キューバの特異な作家レイナルド・アレナスの生涯を描いたシュナーベルの新作は、これを見てアレナスの小説を読んでみたいと思わせるだけでも、好感の持てる作品だ。
今日はこの映画の話をしよう。
『夜になる前に』は、80年代に彗星のごとく現れた画家ジャン=ミシェル・バスキアを描いた『バスキア』でデビューしたジュリアン・シュナーベルが監督第2作目として撮った作品だ。前作『バスキア』では、シュナーベル自身画家であるせいもあるのだろう、NYアートシーンの内幕がコミカルに描かれており、デヴィッド・ボウイやゲイリー・オールドマン、デニス・ホッパーといった役者の使い方にも才気が感じられ、注目に値する作家だと思っていた。それで、『夜になる前に』は、内容も出演者も確かめずに見に行ったのだった。映画は、深い緑の葉を揺らしなまめかしくそびえ立つ森の木々を通り抜けて、男の子を腕に抱いた女が現れ、そこに幼年期をたぐり寄せるようなナレーションが重なるシーンから始まる。その男の子は、後に作家となって『めくるめく世界』で世界に名を馳せることになるレイナルド・アレナスであることが、やがてわかってくる。ここまで見たところで、「また芸術家の伝記物か」、と正直少しがっかりしたのだが、シュナーベルはアレナスの自伝(「夜になる前に」)をベースにしつつも、やたらと作品からの引用をすることは控え、またハビエル・バルデム演じるアレナスも、一個の肉体を持った存在として実に生き生きと描かれており、「苦悩する芸術家」の紋切り型におちいることをかろうじてまぬがれていた。
作家であるというだけで反革命分子の烙印を押されるカストロ政権の70年代キューバの厳しい言論統制下、アレナスはそのうえ同性愛者であることで厳しい弾圧をうけ、作品の出版を禁じられ、原稿を没収され、あげくの果てに投獄されて、地獄のような獄中生活を送る。やっと釈放されたのちも、すぐ近くにあるアメリカへの脱出の夢はかないそうにない。80年にカストロが、同性愛者、精神病者、犯罪者に出国を許可するという嘘のような事態が起こり、アレナスは無事アメリカへと脱出するのだが、不思議なことに、自由の国アメリカに渡ったあとのアレナスは、まるで抜け殻になったように見える。実は、かれはエイズに冒されていたのだが、映画のなかではそのことはほとんど触れられていない。アメリカに渡ったあともかれはひたすら書き続けていたのだが、それも映画のなかではほとんど描かれていない。まるで、キューバから脱出した時点でかれの人生はなかば終わってしまったかのようだ。どう見ても、キューバ時代の方がアレナスは生き生きとしていたように思えるのだ。シュナーベルは、共産政権の全体主義的な抑圧と資本主義国の自由とをもっともらしく対比させるという愚をさけることで、映画にリアリティを与えることに成功している。とはいえ、アメリカ時代のアレナスに生気が乏しいのはいいとして、映画のこの部分自体に少し迫力が欠けているのが残念だ。
『バスキア』同様、シュナーベルはここでも俳優のユニークな起用の仕方に才気を見せている。とりわけ、ジョニー・デップの一人二役(あるいは同一人物か?)には、ユーモアと知性が感じられるが、これは見てのお楽しみにしておこう。そのほかにも、『蜘蛛女のキス』の監督ヘクトール・バベンゴや、少し前に『出発』が公開されひそかに話題を呼んだイエジー・スコリモフスキーが特別出演しているのも注目だ。この監督にはどうやら、様々な人たちを引きつける妙な牽引力があるようだ。その意味では、ジャームッシュやミカ・カウリスマキといった作家たちにも近い資質を持っているのかもしれない。
『夜になる前に』 |
『夜明け前のセレスティーノ』 |
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