Vertrag - 5




 オスカーの件が飛空都市中に広まって以来、彼が多くの女性に取り囲まれたり、あるいは彼自身が他の女性を口説くシーンが見られることはなくなった。それにより、必然的に、オスカーは、少なくとも今現在は、自分の館に住まわせている女性一筋なのだと思われている。ただその女性自身については、どのような女性なのか、相変わらず謎のままであるが。なぜなら、噂の発端となった、その女性を見たランディも、オスカーに館に呼ばれて実際に相手の女性── エルフリーデ── を紹介されたオリヴィエも、双方共に、その女性については何も語らなかったからだ。オリヴィエに至っては、オスカーの館を訪れて一緒に食事をしたことさえ口外していない。それはオスカー自身から余計なことを口にするな、と言葉ではっきりとは言われなかったが、それとなく暗に示されたからでもあるが。
 ちなみにランディは、それ以降、オスカーの館を訪れることはなくなった。邪魔しては悪い、と思ったのかもしれない。また、噂を広める結果となってしまったのが、自分が口を滑らせてしまったことにあると思ったためかもしれない。とはいえ、いずれにせよ、たとえランディが望み、オスカーに剣の手合わせの申し入れを行ったとしても、飛空都市にある限り、オスカーがそれを受入れることはなかったであろうが。オスカーはランディが訪れる日の曜日には、館に仕える者以外は知らないが、彼は常に不在なのだから。



 女王試験は順調に進んでいた。少なくとも、表面上はそう見えていた。
 その間に、エルフリーデは無事に懐妊し、既に安定期に入っている。幸いなことに、悪阻も軽く済み、担当した医師からは順調との言葉も貰っている。
 そんなある日、水の守護聖リュミエールが倒れ、それをきっかけとして夢魔が入り込んでいることが判明した。その暫く前からそれとなく異変に気付いていたオスカーではあったが、実際に事が起きるまで、それが具体的になんなのか図りかねていたのだ。結果として後手にまわってしまったわけだが、オスカーは自らの身を省みず、夢魔の巣くう次元に飛び込むという、無謀といっていいだろう荒業を行った。
 最終的に、他の守護聖たちが講じた手段や、無意識のうちに夢魔の次元に意識を飛ばした女王候補の一人であるアンジェリーク・リモージュ、そして夢魔によって囚われていたオスカーが開放され、オスカーの大剣に籠められた光のサクリアを用いることによって夢魔を浄化し、夢魔の次元世界に囚われていた者たちは元の次元に無事に戻ることが叶った。



 検査入院を終えて館に帰ってきたオスカーを出迎えたエルフリーデは、その日の夕食の席で本人から事の次第を聞き出すと思わず笑い出した。
「貴方らしいといえばこれ以上ないくらいにらしいけど、それにしても少しばかり無鉄砲過ぎたんじゃないの、オスカー?」
「言ってくれるな」
 エルフリーデの言うことに、多少なりとも自覚のあるオスカーは一言そう答えたのみだった。
「で、エルフリーデ、あんたの方はどうなんだ? 何か変わったことはなかったか?」
「私? 大丈夫、問題なし。順調ですって。ああ、それと昨日の検査で分かったんだけど、双子っていうのはもう分かってたことだけど、性別も分かってね、男女の二卵性ですって」
「男女の二卵性?」
「ええ。でね、貴方、父親としては何もしないと言ってたし、もちろん私もそれでいいと言ってたけど、性別も分かったことだし、ちょっと考え変えたの」
「?」
「名前だけ、貴方がつけてくれないかしら、オスカー。それ以上は望まないわ」
「名前?」
「そう。どこの誰ともしれない父親からの、最初で最後の贈り物、ということで。日はまだ十分あるから、考えられるでしょ?」
「名前か……。そうだな、分かった、考えてみる」
「じゃあ頼んだわね」
 そう告げて、エルフリーデは嫣然とした微笑みを浮かべ、膨らみはじめている腹部を撫でさすった。
 エルフリーデは思う。
 この男はいずれ全てを捨てて、たった一人でいく(・・)つもりなのだと。その時には、自分のことも、産ませた子供のことも忘れているかもしれないが。
 この男がいく時には、自分も、そして今自分の腹の中にいるこの男の子供ももう生きてはいないだろう。だが、必ずとはいいきれずとも、可能性は低くとも、この男の血を引く者が存在している可能性はある。せめてこの男の血を引く者を残してやりたい。自分が子供たちに対して、決してこの男の個人的な情報を話すことはないだろう。そう約束したから。けれど、決して恥ずべき父親ではなかったと、どんな男── 父親── だったかくらいは、詳しくは言えなくとも、叶う限りのことを話してやりたいと思うのだ。自分たちの名前を付けてくれてのだと。決して望まれない生まれではなく、望まれて、けれど父親だと名乗れる立場の男ではなかっただけなのだと。そしてそれだけの生きざまをした男なのだと。自分が、子供たちが生きている間も、そして死んだ後も、彼自身はまだこの聖地に生き続けているだろうけれど。
 そして、自分は一人きりなのだと、孤独な魂のこの男に、飛空都市にいる間だけという短い時であったとしても、彼が決して自分一人ではないのだと、そう思わせてやりたい。
 決して長いつきあいとはいえない。だが、短いとも思わない。そしてその間に、彼の魂がいかに孤独なものなのか、自分には分かってしまっていたから、せめて共にある間だけでも、それを救ってやりたいと、決して孤独などではないのだと思わせてやりたい。自分の血を引く、自分が名前をつけた子供がいるのだと思い知らせたておきたい。もしかしたら、それはとてつもなく烏滸がましい思いなのかもしれないが。しかしエルフリーデにはそう思えて仕方ないのだ。決して本人にはそんな思いを抱いていることを悟らせるような真似をするつもりはないが。



 二つの大陸の間に位置する中の島、その島についに人々が辿りつき、建物が建った。そしてそれはすなわち、女王試験終了の時でもある。
 先に島にたどり着いたのは、アンジェリークの育成する大陸エリューシオンの民だった。つまり、アンジェリークが次代の女王と決まったことを意味する。
 それを受けて、女王はこれまでの滅びゆこうとしている宇宙を、2人女王候補が大陸を育成した新しい宇宙に移動させ、古い宇宙に封印を施した。
 女王試験の終わり、次代の決定を受けて、飛空都市にいた人々は聖地へと戻った。ちなみに、もう一人の女王候補であったロザリアは、試験の間にアンジェリークとの友情を育み、彼女の補佐官となる道を選んだ。
 そしてエルフリーデが宿していた赤子を出産したのは、飛空都市から聖地に戻るほんの数日前のことだった。幸いなことに安産であり、エルフリーデの負担は軽く済んだ。とはいえ、肝心の赤ん坊に関しては、流石にすぐに動かすのは無理だろうと、せめて外出に問題がなくなるまでと、女王の戴冠式まで僅かばかりの日もあることから、それまで聖地の中にあるオスカーの炎の館に留まり、かねての約束通り、オスカーは生まれてきた二人の赤ん坊に名前を付けた。
 オスカーがつけた赤ん坊の名前は、男の子はカール、女の子はエリザベート。
 エルフリーデは、オスカーがつけたその名前の由来を、聞いていいものかどうか悩んだが、思い切って尋ねてみた。どこからその名前を、と。
「弟と妹の名前だ、二人とももうとうにいないがな……」
 そう告げて、オスカーはどことも知れぬ空の彼方を見つめた。その横顔は、どこか寂しげで、彼の孤独を思わせるものだった。聞かなければよかった、きくべきことではなかったと、そんなオスカーの様子を見たエルフリーデは後悔した。
 けれどそれを振り払うかのように、エルフリーデは明るい声でオスカーに告げる。
「さあ、これが最初で最後よ。一度くらい、自分の子供を抱いてあげて」
 そう言われて、当初は戸惑った様子を見せたオスカーだったが、エルフリーデの促しに、二人の赤ん坊を交代で抱きあげた。そしてそれぞれの頬に唇を寄せる。
「何もしてやらぬ、酷い父親で悪いな。おまえたちの親は、母親のエルフリーデだけだ。まあ、エルフリーデが結婚すれば、その相手がおまえたちの父親ということになるだろうが」
「それは難しい相談ね。貴方という人を知ってしまったら、貴方以上の男を見つけるのはとても困難だと思うもの」
 そう言って、エルフリーデは微笑う。
 しない、とは言わない。だが、おそらく自分が他の男と結婚するなどということはあるまいと、エルフリーデは思う。約束通り、何も話さない、だが、オスカーの分まで、子供たちを育てると、エルフリーデは心の中で誓った。それが、おそらくはこの宇宙に存在する者の中で、最も孤独であろう魂への贐だろうと思うから。
 契約だからと、オスカーがエルフリーデはに与えたものは、彼が所有する資産の一部だった。その中には、外界にある、知らぬ者の方が少ないのではないかと思われるさる大企業の株式もあった。どんなふうにしてそれを手にしたのか、それは想像の範囲外であったが。
「これだけあれば、当面生活に困ることはないだろう。ただ、他に何か困ったことが起きたら、どこでもいい、王立派遣軍の基地に、俺の名とおまえの名を告げればいい。どうにかしてやるようにと話を通してある。そんなところで、大丈夫かな?」
「過ぎるくらいだわ。一生働かずに生きていてもおつりがくるくらいよ。もっとも、私には働かないという意思はないけど。だって、働かざる者食うべからず、って言葉があるでしょう?」
 そう言って、オスカーが差した出したものを受け取りながらも、笑みを浮かべてそう答えた。
「そうだな。……もう二度と会うことはないだろうが、元気で。そして、こんなことを言える立場でないことは承知しているが、おまえの、いや、おまえたちの幸福を祈っているよ」
「それだけで十分よ。貴方も、幸せになってね。どんな人にだって、幸せに生きる権利があるんだから」
 そう言いながらオスカーの頬に口づけるエルフリーデに、オスカーは苦笑を浮かべながら、同じように頬に口づけを返した。
「じゃあ、いつまでもこうしていても未練がのこるだけだから、もう行くわね」
「ああ」
 エルフリーデは二人の赤ん坊を連れて、オスカーが用意させていた王立派遣軍の車に乗り込んだ。それを確認した車が走り出す。
 エルフリーデは車の中から、遠ざかる、玄関前に立ち尽くして自分たちを見送っているオスカーの姿が見えなくなるまで、その姿を視界に収め続けた。それは、オスカーと彼のすぐ後ろに控えている執事のハインリッヒも同じだった。
 オスカーは思う。
 自分がしたことは、エルフリーデを、いや、その子供も含めれば、三人の人間に不幸を齎しただけなのかもしれないと。だがそれでも、今は亡き母親の願いを叶えてやりたかった。そして、もしかしたら、この宇宙のどこかに自分の血を引く者がいると思えば、自分の心も少しは救われるかもしれないと、身勝手なことだと思いつつも、その考えを否定できなかった。



 女王試験と、それに続く宇宙の移動、そして戴冠式と慌ただしく事が進む中で、オスカーの元にいた女性が子供を産んだことは知っていても、いつかその女性もその女性が生んだと思われる子供もいなくなり、いつしか彼女たちに関する話も消えていった。まるで最初から存在などしていなかったかのように。
 それは、オスカーの態度がまた、以前のように、聖地一のプレイボーイと呼ばれていたころの状態に戻っていたからかもしれない。
 オスカーの心の内を知る者はこの聖地には数えるくらいしか存在しない。そしてそんな彼らにしても、オスカーの本音までは知っていない。オスカーがどんな思いでエルフリーデを手元に置き、子供を産ませたのか、彼女たちに何を託したのか。もしかしたら、オスカー自身、自分のことでありながら、全てを理解してはいないのかもしれない。
 けれどエルフリーデは理解している。その原因が、要因がなんであるかは知らずとも、共に過ごした月日から、オスカーがその身の内に抱える孤独と闇を。だから自分を選んでくれたオスカーを想い、彼の分まで、子供たちを立派に育て上げようと誓うのだ。たとえ父親の知れぬ子供を産んだ女と非難を受けようと。そしていつか、全てを話すことはできずとも、可能な限り、子供たちに父親のことを話して聞かせてやろうと。決して二人が父親であるオスカーを非難することのないように、そして誇りをもって生きていけるようにと。

── das Ende




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