Wunsch 【Zusatz 2】




「閣下」
 遠慮がちに掛けられた声に、彼は目を開けた。
「おやすみでしたか」
「……寝るつもりはなかったんだが、どうやらつもりだけだったみたいだな」
 答えて、彼は小さく苦笑した。
「何かあったか?」
 そう問い返されて、彼に声を掛けた副官である仕官が答える。
「一人残らず、全員、集めましたので」
「そうか」
 頷きながら短く答えて、彼は躰を預けていたソファから立ち上がった。
「では、会いに行くとするか」
 そう言って、彼は士官と共に部屋を出て長い廊下を建物の外へと向かう。
 正面ホールを抜けて外に出ると、地上車が彼を待っていた。
 運転手を務める下士官がドアを開けると黙って乗り込み、それに士官が続き、運転手は見届けて扉を閉めると運転席に戻ってエンジンを掛けた。
 静かに地上車が走り出すと、その後ろに停まっていた数台の地上車も、それに続くように走り出した。



 思い出すのは、先程まで夢に見ていた遠い昔の記憶。
 彼のオリジナルは、ずっと望み続けていたように、軍の力を借りて故郷に戻り、夢に見続けていたその大地に還った。あれからおよそ100年、もう遠の昔に、骨だけとなっただろうその骸を、今もなお曝し続けている。
 そして現在、彼のコピーたる自分は、かつて皇帝レヴィアスが叶えようと彼に約束して叶わずにいた、彼のもう一つの望みを叶えるために、ここにいる。
 そのために、そのためだけに生み出された自分は、果たして、望みを叶えた後にどうするのだろうと思う。
 望みを叶えるのはいい。それは彼の記憶をもそのまま受け継いだ自分にとっても、他の何よりも強く望むものだから。
 だがその後が、見えないのだ。
 全ての望みを叶えたら、その後、人には何が残るというのだろうと、そう思う。
 彼は振り切るように軽く頭を振った。
 今はまだそれを考える時ではない。考えるのは、全てを終えてからでいい。それまでは余計なことは考えるべきではないと。
 やがて地上車は宮殿の正面に到着し、静かに停止した。
 地上車を降りると、士官たちを従えて、彼は記憶の中そのままの宮殿に足を踏み入れる。
 宮殿の中は静まり返っていた。
 人がいないわけではないが、成り行きを静かに見守るように、皆、息を潜めて、それぞれの部屋の中に閉じ篭もっているのだ。
 彼は部下たちと共に、宮殿の奥へと足音を響かせながら進んだ。


◇  ◇  ◇



 王立派遣軍の蜂起に、聖地は為す術を持たなかった。
 そこには、単に聖地を護るべき立場にある王立派遣軍が、逆に叛乱を起こした主役であるということ以外に、王立派遣軍と王立研究院が連名で公表したデータから受けた、心理的な衝撃も大きく影響していた。
 そのデータは、王立派遣軍が1500年余りの永きに渡って収集したものだった。
 サクリアとは、本来この宇宙自身の持つエネルギーであり、守護聖がサクリアを送るということは、その宇宙のエネルギーを取り込み、守護聖が持つと言われる各々の力に変換して送るということ。つまりサクリアを使うということは、宇宙がそのエネルギーを本来必要とする量以上に消費することであると。そしてそれは、新たに生み出されるエネルギーを上回る量を消費をすることに繋がり、結果を考えれば、それは宇宙にあるエネルギーの早急な枯渇を招くことであり、つまりはこの宇宙の寿命を縮めることに他ならず、かつての旧宇宙があのように急激に崩壊したのも、結局のところはサクリアの濫用にその原因があったのだと。
 そのデータに衝撃を受けない者は一人としてなかった。
 それは当然だろう。
 宇宙を維持し、惑星を育成するはずのサクリアが、実際には逆にこの宇宙の崩壊を早めているというのだから。
 その衝撃が納まらぬうちに、王立派遣軍は、たとえ短期的には混乱が生じようとも、この世界に聖地は無用であるとして蜂起した。
 全ては長年に渡って練られた計画のうちだったのだろう。
 王立研究院も、王立派遣軍の側に付いていた。
 聖地を、宮殿を護るものはいなかった。僅かに、宮殿に、女王に、守護聖に仕える者たちがあるのみだった。
 だが、軍隊を相手に素人が何をできるというのか。ましてや公表されたデータが、彼らの動きに躊躇いも齎していたのだから。
 そしてさして時間をかけずに王立派遣軍は聖地の全てを掌握し、今回の行動の中心に立つ、王立派遣軍において、女王に任命された王立派遣軍の総司令官職を務める風の守護聖すら持たぬ── 前任の炎の守護聖亡き後、後任となった彼に対して、それまでの慣行であった元帥号の授与を、王立派遣軍は頑なに拒み、受け入れなかった── 元帥杖を唯一人持つ彼は、部下たちと共に宮殿に足を踏み入れた。征服者としての立場で。



 謁見の間の扉の前に立ち、彼は一つ大きく息を吐いた。
 それから扉に手を掛け、思い切り開く。
 中にいた者たちの視線が、一斉に彼に注がれる。
 謁見の間の最奥、玉座には第256代女王、その傍らには女王補佐官が立ち、その周囲には先日から開始された女王試験を受けている二人の女王候補、そしてその前に立ちはだかるように九人の守護聖たちがいた。
 彼らはしかし、動けない。
 なぜなら、彼らを取り囲む王立派遣軍の軍人たちが、彼らに銃を向けているからだ。
 女王に、守護聖に平気で銃を向ける者がいるなど、以前だったら誰が信じただろう、いや、誰ができただろう。しかし今、王立派遣軍の軍人たちに、彼らに銃を向けることへの躊躇いはない。
 彼らが主と仰ぐのは、女王でも守護聖でもない、彼らの、100年振りに還ってきた唯一人の元帥だけなのだから。
 近づいてくるその元帥たる彼に、この場を支配する部隊の隊長が姿勢を正して敬礼をした。
 それに頷き返しながら、彼は女王たちの正面に立った。
 彼らが驚愕に目を見開くのがわかった。
 例外は、先ごろ就任したばかりの新任の夢の守護聖と、二人の女王候補のみ。それ以外は、皆、驚きを隠せないままに彼を見つめた。
 とてもよく見知った顔。
 記憶の中にあるそれよりも確かに若い。だが、その容貌は彼らの知るその人物以外の何者でもなかった。
 そんな彼らの様子に、彼は満足そうに、また愉快そうに、唇の端を上げて微笑み浮かべると、これもまた彼らのよく知る、聞き覚えのある張りのある、よく通るバリトンで告げた。
「初めましてと言うべきか、それとも、お久し振りですと言うべきか、正直、悩むところですね」

── das Ende




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