悪夢のような一日を描くイランの女性映画
イランの女性監督ジャファール・パナヒの『チャドルと生きる』を大阪動物園前シネフェスタ4で見る。この映画は、テヘランの街で、複数の女たちが次々と体験する悪夢のような一日を描く、イラン版『アフター・アワーズ』のような映画だ(ちょっと違うが)。
『チャドルと生きる』はヴェネチアで金獅子賞を筆頭に6冠に輝き、世界30カ国で上映されたという映画なのだが、その割りには日本ではほとんど話題にならずにひっそりと公開された。わたしが行った映画館には、客は3人しかいなかった。テレビも映画雑誌も情報誌も、こういう映画をしかるべく紹介すべく機能していない証拠だ。
ジャファール・パナヒは元々はキアロスタミの助監督をしていた人で、『白い風船』などの監督作がすでに日本でも公開されており、それなりに名前は知られている。わたしは前の作品を見ていないのでわからないが、前作を見ている人は、今回の『チャドルと生きる』がかなりヘヴィーな作風になっているので驚くそうだ。――と、ここまで書いてからよく調べてみると、実は『白い風船』を見ていたことに気づいた。金魚を欲しがる少女の物語だったので、「赤い金魚」とか、そんな題だと思いこんでいたのだった。ま、それほど印象の薄い映画だったということだ。忘れていてよかった。『白い風船』を覚えていたら、この『チャドルと生きる』はパスしてしまっていたかもしれない。この映画は見て正解だった。まさかこんなにいいとは思わなかったからだ。(――と、ここまで書いてからよく調べてみると、実は『運動靴と赤い金魚』というイラン映画があることがわかった。うーむ、ひょっとしたらこれだったのか・・・。)
『チャドルと生きる』の主人公はすべて女たちだ。映画は、病院でひとりの女児が誕生するところから始まる。分娩室の外で待っていた妊婦の母親らしき老女は、生まれたのが女の子だと聞いて肩を落とす。男の跡継ぎを生めなければ、娘の立場はなくなるのだ。あとから病院に着いた妹らしき若い女が、老婆からそのことを聞かされて、だれかに知らせに今上ってきたばかりの階段を急ぎ足に降りてゆくのを、キャメラは背中越しに追ってゆく。ところが、女が病院を出たところで、キャメラはあっさりと彼女を見捨て、そこのバス停にたむろしていた二人の若い女を捉える。と同時に、映画の焦点もこのふたりの女に移ってゆく。彼女たちはだれかを捜しているようであり、また警察から追われて逃げているようでもあるが、パナヒは説明的な描写を一切排しているので、彼女らの行動がなにを意味しているかがわかるのは、ずいぶん後になってからである。
どうやら彼女たちは刑務所を脱走してきたようなのだが、いったいなぜ彼女たちが刑務所にいたのか、どうして脱走したのか、そのへんは結局最後まで語られない。女のひとりは、故郷に帰って結婚しようとしているらしい。街の雑貨店に売られている絵を見ながら、「これがわたしの故郷よ」と、彼女はもうひとりの女にいうのだが、その絵が安っぽいゴッホの複製(あるいは模写?)だったりするのが、なかなかよいではないか。けれども、故郷へ向かうバスには警察の検問があって乗り込めない。一緒だったもうひとりの女はどこかに行ってしまって見つからない。彼女は、ふたりが最初捜していた別の女の居所を突き止めるのだが、家族に門前払いされてしまう。やがて、彼女が画面から消えたあとで、彼女が捜していた女が家のなかから追い出されるようにして出てくる。ここで再び、映画は先ほどまで追っていた女から離れ、この新しい女へと焦点を移すのだ。
この映画は、こんな風にして、ひとりの女にしばらく密着したあとで、その運命を最期まで見届けることなく、次々と別の女へと焦点を移してゆく。こうして女たちがつながってゆき、この映画の原題でもある「Circle」、つまり「円環」を形作ってゆくのである。次々と現れてくる女たちは、一見無作為にならべられているように見えながら、その実、女児の誕生に始まり、結婚間近の女、子どもをおろすために医者を探し回る妊婦、生活苦のために子どもを捨てる女、捨てられた女のなれの果てのような娼婦、といった具合に、彼女らすべてがひとりの女の一生を表しているという見方もできる(これは『私が女になった日』を思い出させる構成だ)。分娩室の白い小窓が開く場面から始まった映画は、時間を追うにつれてしだいに光を失ってゆき、最後は、夜の監獄の暗い小窓が閉じられる場面で終わる。そして、その牢屋には、映画に登場した女たちすべてが投獄されている。牢屋の窓を閉める前に、看守が囚人の名前を呼ぶが、その女はどうやら子供を産むために冒頭の病院に連れて行かれたらしい。文字どおり、円環は閉じられたのだ。
病院、警察、監獄、すべての社会システムが女たちに対して抑圧的に働いている。それだけではない。路上で煙草を吸っていれば、「こんなところで女に煙草を吸ってもらったら困る」と注意を受け、学生証をもたず同伴者もいない娘は、ひとりでバスに乗ることさえできない(どうやらそういう法律があるようだ)。脱獄女囚たちがどんな罪で投獄されていたのかがわからないと書いたが、彼女たちは要するに「女である」という罪を犯していたにすぎない。そしてそれはここでは決定的な罪であるのだ。
人物をたえず至近距離から捉えるキャメラワークは、見ていて息苦しくなるほどの緊迫感を与える。けっして広がらない視野のなかに浮かび上がってくるテヘランの街はまるで迷路のようだ。ダルデンヌ兄弟の『ロゼッタ』を思わせるこの手法を、「疑似ドキュメンタリー」などと呼んで批判する人がいるようだが、少なくともこの映画に関しては、それでは芸がなさすぎる。最初は人物に合わせてよく動いていたキャメラが、後半にしたがってしだいに動きが鈍くなり、最後はほとんど固定ショットだけになるといった、細かい部分を見た上で、そういうことはいってほしい。
いちいち書いてられないが、パナヒは実に細かい演出を随所に行っている。たとえば、子どもをおろそうとしている女が公衆電話をかける場面。彼女が電話をかけたあとで、彼女から小銭を借りて電話をかける軍人らしき男は、どうやら不倫相手の人妻に電話をかけているようなのだが、その会話をそばで憎らしげに聞きながら、女はつわりをもよおして吐いている。おそらく彼女の子どももそのようにして孕まれたのかもしれない・・・。あるいは、出口なしの円環が閉じるペシミスティックな最後の牢屋の場面で、テヘランでは極めて珍しいものであるはずの雨が降っているのを窓ガラス越しにさりげなく見せるところ。イランでは雨はしばしば希望を意味するのだ(ちなみに、手元にある百科事典によると、テヘランの年降水量はたったの208ミリである。余談だが、イランにおける雨がどんなものかは、キアロスタミが脚本を書いた佳作『柳と風』を見ればわかるはず)。たしかに、パナヒの演出には、少し「教育主義的」部分がありすぎるかもしれない。それは認めよう。しかし、あざとくなるぎりぎりのところで抑えながらも、計算されつくした全体の構成と細部のディテールを通じて、メッセージを強烈に伝えるその力量には、感心させられた。
それにしても、イラン映画で、脱獄女囚や、子どもをおろそうとする女、子どもを捨てる女、娼婦などが、これほど露骨に描かれるとは驚きだ。96年に開催されたイラン映画祭のパンフレットに書かれたイラン映画史よると、イラン映画は1900年にシネマトグラフが持ち込まれて以来の長い歴史をもつのだが、キアロスタミやマフマルバフが登場したあとの、歴史の最新の部分(つまり96年当時)のところにきてもまだ、「政府は新たな検閲項目を増やした:女性のクローズ・アップやメイクアップの禁止、非道徳的な登場人物に伝統的イスラム教徒の名前を付けない、女性が走っているところは撮影しない(体のラインが強調されるため)」などといった記述が見られるという、時代錯誤ぶりだ。イラン映画には子どもの映画が多いわけである。
このパンフレットが書かれたころからまだ10年もたっていないことを考えると、『チャドルと生きる』のようなイラン映画が撮られたことは驚きだ。イランもだいぶ変わったのかと思いたくもなるが、この映画はヴェネチアで金獅子賞まで取りながら、イラン国内ではいまだ上映されたことがないという。
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