァランスは、この芝居の主役ベランジェ1世を演じている。高齢で死期を迎えながらその死の現実を受け入れることをかたくなに拒み続けている瀕死の王ベランジェ1世と、彼に死を認めさせようとする王妃マルグリッド(『メフィストの誘い』のカトリーヌ・ドヌーヴが圧倒的な存在感で演じている)とのコミカルな掛け合いが客席をわかす。

 ベランジェを演じるヴァランス自身もまた、老いを感ぜずにはいられない年齢にさしかかっている。芝居が終わったとき、ヴァランスは舞台裏に待機していたエージェントから、彼の妻と息子夫婦が交通事故でなくなったことを知らされる。死を拒む王の背後に忍び寄る死。突然の知らせを聞いたヴァランスが足早に劇場をあとにするまでを、キャメラはいっさいのセンチメンタリズムを排したロングショットで捉え続ける。そして次の場面。自宅の二階の薄暗い寝室の窓から、眼下の庭で学校へ行く準備をしている孫息子をじっと見つめるヴァランス。すべてはもう終わっている。遺体との対面の場面もなければ、葬式の場面もない。すでに日常が始まっている。ヴァランスが窓から庭の息子を見つめる場面はこのあと何度も繰り返されることになるだろう。

 同じであると同時にまた別でもあることの繰り返し。同じアングルから同じ風景を捉えたショットの繰り返しが、昼のパリと夜のパリの違いを際だたせてゆく。「瀕死の王」で生に執着する王を演じたヴァランスは、次の芝居、シェイクスピアの「テンペスト」では、「私たちは夢のように儚い存在」と達観する追放された王プロスペローを演じる。そしてその次には、ジョイスの「ユリシーズ」のバック・マリガン役が待っている。ただし、今度は映画という別のもので。

 芝居のあいだも日常は続いてゆく。毎朝ヴァランスはリパブリック広場のお気に入りのカフェのお気に入りの椅子でお気に入りの新聞 Liberation を読む(これは私のお気に入りの新聞でもある、どうでもいいが)。そして、彼がその席を立った直後にいつもその席に座って Figaro紙を読む別の男性がいる。この毎朝の情景は何度も繰り返し描かれてゆくことになるのだが、不思議なことにその男性が読んでいる Figaro紙は、わたしの勘違いでなければ、なぜかいつも同じ日付のものなのである。こうしたうっかりすると気がつかないほどの細部にトリックをしかけて楽しんでいるオリヴェイラの忍び笑いが聞こえてきそうだ。この日常生活の演劇にはまだ続きがあるのだが、長くなるので止めておこう。

 ところで、 このカフェの場面は街路の側からガラス越しに撮られていて、なかの会話はいっさい聞こえない。あるいは、ヴァランスがウィンドウで見つけた靴を買う場面。ここも同じく外からガラス越しに撮られている。さらにはヴァランスが通りで女性にサインを求められる場面。ここでは逆にその光景は室内からガラス越しに撮られているのだが、ここでも外の会話はいっさい聞こえない。なぜだかわからないが、この視線こそが映画なのだと確信する。チュイルリー公園の大観覧車を捉えたただそれだけのショットが、事物のもつ圧倒的な存在感で迫ってくる。そう、これこそが映画なのだ。

  ヴァランスは3日間で「ユリシーズ」のバック・マリガンの台詞を覚えてリハーサルにのぞむが、台詞は思うように出てこない(そもそも、あの年でバック・マリガン役というのは無理があると思うのだが)。彼の台詞の間違いを慇懃かつ執拗に訂正する映画監督役のジョン・マルコヴィッチが素晴らしい。しかもここでのピコリは同じ「ユリシーズ」の映画化を描いたゴダールの『軽蔑』の自分の役(映画「ユリシーズ」の脚本家)と戯れてもいるわけだ。撮影本番になっても台詞が言えないヴァランスは突然「家に帰る」(Je rentre a la maison)といってスタジオを後にする。この言葉が実はこの映画の原題なのだ。

  このラストはポジティブにもネガティブにも受け取れる。オリヴェイラ自身は、この映画は、メーキャップに象徴される人工的な人生、文明社会から自然に帰ろうという寓話なのだと説明している。しかし、階段をよろよろと上っていくピコリの後ろ姿に、死を読みとることはたやすい。いずれにせよ、感動的なのは、その階段を上ってゆく老人の背中を見つめる孫息子の顔のアップでこの映画が締めくくられることだ。それまで老人から見られるだけだった彼は、ここではじめて見る存在へと変貌する。「大人になる」とはそういうことなのだ、とオリヴェイラは言いたげだ。

 

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