シェフからのメッセージA
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はじめにワインありき
ワインの中心地フランス、この国がまだガリア人の国と呼ばれていた頃、葡萄栽培を伝えたのはギリシャ植民でした。
ローマ時代になるとワインは急速に進歩します。
味に気を配り、オークの大樽や、テーブル用のガラス瓶まで出現しました。
誰でもワインを飲むようになる一方、高級品は宮廷でもてはやされ名をあげるのです。
ある産地の評判が高まれば、注文は外国からも舞い込んで来る。
いわゆる仲買商の始まりであります。
フランスでは、ナルボンヌの仲買商がローマ帝国のワインを買い入れていましたが、南フランスのワイン生産が盛んになり、この事からローマ帝国のワインは輸出不振に陥り、紀元92年にはプロヴァンス地方の葡萄栽培に関してローマ帝国より制限令が出されたりもしたのです。
が、282年には解除され、5世紀の西ローマ帝国崩壊の頃には、葡萄園はフランス西部のアキテーヌ盆地、ついでローヌの谷を遡って、ロワール、セーヌ、ラインの谷まで広がっていたのです。
そんな歴史を振り返れば、ヨーロッパ、中でもフランス人とワインの関係は、切っても切れないものだと言えるのかもしれません。
時には最愛の恋人のごとく、時には空気のごとく、時には……。
彼らにとってそれぞれの時、それぞれの景色の中で、当たり前から、至上の一本まで、欠くべからざるものであり続けます。
まさに『葡萄酒なき食事は、太陽なき一日のごとし』『食事の間に水を飲むのは、蛙と○○○人だけだ』と。
食事には勿論、学生食堂にだってワインは用意されています。
愛を語る時にも、旅をするにも、それぞれそれなりのワインの登場という事になります。
では、われわれ日本人にとってはどうでしょう?
残念ながら、そこまで当たり前のものではないでしょう。
しかし、ちょっぴり特別なものだから良いという事もあるはずです。
前掲の一文にもあるとおり、私の場合、フランスでは当初ルンペン同様の暮らしぶりが続いた事もありました。
辛くて、ひもじくて、情けなくて、だけど日本にだけは帰れない、そんな毎日でした。
でも、それで生き延びたのは、ワインのお陰でした。
粗末なテーブルは、ワインの一本で救われたのです。
ルンペンのくせに、と思われるかもしれませんが、そのルンペンにだって飲めるワインがある。
ま、それが、フランスという国の良さでもあるのでしょう。
勿論、めでるようなものではありませんがチビチビやったり、ガブ飲みしたり、手元からワインが離れる事はありませんでした。
こうなってくると、まさしく『命の水』であります。
しかし、私どもの店にいらっしゃる皆様には、ルンペンなんて何の縁もないはずです、過去においても、そして未来永劫に。
だからこそ、素性の正しい、そして良く管理された良質のワインを召し上がって頂きたいと思うのです。
別に『命の水』はいらないのです。
そう『ちょっといいもの』で良いのです。
その効能は少なくとも食事の場においては、ひいては生活全般に渡って、大いなるものがあるはずです。
まず、形を考えるようになります。
会社ではとってもえらいお父さんも、家ではくつろぎたいもの。
暑い夏の夜にはシャンパンでも、と。
そうすると、リラックスはしても、それなりに形は整える事となります。
極端ですが、パンツ姿などという事はなくなるでしょう(きっと)
その代わり、心の満足感は長い余韻を残します。
次に、小さくても大切な事にこだわるようになります。
ワインを飲むのだから、美味しいパンが欲しい、とか、美味しい発酵バターが欲しいだとか、そしてナチュラルな味が良い、とか、ちなみに、科学調味料に代表される人工的な味は、ワインとケンカします。
だから、難しく考えなくても、食べ物の味にうるさくなります。
決してマニアックではなく、本能的に。
結果、自然発生的に、本物のグルメが生まれるのです。
メディアなどにたぶらかされるのではなく、自分の中から生まれたものだから、これほど強いものはないのです。
それだけ、ワインというのは、自然なものという事になります。
南アフリカでは、毎日一本のワインを飲んで、百歳を超えるまで、長生きした人もいるそうです。
本物のグルメで長生き、なんと幸せな事でしょうか。
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