皇帝とその仲間を撃退し、聖地を無事に取り戻して、宮殿では内々ながらも女王主催による労いを兼ねた祝いのパーティーが催されていた。
 皆口々に、無事に女王を救出して聖地を取り返したことを、互いの無事を喜び合い、旅の間の健闘を称え合っていた。しかし、その中に唯一人、オスカーの姿がない。
 参加していないわけではない。最初は皆と歓談の輪に加わっていたのだ。だがいつの間にかそっとその輪を抜け出して、一人バルコニーに出て風に吹かれていた。
 そんなオスカーの様子を皆気にしながらも、誰も声を掛けられずにいた。
 皇帝レヴィアスの最期の時のことが皆の頭を(よぎ)る。
 あの折りの二人の様子は、二人の間に余人の預かり知らぬ交流があったことを雄弁に物語っていた。他人が入り込むことのできない何かが、確かにあったのだ。
 レヴィアスは当初は全ては終わったとばかりに、感情の籠らぬ声で、宇宙の女王であるアンジェリークの手によって止めを刺されることを望む言葉を口にしたが、彼女はそれを、「できない」と拒んだ。するとレヴィアスは、まるでそちらの方が本心であるかのような感情の籠った声でオスカーを呼び、彼の手によって止めを刺されることを望んだ。そしてオスカーがそれを躊躇わなかったことからもそれは察せられる。躊躇いがなかったことから、オスカーがレヴィアスを単に倒すべき敵として、それを行ったのではないことは、彼がレヴィアスに止めを刺す前の、微かに漏れ聞こえてくる二人の遣り取りから、簡単に推察できた。
 そして途切れ途切れではあったが、それでも確かに聞き取れた二人の会話が耳に残り、疑問が湧いてくる。
 レヴィアスが果たせなかったと言った、オスカーと交わした約束とは何なのか。
 レヴィアスが遂げることができなかったという、本当の望みとは何だったのか。
 あの時のレヴィアスの言葉からして、この宇宙を、女王の力を手に入れることとは別にあったように思えてならない。
 また、レヴィアスの言ったオスカーの望むものとは、一体何なのか──
 加えて、そんなことは有り得ないと、そう思いながらも否定しきれぬ疑念がある。
 オスカーは、アリオスが皇帝レヴィアスであるということを知っていたのではないかと。それならば、あのアリオスがレヴィアスとしての正体を曝した時、オスカー一人が冷静だったのも頷ける。
 しかしもしそうだとすると、オスカーは女王を、聖地を、自分が属し、導くべきこの宇宙を裏切っていたことになる。誰よりも最も女王に対して忠誠を誓っているといえるオスカーがそのようなことをするはずがないと、そう思いながらも、疑惑が晴れない。
 そしてまた、それを問い質す勇気を持つ者は一人としていない。皆、恐ろしいのだ、その答えを聞くことが。きっと否定してくれるだろうと思う一方で、あの時の二人のただならぬ様子が、それを躊躇わせるのだ。
 そんなふうに皆が思いを巡らせている中、オリヴィエは具体的に二人に何があったのかはともかく、朧げには察していた。
 どこか似ていた二人だった。オスカーがそうだったように、アリオス、いや、レヴィアスもまた大切なものを失っていた。二人とも、他の誰よりも互いに互いを理解し合えていたのだろうと。
 あの旅の中、他の者にはそうと知られずに、けれどだんだんと煮詰まっていくようにストレスを抱え込んでいくオスカーに、オリヴィエは気付いていた。けれど何もしてやれずにいた。そんな彼が、ある時を境に楽になったように見えた。それはオリヴィエがアリオスに、オスカーのことを他の者には内緒にね、と言いながら話をしたその翌日からだった。おそらくあの夜に、二人の間に何かがあったのだ。それが何なのかまでは分からないし、あえて知りたいとも思わないが。
 そしてまた、仲間内で唯一オスカーの本音を知るオリヴィエは、もし仮りにオスカーがアリオスの正体を知った上で黙っていたのだとしても、それを責める気にはなれない。オスカーはレヴィアスに、自分にはできないことを託していたのかもしれないと、そう思うから。
 そんなふうに皆が思いを巡らしている中、アンジェリークは一人、オスカーの元へと足を向けた。



「オスカー様」
 常の彼らしくなく、グラスを片手に一人もの寂しげにしているオスカーに、アンジェリークは静かに呼びかけた。
 その声に、ゆっくりとオスカーが振り向く。
「何か用かい、お嬢ちゃん」
「少し、お聞きしたいことがあって。よろしいですか?」
 言いながらオスカーの傍らに歩み寄る。
「俺に答えられることならな。で、何を聞きたいんだい?」
「アリオスのことです」
 アリオス── その名に、オスカーは一瞬、グラスを持つ手に力を入れた。
「何を聞きたい?」
 全く感情の感じられない、アンジェリークがはじめて聞く底冷えのするような冷めた声で、オスカーは尋ね返した。
 そのあまりの冷たさに、アンジェリークは一瞬躊躇い、けれどそれでもまっすぐにオスカーの顔を見詰め返しながら口を開いた。
「教えていただきたいんです。アリオスが望んでいたこと、願っていたこと。ただこの宇宙を手に入れることだけが彼の望みだったとは思えない、他にも何か望んでいたことがあったように思うんです。それが何か知りたい。オスカー様なら、それをご存知なんじゃないかと思って。教えていただけませんか?」
「いまさらそれを知ってどうしようというんだ?」
「いまさらなのは分かっています。でも私は知りたい。私、アリオスが好きでした。いえ、今も好きです、愛してるんです。だから彼はもういないけど、知りたい、彼を理解したいんです。お願いします、オスカー様」
 一気にそう告げて頭を下げるアンジェリークを、オスカーは冷たい氷の瞳で見下ろす。
「愛しているから彼の全てを知りたい、ってわけか。フッ、女は皆そうだな」
 フェミニストと言われるオスカーらしくない、まるで軽蔑しているかのようなその言葉に、アンジェリークは下げていた頭を上げた。
「オスカー様?」
「愛していると、その一言で全て許されるとでも思っているのか? 俺から話を聞くだけで、あいつを理解できると、あいつを理解するのはその程度で済むと、そう考えてるわけか?」
「そ、そんなっ!? そんなふうには思ってません、ただ少しでもあの人のことを知りたいから……!」
「愛しているから相手のことを知りたい、理解したいと、そう思うのは分かるがな、どれほど想う相手のことであっても、そうそう他人を理解することなどできるもんじゃない。たとえどんなに想いを寄せ合い愛し合う者同士であってもな。それに愛していればこそ、言えないこと、隠しておきたいことってのもある。それを、愛しているから知りたいのだと、それだけで本人の了解もなしにその相手の、知られたくないと思っているかもしれない領域に入り込むのは誉められたことじゃないな。人間には、誰しも他人には知られたくないことってのがあるんだぜ」
 オスカーの言葉にアンジェリークは唇を噛み締めた。それからキッと睨むようにしてオスカーを見つめながらさらに問う。
「つまり、教えてはいただけないということですか? アリオスはもういないのに、それでも教えられないと仰るんですか?」
「……いないからこそ言えないし、俺は言うつもりもない。それに、お嬢ちゃんにあいつを理解することなんて、一生掛かってもできはしないさ。それは俺が保証してやるよ」
「理解できないなんて、聞いてみなければわからないじゃありませんか!?」
「無理さ」
 一言で切って捨てるオスカーに、アンジェリークは感情も顕わに詰め寄る。
「オスカー様は分かるって言うんですか? 他人のことを理解することなんてできないって言いながら!」
「あいつと俺は似たもの同士だからな。あいつも俺も、大切なものを守りきれずに失って、取り戻すことが叶わずにいる。同じような傷を負って……」
 そこまで言って、オスカーは目を伏せた。言い過ぎた、言わなくてもいいことを口にした、思い出したくないものを思い出してしまったとでもいうように。
「私だって……、私だってアリオスを失いました! 彼を愛してた、大切に思ってたのにっ!!」
 悲痛な声でそう訴えるアンジェリークに、オスカーは、あいつは俺の男だったのだと、いっそのことそう告げてやろうかという考えが(よぎ)る。
 だが自分たちの関係は、確かに肉体関係があり、その点でレヴィアスが自分の男であったのは確かだが、そこにあったのは必ずしも恋とか愛とかいったものではなかったのだということが、それを口にすることを躊躇わせる。その一方で、そういった感情が全く無かったのかと問われれば、完全に否定してしまうことに少しばかり疑問が残るのだが。
「だから、許されるというわけか? あいつの全てを知ることを。傲慢なことだ。ああ、そうか、お嬢ちゃんは女王だったな。だから、望めば、願えば、それは全て叶うと思ってるってわけか」
「……!!」
 アンジェリークは、オスカーのそのまるで自分を嘲るような台詞に言葉を失った。
 女王だから全て許されるなんて、そんなことを考えたことはない。けれど女王であるということは抜きにして、強く望めば、願えば、そして祈れば、決して叶わぬことはないと、そういう思いが自分の中にあることは否定しきれない。
「勘違いしないことだ。女王なら全て許されるなんてことはないんだぜ。ましてや、人の心の領域にはな」
 自分を侮蔑するように話すオスカーの態に、怒りが湧いてくる。
 どうしてここまで言われなければならない。ただ知りたいと、それだけなのに。
 そう思い、一つの考えが脳裏を過る。それはとても愚かな考えだと分かっていたが。
 彼は女王に最も忠実な炎の守護聖。ならば、女王としての命令ならば、彼は従うのだろうかと。
「オスカー様、もし女王として私が命じたら、その時は話してくださいますか?」
 オスカーはそう尋ねるアンジェリークに、軽蔑の眼差しを向けた。
 アンジェリークはそれに気付いたが、既に発してしまった言葉を無かったことにはできない。
「お嬢ちゃん。確かにお嬢ちゃんは女王だがな、俺が仕えるのはお嬢ちゃんじゃない。あちらにおられる」顎をしゃくり広間の中にいる女王を示して「あの女王陛下だ。そして陛下は、お嬢ちゃんと違って、人の心に踏み込むなんて真似はなさらない。きちんと、踏み込んでも許されるところと、決して踏み込んではいけないところと、そこは弁えておられる」
 アンジェリークは屈辱と羞恥とで、顔を真っ赤に染めた。
 何か言い返したい、そう思いながらも言葉が見つからない。
 唇を噛み締めたままオスカーをまともに見返すこともできずにいるアンジェリークを、オスカーはもう話は終わったと、彼女の脇を抜けて広間へ戻ろうと足を踏み出した。
「……待ってください」
 呼び止められて、オスカーが振り返る。
「オスカー様は、アリオスが皇帝レヴィアスだったこと、ご存知だったんですか?」
 アンジェリークは皆が疑問に思い、けれど問えずにいた問いをした。
「……そうだとしたら?」
「ご存知だったんですかっ!?」
「さあな」
 はぐらかすように、ハッキリとした返事をせぬままにオスカーは広間に戻った。
 そのままアンジェリークはオスカーの姿を追う。
 オスカーは女王の元へ行くと、何かを告げた後、恭しくその右手を取って甲に口付け、そのまま自分に集まる視線を気にすることもなく、広間を出ていった。





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